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終わりよければすべて良し

何もかもうまくいかない日があります。
ダニエル・パウターの『バッド・デイ』がずっと鳴っている気がするのも、空耳ではないかもしれません。

思えば朝からまずい出来事の連続で、まず起きる時間が遅すぎました。そのせいで朝食をきちんととれず、髪もメイクもおざなりです。

着ていくはずだった服が洗濯機の中だったため、仕方なく選んだ別の服は、なんだか皺っぽい感じです。もちろんスチームアイロンをかけている暇はなく、着ている間にどうにかましになることを願うしかありません。

大きな忘れものこそしませんでしたが、持ってきたかったペンは机の上だと、電車の中で気がつきました。

大丈夫、全てが完璧でない日はあります。


結局、夕方に自宅の最寄駅に降り立つまで、私は何度となくその言葉を繰り返しました。
完璧ではなくても気にすることはありませんが、それならばなぜこんなに気分が沈むのか、自分でも解せません。

一日中、何もかもがちぐはぐで、力技でどうにかすべきことをこなしたために、いつもより疲れを感じます。

明日に向けて天気が崩れるとの予報通り、すでに気圧が下がり始めているせいか、気分が優れず、身体が重い気もします。


こういう日はさっさと帰ってゆっくりするに限るのですが、マンションの近くまで来て、頼まれごとをしていたのを思い出しました。
仕方なくまた引き返し、駅前のスーパーに向かいます。

スーパーの混雑時間はそろそろピークで、レジには長蛇の列です。

広い売り場を歩き回って品物を選び、長い順番待ちの末ようやく支払いを済ませた後になって、エコバッグを持っていないことに気がつきました。

けれど、一枚3円の袋を買うため、もう一度レジの列に並ぶと考えるだけで発狂しそうです。
買ったものはどうにかバッグに詰め込めそうですし、まずは一刻も早く、ここから出ることだけを考えます。
夕方の混んだスーパーは、疲れている時に最適な場所とはとても言えません。


もはや落ち込みを通り越し、物哀しいほどの気分です。
支えになるのは帰宅後の妄想だけで、あたたかいものを飲み、冬眠中の動物のようにじっと動かずにいるのが良さそうです。

シュプリームスあたりに頼って気分を盛り立てるか、いっそ物憂くショパンなどを流しましょうか。
ラフマニノフはヘビーすぎるし、ラヴェルは知的すぎる。やはりシューマンあたりのロマン派が…などと現実逃避しつつスーパーを出る私の隣を、一人の男性がものすごい勢いで駆けて行きました。

お店の前はちょっとした広場になっており、その向こうに片側二車線ずつの車道が広がります。
男性は広場を横切り、迷うことなく車道に飛び出しました。驚愕で足を止めたのは私だけでなく、周囲から押し殺した悲鳴が上がります。


はじめ、その人がなぜそんな暴挙に及んだのかわかりませんでした。車道の信号は青であり、ひっきりなしに車が走っているのです。

そんな中を、危険な曲芸さながら中央分離帯まで辿り着き、向こう側に移ろうとしている男性の行く先を見て、声を上げそうになりました。

車道の真ん中に、白杖を握りしめた初老の男性が立ちすくんでいるのです。
一体どのようないきさつか、誤って車道に出てしまい、異変に気づいて身動きが取れなくなったに違いありません。
私のすぐ脇を、男性が猛スピードで駆けて行ったのはそのためでした。


あちら側からも慌てた様子の女性が車道に飛び出し、男性と共に、その人のかたわらに寄り添いました。まるで二人の守護天使のように。

二人は落ち着いてその人を歩道へと誘導し、長い車の列は、クラクションを鳴らすこともなく、辛抱強く停車しています。

「よかった」
誰かがもらす声が聞こえました。

ようやく歩道に上がり、人に取り囲まれる白杖の男性を見ながら、私も心のうちでその言葉に強く同意しました。
本当によかった。


それから少しだけ成り行きを見守り、家への道を歩きながら、すっかり憂鬱が消えているのに気がつきました。

もうショパンもシュプリームスも必要がなさそうです。
ルービンシュタインの繊細きわまるピアノや、リズミカルなモータウン・サウンドに触れた時と同じくらい、今の私は多幸感に包まれているからです。

私たちは人間性に絶望することはできない。なぜなら私たちもまた人間だからだ

優れた思想家でもあるアインシュタインの言葉を反射的に思い出したのは、つまりはそういうことなのでしょうか。

絶望を救うのは希望。
あれ、ついこの間、こんなことを書いたばかりのような。そんなことを考えつつ、我知らず笑みが浮かびます。

もう一日も終わりですが、やっと調子が戻ってきました。
さあ、家に帰ったらやっぱり何か気分のいい音楽をかけ、美味しいものでも作りましょう。

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