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君も僕もひとりなら

勝ち負けにこだわりのない子供だった。

兄にマリオカートで負かされた時も
陸上部の大会や運動会のリレーのアンカーで勝てなかった時も
ミニバスの試合や合唱コンクールで負けた時も
特に悔しいと思ったことはなかった。

むしろ勝敗をつけることに子供ながらに疑問を感じていた。
特に陸上は走ること自体が好きでやっていた趣味のようなもので、誰かに勝ちたくてやってたわけではないから、勝利を強要されるのは苦痛でしかなかった。

勝つ人がいるということは負ける人がいるということ。
それが自分でさえなければいいのか?
負けた人がいるから勝つ人がいるというのに、勝った人間は負けた人間を踏みつけにしているんじゃないのか?
人はみんな独りなのに、他人と比べて何の意味があるというのか?
勝ちにこだわることの傲慢さが嫌で嫌で仕方なかった。

そんなことばかり考えているから、こんなに負け続きの人生を歩んでいるのかもしれない。

メンヘラ無職のアラサー独身女。
勝ち負けにこだわる人から見たら、負け組の見本みたいなものだろう。
博物館で展示されていいレベルの、それはもう見事な負けっぷりだろう。

でも、だから何だっていうんだ。
他人の物差しで幸せははかれないはずだよ。

誰かの真似をしてもその人にはなれない。
むしろ真似した瞬間から、その人から限りなく遠くなっていく。
何故ならその人は誰かの真似をしてその人になったわけではないから。

私は私にしかなれないし、あなたもあなたでしかいられない。
それのどこに勝ち負けがあるって言うんだ。

そりゃ私だって、幸せに見える人はみんな妬ましいし、なんにも苦労してません、みたいな人を見たらクソッと思うよ。
芸能人が結婚したら、どうせすぐに別れるくせに、と思うくらいには汚い人間よ。

でもそんなのは全部ただのやっかみだって分かってる。
本当はみんなと同じような幸せをずっと探してる。

美人なんかじゃないし、もうそんなに若くもないし、お金もコネもないし、心も身体も弱くて自分でも嫌になっちまうくらいの私だけど、

だからこそ、誰かと比べた私なんかじゃなく、他の誰でもない私を見つけ出してほしい。

ただそれだけ。


とりあえず、課金しとこ!