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偏愛が放つ 狂おしい臭気 〜 蝙蝠か燕か


今回 読んだ 本は こちら

西村賢太

蝙蝠か燕か



西村賢太の小説は 苦役列車くらいしか
読んだことは なかった


今回、久しぶりに読んだ小説、「蝙蝠か燕か」から
印象に残った文を抜き出してみる


『別に世間的には 埋もれた 幻の私小説家のままで良いと思っている
埋もれていようが、個々の感性で その作に魅力を感じた者だけが
愛読者としての敬意を個々に払えばよいと考えている』


『 改めて考えるでもなく ただでさえ この世で
自分の理解者や 賛同者を得るなぞ云うのは 至難の業である 』


安易に世間なぞに迎合し 共感などを得る事を目的とはしない
寛太の孤高のプライドが 伺える


そして、好きな私小説の作家への
熱い思いを 次のように語る


『 何故に これまでに 該作に通底する落語のスタイルや類稀な
ユーモア
台詞や言い廻しの地口に通じる粋な 笑い等に
誰も言及してこなかったかが 不思議なくらいである
貧窮と性慾を 陰惨とユーモアで彩った その異様なセンスは
良くも悪くも他に類のないー
ありそうで 全くないものであって、、

個人にとっての深刻、切実な問題を まるで 他人事のような
冷めた筆致で描いた、
その誰もが読んでも分かる平坦な文章と直截な描写(は、ときに
恐ろしく下衆な、とびっきり くだらないものも含まれる)』


そして寛太は

『 その 泣き笑いの不可思議な文体で構築された私小説に
すっかり魅了され、自身の光明としてすがりつき、そして
延いては 己が人生を大きく変えられもしたのだ 』


これを 読んだ時、私事で恐縮ではあるが
ある人の事が 頭に浮かんだ


文学を愛し、数多の小説や詩歌を読み漁ってきた人が
ある文体に出逢い
そこへ、自身が これこそ探していたものだと
その文章に惚れてしまう、、、


おそらく、それを 他の誰かが読むことがあっても
そこまでの価値や 好みというベクトルを向けられる
とは、限らないし
むしろ そうなることの方が稀有であろう


偏愛、
誰かが 何かや 誰かと出逢い
それを愛する気持ちとは まさしく 個人的な嗜好によるものだ


だからこそ、
それを見出した者は そこへ 狂おしい愛情を感じ
生きる意味さえ見出す


一匹の獣になって
自分の(好き)を手繰り寄せる

繊細にそれでいて獰猛に


己の(好き)を 見つけたなら
それは その者にとっては 二度と手放せ無いものとなるのだ


西村賢太も そのようにして
自分の好きな 私小説に 人生を賭け 自身も 作品を書くことで
その人生をまっとうした


他者がどうであれ、世間の評価がどうであれ
己の愛する 私小説 へ 獣の放つ臭気のような
プリミティブな嗅覚を携え 愛し抜いたのである


自虐とペーソスに満ちつつ、
常に どこまでも神のように俯瞰した視線で書き綴る
作品


だが、わたしは そこに ひたむきに己の好きなものに
挑み続ける 純粋さをみる


寛太が、西村賢太が 愛した 私小説


そのように 誰かから 愛されたなら



ふと 己の人生も
彼らの鋭い眼で射抜かれたような面持ちになった


** *




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