つかぽん

学生時代に仙台のロック喫茶やジャズ喫茶に入り浸る〜ジャズ喫茶でバイト〜学業(など)に行…

つかぽん

学生時代に仙台のロック喫茶やジャズ喫茶に入り浸る〜ジャズ喫茶でバイト〜学業(など)に行き詰まり退学、バイト先に就職〜10年近く勤務して退職〜接客業など6年ぐらい〜辞めた店を引き継ぐ〜自営10年無茶苦茶やって閉店〜コンサートやライヴを主催・制作・裏方稼業〜音楽愛好ご隠居に

最近の記事

にっこり笑ってフリージャズ その20

9月9日ということで、阿部薫本(文遊社 2020年)のために書いた没原稿を載せます。あまりに極私的な内容になってしまい「一応お送りしますが掲載しなくて結構です」と編集者に伝え、その通りに不採用となりました。元原稿を一部手直ししてありますが、ご了承ください。 1997年春、書籍の活動記録で知っていた1971年の演奏が突然CD化された。『阿部薫 1971』三部作。リーフレットには東北の仙台、一関、秋田、それぞれの場所での演奏に至る経緯などが克明に記されている。 仙台は10月31

    • にっこり笑ってフリージャズ その19

      11年 2022年4月11日は、2011年3月11日の東日本大震災からちょうどひと月後に仙台市の勾当台公園野外音楽堂で行われた渋さ知らズオーケストラ公演から11年でした。 リーダー(ダンドリスト)の不破大輔さんから「震災被災地でライヴをやりたい、3人とか4人とか集めて行くので場所を探して」と私に電話があり、すったもんだの末に4月11日の勾当台公園、12日の郡山市コミュニティーFMでのラジオ放送とUstream配信が決まったのです。月曜でメンバーの皆さんが暇だったから、かもし

      • にっこり笑ってフリージャズ その18

        NO WAR нет войны 渋さ知らズの2010年に発表したアルバム『渋夜旅』(プランクトンVIVO-103) このCDにはDVDが特典としてついていました。 内容は 1. 権太アジール(2009年大阪 心斎橋クラブクアトロ) 2. ヒコーキ(2007年フランス ナント・ジャズフェスティバル) 3. 犬姫(2005年ウクライナ コクトベル・フェスティバル) 4. 本多工務店のテーマ(2009年千葉県 木更津市中の島公園特設テント「天幕渋さ」) です。 映像はそれぞれ

        • にっこり笑ってフリージャズ その17

          梅津和時新聞 たった3号だけですが創刊0号が1993年、1号が94年、2号が95年、年に一度の発行でした。 この創刊0号に私も原稿を頼まれまして、無茶苦茶な内容で掲載されたのがこちら 梅津和時さんの還暦祝いコンサートを母校の仙台三高(E高)でやりますよというでっち上げ記事。この中に「某大A新聞で『六十才ぐらいで自分の音ができればいい』と、顔写真付きで暴言を吐いた」とあります。これは朝日新聞のインタビューに実際に載った発言で、なんだよ、今出している音は未完成なのか、そん

        にっこり笑ってフリージャズ その20

          にっこり笑ってフリージャズ その16

          仙台出身のベーシスト安斉久さん(1948〜2002) 安斉さんについては、これまで何度か名前を出しました。今回はウェブや書籍、雑誌など活字媒体に載った活動の記録を紹介したいと思います。人となりや私との付き合いなどは別の機会に。東京時代はいつも下駄を履いていたため「ゲゲゲの鬼太郎」にかけて「キタロー」と呼ばれていました。こちらの名前の方が音楽関係では有名だったかもしれません、「ベースのキタロー」。 日本のジャズ情報ウェブサイト「JazzTokyo」に先日亡くなった沖至さんの

          にっこり笑ってフリージャズ その16

          にっこり笑ってフリージャズ その15

          CD-Rという発表の場 ライヴの現場で録音をしてCD-Rに焼いたものをミュージシャン自ら販売するということは以前からありましたが、コンサート/ライヴの開催が難しかったり集客が思うようにならない昨今、自分(たち)の演奏をCD-Rにして定期的に通販するという試みが見うけられるようになりました。プレスCDと違い自分のパソコンで作成できますし、機材やソフトウェアが格段の進歩を遂げていますから音質も問題なく聴けるレベルです。今回は、そんな中からいくつか紹介します。 (新作が届くたび

          にっこり笑ってフリージャズ その15

          にっこり笑ってフリージャズ その14

          早逝したドラマー、田中穂積(1949〜1994)さん ナウ・ミュージック・アンサンブル(N.M.E.)、沖至トリオ、佐藤允彦がらん堂、田中さんの活動期間は短かったですが日本フリージャズの歴史における重要なグループにその足跡を残しています。今回は古いジャズ雑誌に載った田中さんの発言を見つけたので、それをご覧いただきます。 『Jazz』No.18 1973年6月1日 ジャズピープル社 「特集I セシル・テイラー、なぜ ソロピアノか?」 沖至トリオ『殺人教室』(1970年)

          にっこり笑ってフリージャズ その14

          にっこり笑ってフリージャズ その13

          1970年代の(フリー)ジャズレコード店(あちこち脱線して迷走気味です) 1970年代初頭、私の働いていたジャズ喫茶ではフリージャズのレコードは主に通販を利用していました。大阪の「LPコーナー」や渋谷の「JARO」など。当時のジャズ雑誌に広告がありました。 郵送料450円の時代です。 国内盤は仙台市内で買えたし(市内にはまだレコード店がたくさんありました)、ヤマハもカワイもサンリツ(仙台では大きなレコード・楽器店、クラシックに強かった)も店内に広いレコード売り場をもって

          にっこり笑ってフリージャズ その13

          にっこり笑ってフリージャズ その12

          演劇と仙台のジャズ喫茶 (「その1」と「その8」を補完する内容を含みます) ネット検索していて懐かしい文章を見つけました。このブログの著者が2012年に亡くなったとき、SNSの追悼記事にリンクがあって読んだ記憶があります。石川裕人こと「ニュートン」(ここでもそう呼ばせていただきます) 石川裕人ブログ『石川裕人劇作日記 時々好調』 「仙台ジャズ喫茶伝説。」 仙台の1970年代ジャズ喫茶事情を見事に文章化していて、さすがです。文中のアヴァンのところに「T」と出てくるのが

          にっこり笑ってフリージャズ その12

          にっこり笑ってフリージャズ その11

          はじまりのライヴ・ライヴのおわり ジャズ喫茶アヴァンの従業員時代はさまざまな店内ライヴを経験しました。そして1987年に初代マスター森健二郎さんに請われてアヴァン二代目に。レコードやCDは「ジャズ」にこだわらず、どちらかというとフリージャズ〜オルタナ系の選曲が多い店になりました。そして開店2年目にして初めての店内ライヴを催すことになります。宮城県出身(鳴子温泉川渡生まれ、仙台育ち)の梅津和時さんのツアーだったのですが、なんとまあ、シカゴAACMトロンボーン奏者、ジョージ・ル

          にっこり笑ってフリージャズ その11

          にっこり笑ってフリージャズ その10

          オカルトと音楽 1970年代初頭、私が客〜アルバイト〜従業員として過ごしたジャズ喫茶アヴァンの常連に安達敏夫という人物がいました。私の一学年上で、理学部の学生。「ナマズと地震」が研究テーマのため教授から相手にされずなかなか卒業できない、などと言っていました。頭がよく弁も立ち、麻雀好きでした。ジャズや現代音楽に造詣が深く、ミルフォード・グレイブスの凄さを熱く語ったりしていたものです。 「私の一学年上」といえば東大入試が中止された年代、入学するはずだった3000人ぐらいの人た

          にっこり笑ってフリージャズ その10

          にっこり笑ってフリージャズ その9

          高木元輝さんについて このところ未発表音源のCDが立て続けに発売され書籍出版の準備も進んでいるという高木元輝さん。日本でも再評価され知名度も上がっているかと思いきや、意外にウィキペディアには英語のページしかないのです。 その高木さんの1975年の写真が仙台市にあったジャズ喫茶アヴァンの落書き帳にありました。マスターの森健二郎さんが文章を書いていて(当日の演奏には直接触れていませんが)学生時代の回顧などもありますので、スキャンしたものを載せます。 この日は、豊住芳三郎 d

          にっこり笑ってフリージャズ その9

          にっこり笑ってフリージャズ その8

          番外編・追加情報です 1970年代、宮城県のジャズ喫茶のマスターたちが集まって「Live Circle」という団体を作っていました。結束して大がかりなライヴ・コンサートを開催しようというものです。 (「その1」に載せた『ジャズ批評』ジャズ喫茶特集1976年版に掲載された宮城県の店を参照ください) そのLive Circleが主催した1974年のコンサート打ち上げ写真が出てきたのです。内容は菊地雅章クインテント、会場は不明です。当時アヴァンの従業員だった私も記憶にありませ

          にっこり笑ってフリージャズ その8

          にっこり笑ってフリージャズ その7

          12月3日は久しぶりの遠征、郡山市までライヴを観に行きました。 「村 吉 炎 北日本ツアー2021」 (宇都宮市の実家へ帰る途中の寄り道みたいなものでしたが) 北海道、岩手、宮城、福島、大阪、に在住の音楽家たちがソロだったりグループを組んだり。知り合い、聴いてみたかった人、録音を聴いて?だった人、などなど魅力的な組み合わせです。岩手県花巻市在住の村上巨樹さんが自分のバンド(te_ri)の名義で助成金を得て実現しました。3日の郡山市のあとは札幌に飛んで2日間。気苦労の多い

          にっこり笑ってフリージャズ その7

          にっこり笑ってフリージャズ その6

          前回話題にした八重洲書房について、話は続きます。 ビルの1階と2階に広い売り場を持った八重洲書房。規模が大きくなれば事務処理や営業、配達も多くなり店主夫婦だけではやっていけません。少しずつ従業員が増えて、その中に私の友人が2人いました。 ひとりは桑添弘さん、経理担当で入社しました(この頃の八重洲書房は有限会社になっていたはず)。知り合ったのは彼が浪人中で、学生運動の集会やデモで顔を合わせることが多く、同い年ということもあってすぐ友達に。大学受験を諦めて書店に就職したあと、八

          にっこり笑ってフリージャズ その6

          にっこり笑ってフリージャズ その5

          私が客で通い、アルバイトをし、1973年に従業員となったジャズ喫茶アヴァン。1983年に辞めたあと私が引き継いだのが1987年でした。店のある「政岡通」には仕事とは別に学生時代から暇があれば毎日のように通い詰め。なぜかというと八重洲書房という書店があったからです。「八重洲」というのは建物の名前で、東京駅の八重洲口にちなんだ名前だったのでしょうか、すえたような独特の匂いを今でも覚えています。戦後の闇市跡に建った地上3階(2階だったか?)地下1階。雑貨、荒物、乾物、菓子、野菜

          にっこり笑ってフリージャズ その5