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にっこり笑ってフリージャズ その12


演劇と仙台のジャズ喫茶

(「その1」と「その8」を補完する内容を含みます)

ネット検索していて懐かしい文章を見つけました。このブログの著者が2012年に亡くなったとき、SNSの追悼記事にリンクがあって読んだ記憶があります。石川裕人こと「ニュートン」(ここでもそう呼ばせていただきます)

石川裕人ブログ『石川裕人劇作日記 時々好調』

「仙台ジャズ喫茶伝説。」

仙台の1970年代ジャズ喫茶事情を見事に文章化していて、さすがです。文中のアヴァンのところに「T」と出てくるのが私。「夜はカフェっぽく」というのは、私が引き継ぐ4年前に初代が(一見)お洒落な内装にして、夜はアルコール飲料オンリーになっていたからかもしれません。そして「家人も夜のバイトに入ったことがあったっけ」という一文。彼のパートナーは同じ劇団の俳優、絵永けいさん。アヴァンのIさんが休暇をとるときに「トラ」で働いてくれました、4,5回あったのではないでしょうか。なぜ彼女に頼んだのか、その経緯は記憶にないのですが。ニュートンも「マルジナリア」という店をやっていたことが書いてありますが、店名は本来の意味「本の余白の書き込み」というよりも澁澤龍彦の著書名からとったはずです。東北大学の某学生運動セクトのたまり場という噂を聞き、私が行くのをためらっているうちに閉店しました。ニュートンについては下記のリンクをご覧ください。

石川裕人プロフィール(本人のブログより)

石川裕人Wikipedia

私はニュートンの活動初期、洪洋社の頃に知り合いました。友人の友人といった学生時代のつながりで。たしか稽古場に遊びに行ったことも。その後、十月劇場からオクトパスへと劇団の変遷は続きましたが、私はたまに気が向いたら観に行く、という付き合い方でした。

冒頭の画像はニュートンが参加していた同人誌『時空間 NO.1 ああ どうにも止まらない・・・・』(1972年11月20日発行)に掲載された「いしかわ邑」名での譜面。これは高校3年のときに上演した「秘密のアッコちゃん 凶状旅編」で使われたものかも、ブログに記述ありました。この同人誌はガリ版刷り、102ページあります。たぶん義理で買った(買わされた)ものでしょう。

そして、アヴァンにはもう一人演劇関係の有名人がいました。今も活動を続けている劇団IQ150の丹野久美子さん。

高校時代に演劇部で活動していた丹野さんですが、よくアヴァンにも来ていました。卒業するとアヴァンのそばのデパートに就職、職場を抜け出しては息抜きの場所に。そして演劇に専念するためデパートを辞めましたが、たしか短期間だけアヴァンのアルバイトをやったはずです。当時のアヴァンには大相撲の力士たちが仙台場所(当時は仙台で夏に一週間の興行がありました)になるとやってきました。マスター森さんのタニマチ趣味です。店の閉店時間後に宴会をやり、カラオケが恒例だったのですが、歌のうまい関取衆の向こうを張って歌謡曲を熱唱して大受けだったのが丹野さんでした。カラオケ音源は30センチLPの時代(これを知る人は少ないでしょう)、ライヴ用の簡易PAセットと店のオーディオのプリアンプをつないで、ヴォーカルマイクもデュエットを想定して2本用意。カラオケシステムのセッティングは私の担当でした。力士は亡くなった栃赤城関など春日野部屋が主。演劇舞台の劇中歌を歌い、ロックバンドのヴォーカルもやった丹野さんは当時から歌唱力抜群、歌姫でした。そして、「欽ちゃんの仮装大賞」に出演したり、その後の演劇界での活躍は御存知の通り。IQ150は全国に知られる劇団になりました。あまり知られていない彼女の過去ですので、書き留めておきます。

ということで、今回の締めはニュートンが昔アヴァンでリクエストしたという

セシル・テイラー『コンキスタドール』

あらためて、早逝したニュートンに 合掌


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