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にっこり笑ってフリージャズ その5

ぼのぼの

私が客で通い、アルバイトをし、1973年に従業員となったジャズ喫茶アヴァン。1983年に辞めたあと私が引き継いだのが1987年でした。店のある「政岡通」には仕事とは別に学生時代から暇があれば毎日のように通い詰め。なぜかというと八重洲書房という書店があったからです。「八重洲」というのは建物の名前で、東京駅の八重洲口にちなんだ名前だったのでしょうか、すえたような独特の匂いを今でも覚えています。戦後の闇市跡に建った地上3階(2階だったか?)地下1階。雑貨、荒物、乾物、菓子、野菜、飲食、ごちゃごちゃと店が入る古びたビルの地下に、その八重洲書房という狭い小さな本屋さんがありました。

店主は学生運動で大学を中退して書店を開業、運動仲間の親の援助があったとか。そんな関係で棚に並ぶのは社会科学系というか(新)左翼系というか、そういった書籍、雑誌、パンフレット、新左翼党派の機関紙(誌)、などなど。一般向けの雑誌や小説、随筆などもありましたが狭い店内では少なく感じました。ほどなく1階に移って、いくぶん広くなったのか文学書が増えた気がします。画像は1975年創刊の文芸同人誌、全国の書店に混じって八重洲書房の名前があります。

同人誌

その後、地道な棚づくりと販売実績の成果なのか、(たぶん)取次の会社がバックについて政岡通をはさんだ向かいのビル1階と2階に店舗移転。これには皆が驚きました。この頃が八重洲書房黄金時代なのかもしれません。岩波書店やみすず書房の人文書からエロ系ミニコミまで無茶苦茶に広い品揃え。1階から階段で直接上がれる2階の同じフロアには喫茶店もあり(映画通のマスターがいる「グッドマン」、自主上映など映画関係者のたまり場でした)賑わう日々でした。私は立ち読みに精を出し、書籍や雑誌は売り掛けで月末精算。直販が原則だった吉本隆明の同人誌『試行』は毎号書棚にあったし、カルト雑誌『JAM』のちの『HEAVEN』もあって重宝していました。本や雑誌の好きな人たちには天国です。

そして、その広いフロアの膨大な在庫量が元凶となって経営破綻〜移転復活〜閉店と激動の時代に。1970年に開店したときのビルが建て替えられた、同じ場所(今度は地下1階ではなく2階でした)に戻って閉店というのも因縁めいています。

資料として
若い世代による八重洲書房の記録(私の記憶と違っている箇所もあります)

上の記事にリンクされている八重洲書房店主の谷口和雄さんの1983年の文章

素晴らしい本屋さんだったと伝説のように語られることが多いですが、店主夫妻は鶴岡で元気に暮らしているはずだし、利用していた客もたくさんいますから、妙に懐かしんだりせず個人的な思いを記していこうと思います。次回は八重洲書房に勤務していた2人の友人について書くつもり。

冒頭の画像は八重洲書房のしおり、絵は宮城県出身、いがらしみきおさん作です。

今回はジャズに関係のない内容でしたが、はじめに八重洲書房があった「八重洲ビル」の地下には仙台で初めてのジャズ喫茶「角笛」がありました。昭和30年代、これこそ伝説です。行ったことがあるという人に私は会ったことがありません。ということで締めは角笛ではなくコーン・パイプを。

富樫雅彦カルテット『We Now Create』から「コーン・パイプの踊り」
高木元輝 コーン・パイプ
吉沢元治 ベース
富樫雅彦 ドラムス


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