見出し画像

霧雨



霧雨の降りかかる静かな森の中で
物言わぬ大きな木にもたれかかるように
肩を寄せあって目を閉じていた八月の夜

胸元から古い木の香りがした
ホワイトムスクのような
濡れた樹木のような 重く深い香り

夜の湿気で肌が濡れるよう

帰れば とわたしが呟くと
帰れないよとあなたは言った

こんなにちがう生き方をしてきたのに
わかり合おうとする人、人、人

あの夜 わたしの夏は死んだ
あなたの可愛いまつげが濡れていたから

どうして泣いたのよ あなた
あの日から身体がすかすかして仕方がない

ふいにスピーカーから流れるマンディ

雨の降る通りをふたりで歩いたでしょう
傘の中の小さな世界に隠れながら

植物の蔓のように絡みついていた
あなたの白い腕の優しさ ぬくもりも
なくしていくしかないんだね

あなたは疲れ果てうなだれて
わたしのもとまできたんでしょう

前に進むとあなたが言うなら
わたしはあなたと出会う前の
わたしにもどるしかないじゃない

あなたの人生を愛しているから

霧雨が窓を打つ暗い朝に
わたしの心は森へ帰ってゆく

懐かしいその木を探して
森の奥深くへ
ひとり帰ってゆきます


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?