あなたの罪を背負って死ぬこと



萩尾望都「トーマの心臓」のあらすじです。

シュロッターベッツ・ギムナジウムの優等生、ユリスモール・バイハン(ユーリ)。彼はある朝、一学年下の美しい生徒、トーマ・ヴェルナーが足を滑らせて陸橋から落ち、亡くなったことを耳にします。素直で可愛いトーマは、学校の生徒たちにとって、恋神・アムールのような存在でした。

誰もが不幸な事故としてトーマの死を悼むなか、ユーリは友人のオスカー・ライザーから、トーマが出した手紙が届いていることを知らされます。それはトーマがユーリに宛てて書いた愛の手紙、遺書でした。

「これがぼくの愛 これがぼくの心臓の音 きみにはわかっているはず」

トーマの死が自殺であったこと、その死に自分が関わっていることを知り、動揺するユーリ。しかし彼はその遺書を、トーマの墓前でびりびりに破きます。「きみなどに支配されやしない」と。

過去に過ちを犯し、自分自身を責め続けているユーリは、自分がトーマの愛に値する人間であるとはとても思えません。自分は誰も信じず、愛してもおらず、「だから誰もぼくを愛してくれなくともいいのだ」と自らに言い聞かせ、固く心を閉ざしていました。

トーマの愛を信じることができないユーリは、胸の奥にあるトーマへの愛を打ち消し、心の中から彼を抹消しようとします。が、墓前で手紙を破いたその直後、ユーリはトーマと瓜二つの転入生、エーリクと出会うのでした。

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私が初めて「トーマの心臓」を読んだのは、たしか18か19の頃のことだったと思います。小説を書き始めたのもちょうどその時期でした。未熟な素人ながら、私にも書く作業や作品を通して表現したいひとつの真理のようなものがあるとするならば、それはきっとこの「トーマの心臓」の根底に流れている愛の形と同じものであると思います。それは人生への賛歌であり、人間の弱さを肯定し、同時に人間の本来の強さや美しさを信じたいという愛の形なのです。


初めてこの作品を読んだとき、私はなぜユーリへの愛の証としてトーマが死ななくてはならないのか、その理由がわかりませんでした。本書の終わりに寄せられた大原まり子さんのエッセイには、「トーマの死は、恨みでも怒りでもない、それはただ、無償の、愛する者へのプレゼントであった」とありますが、それを読んでも、「死がなぜプレゼントになるの?なぜ死ぬ必要があったの?」という疑問が消えなかったのです。

でもあるときふと、イエス・キリストが人の罪を背負い、それを贖うために命を捨てたのと同じように、トーマはユーリの罪を背負い、彼のために死にたかったのだと気がつきました。(それまでずっとそこの解釈なしに感動してたんかい…という感じですが^^;)

過去の過ちにとらわれ、愛し愛されることを恐れるユーリにとって、トーマから注がれる無償の愛は、あまりにも大きな救いの光でした。何よりも求め、必要としているものでありながら、彼は自分の価値を見失っているために、手を伸ばしてその救いを受け取ることができません。愛する人を愛する資格がない。愛されていると信じたいのに信じるのが怖い。そんなユーリの苦悩は、彼がある過ちを犯してしまった夜から始まりました。


ですがトーマは、自分がユーリの罪を背負って死に、その事実を知ったユーリが、ユーリ自身を許し、そして自分(トーマ)を愛することで、ユーリは救われるのだ、とわかっていました。

この人の罪を許してほしいと望み、そのために我が身をなげうつことが正しいことなのかどうか、それはわかりませんが、ひとつの愛の形であることは確かだと思いました。

スタジオジブリの「風の谷のナウシカ」のことも思い出します。物語の終盤、ナウシカが身をもって王蟲の怒りを鎮めたのも、人間の醜さを受け入れた上で、それでも許したい、大地に、自然に、天に人間の罪を許してもらいたいという、ナウシカの愛の形のあらわれであったはずです。


トーマの生き写しのような転入生、エーリクとの愛憎入り混じる関係によって、少しずつ愛を受け入れ、自分を許すことを学んでいくユーリ。自分を縛りつけていた罪の意識や葛藤、苦悩から次第に解放されていくユーリの姿を見ていると、私までトーマやエーリクたちの生き方に救われ、存在を肯定されたような気がしてきます。

親子愛、友愛、性愛、親愛、無償の愛、人間愛、さまざまな愛の形を通して、物語の登場人物たちは本来の自分の姿へと戻っていきます。有名な作品なのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、「トーマの心臓」に惹かれる人々が大勢いるのは、そこに私たちにとっての真実、人生の意味があるからなのだと私は思います。

「トーマの心臓」は私の人生観や対人観、死生観にとても良い影響を与えてくれました。このような作品が存在していることを思うだけでも気持ちが救われます。

ユーリやトーマたちを懐かしく思うとき、心が悲しみや絶望にとらわれそうになったときなど、これからさき、何度でも読み返したい一冊です。


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