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「なんくるないさ」から考える切り抜きの怖さ

「なんくるないさー」皆さん聞いたことみたことありますか??
沖縄の方言で「何とかなるさ」という意味です。
沖縄関連のネットニュースがあり、コメント欄を見ていると、「沖縄人はなんくるないさーだから、テキトー」、楽観的であるというようなコメントを目にすることがあります。

さて、「なんくるないさー」には前段がありまして。
「まくとぅそーけー、なんくるないさー」でセット。
意味としては、「人として正しい行いをしていれば、なんとかなるさ」という言葉になります。

冒頭のコメントを批判したり、何かを擁護したいわけではなく。
言葉や文章には「文脈」がある。それだけを言いたいわけです。

大学受験を控えた高校生たちに「現代文」の授業をしていると、問題文を読む機会が増えます。
現代文、、、心から素晴らしい学問だと思います。
言葉のプロたちが、練って練って書いた文章を、試験を作成する方々が「この文章の本質が理解できているか」を問う。
感動です!!頭がさがります。

「切り抜き」は効率がいいかもしれません。情報が多い社会で、効率よく情報を取る手段として、存在意義はあるかもしれません。

でも、でもね。
相手が話すことの前後がわからないまま、文章で書いてあることの前後がわからないまま、何かを判断することの危うさ。

「スローガン(切り抜き)」で判断していたら、本質(こころ・情緒)を落としていく。
怖い、怖い。
焦らず、対話や文章を大切にしたいと思う今日この頃です。

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