ポーランドの友達の街で
イギリスはコロナの規制がなくなって、イギリスに住むポーランド出身の友人に数年ぶりに会った。
その時ポーランドはイギリスからわずか2時間以内で、近くの空港から飛行機が飛んでいると聞いた。
海外旅行のピークの7月になる前にポーランドへ行こうと決め、6月後半の飛行機を予約した。
ポズナンと言う彼女の実家のある街は、観光地としては有名でないけれど、ポーランドで1番古い街で、とてもきれいな街だと彼女は言った。
彼女も久しぶりに私より一足先に帰省する予定で、ポーランドで会えるかもしれないと聞いてより嬉しくなった。
空港からホテルに着いたらちゃんと彼女がホテルに待っててくれて、一緒にすぐに夕飯に出かけることができた。
彼女は帰省中の家に同居する甥と一緒で、ポーランド料理を私がリクエストして近くのレストランに3人で行きとてもおいしかった。
その後も彼女がイギリスに帰るまで何回か一緒に出かけた。
ある日ポズナンの街を歩いていた時、古い城壁などがある丘の下あたりで彼女が立ち止まった。
「子供の頃このプールによく泳ぎに来ていた」
建物は三角形の屋根でそんなに大きくはなくスイミングプールと言う感じではなかった。何かどこかで見かけたような懐かしい感じだった。
廃墟としてしばらく放置されたままのようだった。
「近くに野菜マーケットもあるよ」
私のホテルからは少し遠かったけど、マーケットで果物を買ってみようと思って翌朝一人で来た。
でもマーケットの人は、観光客は全然相手にしていなくて、ポーランド語しか通じないし、結局何も買えずに終わってしまった。偶然この建物の前を通ると、黒い石碑に下記のように書かれていた。
To the memory of the Poznan Jews murdered in the years 1939 to 1945 by the German occupiers.
This building housed a synagogue which was desecrated and turned into a swimming pool by the Germans during world war 2.
(1939 年から 1945 年にかけてドイツの占領者によってポズナンで殺害されたユダヤ人の記憶に寄せて。
このユダヤ教の神聖な教会であるシナゴーグだった建物は、第二次世界大戦中にドイツによりスイミングプールに改築されました。)
その後ポーランドのどこに行っても出会うことになった、ドイツやソ連の侵攻の歴史を垣間見たのは、この時が最初だった。