5. 古都キャンディで過ごす聖夜
マジックアワーが過ぎた頃、キャンディの街を目指して山にあるホテルからとぼとぼとGoogleマップを見ながら歩いた。
目指すはキャンディで有名なバラジ・ドーサ。ドーサというのはキャンディの郷土料理なのかなんなのか分からないが、とにかくカレーをクレープのような生地で包んだ有名な料理らしい。「バラジ」がいったい何なのかは分からぬ。が、まあきっと「美味しい」とかそういった名前なのではないかと思う。『地球の歩き方』に掲載されているレストランなので味に間違いはないだろう。
ホテルを出て、山道を下ること5分ほどで、大きな柵に囲まれた場所に来た。Googleマップはこの柵に囲まれた場所をつっきるように表示している。いったいこの柵に囲まれた場所に入れるのだろうかと思ったが、心配ご無用。現地の修学旅行生らしき制服を着た中学生たちが長蛇の列をつくり、教室の扉ほどの隙間から柵の中へ続々と入っていく。
何があるのだろうと思ってマップを確認すると、この柵の中にはお寺があるようだった。そのお寺の名前こそ、「仏歯寺」。しかもこのお寺はかなり有名で、キャンディ1番の名所といっても過言ではない。仏歯寺はその名の通り、仏陀の「歯」を祀る寺である。
日本の修学旅行生が京都へ訪れるように、スリランカの修学旅行生はキャンディへ訪れるのだろう。スリランカもかつてはここキャンディに王朝が存在していたし、仏歯寺は江戸幕府が開かれた年でもある1603年に造られたという歴史がある。
長蛇の列をつくり、わーわーきゃーきゃー騒ぐ修学旅行生たちの横を追い越すしていく。彼らは興味深そうな大きな目で僕を見てニヤニヤしている。
「君たち、中学生?」
「……」
通じていないようである。彼らはニヤニヤしながら顔を見合わせる。「何言ってんだこいつ」とでも思っているのだろう。
「何歳?」
言い換えてみる。
「……」
通じない。まだ中学生だし英語学習が進んでいないのだろうか。まあ見るからに中学1年生。日本の中1に「Are you junior high school student?」と聞いても同様の結果であるような気がしてならないから、仕方がないことなのかもしれない。
「僕は23歳。君たちは何歳?」
右手人差し指の中指を伸ばして2をつくった。同様に左手で3を表現し、ジェスチャーでなんとか伝える。
「あー、ボクは15歳です」
必死のコミュニケーションは伝わったみたいだったが、中1だと思った彼らは中3である。たしかに日本の修学旅行も一般的に中3だよな。
「おーー15歳だったかー!(話しかけたものの別に話すことないな)……うん、まあ…いい1日にして!」
彼らは朗らかな笑顔でバイバイ〜と手を振ってくれた。列をなした修学旅行生たちを追い越す度に熱い視線を感じる。その視線を辿るとニヤニヤする子どもたちの姿。その都度アイコンタクトで僕もニヤニヤし返しながら先を行った。
「日本人?」
今度はスリランカ人にしては背の高い175センチくらいの若い男に英語で声をかけられた。
タイで中国人や韓国人と勘違いされることが多かったから、こうして一発で日本人であると当てられるとつい嬉しくなって「イエス」と言って彼の方を振り向いた。
「なあ今ちょうど仏歯寺でスペシャルセレモニーが開催されてるぞ。それに行かないのか?」
イエスと言えば何かしらのセールスをされるはずである。翌日もキャンディにいるのだから、別に今晩急いで仏歯寺に訪れようとは思っていなかった。
「あー明日行くよ」
「何言ってんだ!今日は特別な日なんだぞ!今行った方がいい」
何が特別なのか分からないが、これから夕食を食べる予定があることを伝える。
「どこで食うん?」
「バラジ・ドーサ」
「おーーいいね!あそこまじ美味いよ。最高。だからこういうのはどう?仏歯寺行って、セレモニー観て、バラジ・ドーサ。これ完璧やで」
それもそうだし、まだ緊張しているのかお腹が空いているのか空いていないのか分からないから、食事まで若干時間を空けてもいい。
「でもね、その格好だと寺には入れないからこれを巻いていけ」
彼は僕が寺に行くなんて一言も言っていないのに僕の腰に布を巻き始めた。
おそらく宗教施設だから膝上丈のハーフパンツでは入れないのだろう。
しかし、巻かれた布はスリランカの国旗を彷彿とさせるデザインで思ったよりも可愛い。
「何これ、レンタル?」
「違う違う。8ドルで買い切り」
「8ドル!?高いわ」
円安ということもありドルで交渉されると高い気持ちがしてならない。まあ円安でなくても8ドルは高すぎるのだが。
「えーー、これ生地がいいからそのくらいは相場だぜ」
生地はツルツルとしており光沢がある。が、シルクなはずがなく、おそらく安価で生産可能なポリエステルだろう。
「俺は日本に恩義を感じてるんだ。日本が好きだ。日本人へのスペシャルプライス!」
どこがスペシャルプライスやねんと思ったが彼のキャラクターがどことなく悪い奴ではないため話を続けてみる。
「8ドルなんて持ってないから無理。てかルピーにしてよ」
「ルピーなら1000ルピーだ」
ん?急に安くなったぞ。8ドルは1200円、1000ルピーは500円である。この差額700円はどこにいってしまったのだろうか。なんかそれなら買ってもいいかもという気持ちがしてくる。とはいえもう少し値下げできるだろう。
「ほーん、900でどう?」
表情をできるだけ変えずに言ってみる。
「仕方ないなあ!俺は日本に恩義を感じてるから900でいいよ」
交渉成立。差額700円分はいったい何の恩義なのだろう。
1000ルピーを彼に手渡すときっちり100ルピーをお釣りでくれた。
「ちなみにさ、ダンス興味ない?」
何のダンスなのか分からないが、生まれてこのかたダンスに興味が湧いたことはない。強いて言えば憧れのマイケルジャクソンのムーンウォークを中学生のときに一人練習したことがあるくらいだ。
「何のダンス?」
「キャンディアン・ダンス。めっちゃおすすめ。キャンディに来てこれ観ないで帰るのは勿体無い」
「ちょっと考えとくね」
布を買ってしまったので今日のところは仏歯寺と食事だけで充実した夜になるはずだ。
「俺の店、この辺だからまた来てよ」
路上で売りつけられた形だったから、店がどこにあるのか全く分からなかったが適当に相槌して別れを告げた。
「寺の入り口は左だぞー!!じゃあな!良き日本人よ!!おやすみー!!!」
スリランカ人というのはどこまでも愛想のいい人間が多い。だからこそこうした「無駄な買い物」が増えるのだろう。しかし、この1枚の布は帰国後も想い出の品となり、彼との出会いもまた金銭を通じることで強固な想い出へと変換される。
彼が指差したエントランスから仏歯寺の敷地に入った。チケット購入は意外にも電子化されていて、日本の駅によくあるような自動切符売り場みたいなところがあった。その横におじさんが何をする訳でもなくぼーっと座っている。自動券売機の画面をタッチすると、そのおじさんが僕に向かって話しかけてきた。
「チケット?」
僕は頷く。
「2000ルピー」
言われるままに彼へ1000ルピー2枚を手渡す。入場料は約1000円ということか。彼は自動券売機を慣れた手つきで操作し、僕が渡した2000ルピーを機械に吸い込ませる。ビロー。チケットが発券できたみたいで、彼がチケットを僕に手渡した。これ用の従業員が操る自動券売機は自動券売機とは言いがたいが、これがスリランカという国なのだろう。
最後に彼から、エントランスの前に靴を預ける場所があるからそこへ行け、みたいなことを言われたと思う。
ウェブの情報通りで、仏歯寺は神聖な場所だからか素足にならなければ立ち入ることができない。現地人、外国人問わず皆エントランスの前で靴を脱ぎ、カウンターにいるおじさんに靴を手渡している。
僕もサンダルを脱ぎ、裸足になってカウンターにいるおじさんにサンダルを手渡す。すると控えであろう番号札が渡される。51番。イチローの背番号と一緒である。カープでいえば前田智徳、鈴木誠也、小園海斗の出世番号である。ちなみに僕の体重も51キロである。
おじさんは僕のサンダルを手に取ってテキトーに下駄箱へ入れる。よく見ると僕のサンダルが入った場所に51と表示されているから、帰りはそれで所有物を見分けるのだろう。
サンダルを預けたので裸足になっていよいよお寺の中へ入る。先程まで雨が降っていたということもあり、エントランスから建物の入り口までは若干泥が入り混じる石畳の道を歩いた。冷たく、ツルツルとしている。
寺の内部に入ると永遠と同じテンポ、メロディーを繰り返すラッパ吹きと太鼓を叩く寺の関係者が出迎えた。肌はこんがりと焼けて割にガタイもいいから、「肩に小ちゃいジープ乗せてんのかいっ!」と叫びたくなるが、ここは神聖なる寺である。グッと気持ちを抑えて先を進む。
参拝客の姿は圧倒的に多いから、彼らについて行けば順路を辿ることができそうだ。思考停止で列になって階段をゆっくり登っていく。たくさんの現地人、終始ニヤニヤしている修学旅行生、偶にファランの外国人。
2階に上がるとそこは人の山であった。身動きが自由にできない人口密度の中、ゆっくりゆっくりと列が進む。どうやら1日2回限定の仏歯とのご対面ができる時間であるらしい。仏歯は黄金に輝いていて正直何がどうなっているか分からない。そこにあるのは仏の歯ではなく、そこら辺のお爺ちゃんの金歯であっても誰も気づくことはないだろう。
しかし、興味深そうに仏歯を見つめる外国人観光客、手を合わせて目を瞑りシンハラ語で何かを唱えるスリランカ人の姿がそこにある。
僕も遠くから仏歯を見つめていたが、正直ごった返す人で何が何だかよく見えない。ちなみに現地の修学旅行生たちは仏歯よりも僕に興味があるらしく、肩をとんとんと叩き写真を撮って欲しいとジェスチャーをされた。
しゃあなしやで。かわいいから撮ってあげた。SNSに載っけてもいいか聴いてみる。笑顔で頷いているが、本当のところはどうなのだろうか。とりあえずぼかしの編集をしておきましょう。
ただ、僕の記憶に残る仏歯寺の印象はキラキラ光る仏の歯よりも彼らのスマイルになってしまったことは確かな事実である。
全員裸足なので誰か一人でも水虫がいた場合、感染するのではないかという恐怖心で結局滞在時間は20分ほどになった。1000円の価値があるのかはよく分からないが、修学旅行生たちが可愛いからオールオッケー。
仏歯寺を出て、また広大な敷地を歩くと目の前にお目当てのバラジ・ドーサがあった。これこれ。迷わず入店するが、注文システムがいまいち分からぬ。ただどうやら前の現地人を見るからにカウンターでメニューを頼み、席について待つということみたいだ。つまりは日本のカフェでのイートインと同じスタイルか。まあ、カフェなんて普段行かないから知らんけど。
「おすすめどれっすか?」
ドーサといえど種類が豊富で10種類ほどあったためカウンターの店員に聞いてみる。
「あー、辛いの食べれる?」
「ぶっちゃけ無理」
食べられるのだが、東南アジアや南アジアにおける辛さOKというのは激辛でも余裕という意味合いになるため、辛さは苦手と言うくらいがちょうどよかったりする。
「じゃあこれやな」
店員はメニュー表に指さしている。マサラ・ドーサ。
「じゃあそれで」
支払いを済ます。メニュー表に420と書かれているため、420ルピーを手渡した。日本円で約210円である。
「席座って待ってて」
店員のお兄さんが僕に番号の書かれたフラグを渡す。これを席に置いておけば注文が来るスタイルだ。
時間にして10分ほどで注文したドーサが来る。待ち時間の間はずっと現地人が食べている様子を観ていたから、食べ方はなんとなくわかったつもりでいたが、親切なウェイトレスで食べ方の説明をしてくれた。
クレープをちぎってお好みの3種類のカレーにディップして食べろと、非常に端的な説明だった。箸はもちろん、スプーンもフォークもナイフもない。現地人と同じく手で食うのだ。さすがに手が汚れていると思ってウェットティッシュで念入りに指を消毒してクレープをちぎる。若い女性が肩からぶら下げるブランド品のショルダーバッグくらいの大きなクレープで、真ん中に具が入っているのだろう。少し盛り上がっている。
生地をちぎってカレーにディップする。辛くないとはいえ辛いのではないか。おそるおそる口に運んだ。美味い。辛味はないとはいえないが日本のカレーの中辛くらいで全然いける辛さである。
おそらく1番価格の安かったプレーンドーサはこの生地とカレーだけなのだろう。ちなみに100円くらいだったはず。
しかしプラス120円で生地の中に具が入ってくる。といっても殆どはジャガイモでよく分からん草が入っている。その草はおそらく香辛料なのだろう。クレープの中に入っているカレーとディップするカレーの味は全く異なる。無論、同じカレーであることは分かるのだが、香辛料の違いが大きいのだろうか。
食べていて気づいたのだが、日本の手巻き寿司によく似ている。海苔を広げて米と刺身を盛り付け包み、醤油にちょんちょんとつけて食べる。ドーサもクレープ生地の中にカレーは入っているのだが、ちぎるとこぼれそうになるので手巻き寿司の要領で上手く包んで、カレーにディップして食べる。
最初はこんなボリュームのものを食べ切れるのか心配していたが、ぺろっと食べてしまった。
なんなら店を出た後、近くのパン屋に入ってマフィンとケーキ、紅茶を注文して店内でゆっくり時間をかけて食事をしたほどだ。値段を聞かずに頼んだが、これで200円ほどである。破格すぎる。日本にこの店があったら毎日通いつめたい。どうやらブレックファーストもやっているというので、翌朝はここで朝食を取ることにした。
ちなみにここの紅茶が絶品だった。スリランカに来てはじめてのセイロンティーでわくわくしていたが、その期待を上回るような濃厚な味わい。
夜にカフェインはよくないのだろうが、今日だけは特別。布を売りつけて来たお兄さんが言ったように、今日は特別な夜になった。
※この記事はスリランカ旅行記の連載です。是非他の記事も合わせてお読みください!
「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!