効率と奇妙な勉強法の狭間で
「暗記はその暗記したい「モノ」と出逢う回数を増やせ」
本なのか、先生なのか、頭のいい友達なのか、誰かは忘れたが、僕が高校生だったときに誰かから言われた言葉である。
僕は真面目な高校生だったのでその教えを忠実に守った。授業で学習したことについて、何度も問題を繰り返してその「モノ」と出逢う数を増やした。
だが、それだけでは足りない。もっともっと出逢わなければ暗記なんぞできない。そう思っていた矢先、当時の担任の先生の左手に乱雑な字でメモが書いてあったのが見えた。
「先生、それなんて書いてあるんすか?」
先生は快くそこに書いてあるものを教えてくれた。
「あー、これ提出物に関することで、絶対に言わないといけないことだから」
先生がそう言ったとき、僕は閃いた。手に、覚えたいありとあらゆる英単語を記せば絶対に覚えられるのではないか、と。
僕は放課後、部活をサボって一心不乱に自分の左手の甲に、青色の油性ペンで英単語を書き連ねた。
一つではない。数多の英単語をそこに記した。とはいえ、そこに日本語訳を書いたら、ビジュアル的にダサいので英単語だけを記し、その単語の意味が答えられなかったらすぐさま単語帳を開くという、効果があるのかないのか分からない勉強法を展開した。
ただ、今になってもっとダサいと思うのはそのビジュアルである。左手にびっしりと書き記されたブルーの英語。当時はこれがかっこいいと思っていたが、客観的にみたらイタいだけである。
それでも、食事中も風呂に入っているときだってトイレに入っているときでも常にその英単語を見ることになるので、おかげで「出会う回数」は爆上がりの一途を辿った。もちろん英単語の小テストも高い点数になった(と思う)。デメリットというデメリットは周りの目がキツくなること。それからテスト前に蛇口をひねって一生懸命消さなくてはならないということくらいだ。
我ながら革命的な勉強方法を思いついたと思ったものだ。なぜ誰も真似しないのか不思議に思ったものだったが、まあ万年真ん中程度の学年順位の僕を真似する人など出てくるとは思えない。
それでもいいのだ。こうして独自のスタイルを確立した先に大学受験合格の栄冠が待っているのだから。
と、思いたいのだが、やはり誰も真似しない点は「僕の成績」ではなくこの「手に直書きする」という愚直すぎる方法が問題なのではないかと思った。
では、手ではないもの。つまり、書くことにためらいを持たず、それでいて常に目にするものは何なのか。僕は興味も関心も持てなかった6時間目の生物の授業中、机の一点を見つめて必死にそれを考えていた。
「机に書けばいいじゃん」
今度は机に覚えたいことを書くという方法を思いついたとき、僕は一人、授業中であるのにもかかわらず、ぼそっと呟いてしまった。
生物の教科書を机の中にしまい、世界史のノートを取り出して開く。机をひとつの白紙のようにしそこへ思うがままに年表や地図、人物を自由に書き連ねていく。
そうこうしているうちに生物の授業は終わり、帰りのホームルームの時間も一心不乱に書き続け、なんなら部活をサボって放課後もずっと机に向き合っていた。
気づけば3時間も机の上に落書きをしていたが、もうそれはただの落書きではなく一種の作品であった。
その高揚感からスマホでパシャリと写真を撮ったのでそれをこのnoteでお見せしたいのだが、いくら探しても写真はみつからなかった。悔しいが、文章で想像してほしい。教室によくある一つの机に、びっしりと書かれた文字。ときに地図。この机を見るだけでその歴史がよくわかる、素晴らしい教材(作品)を作っていたのだ。
僕はしばらくの間、誰もいない教室で一人腕を組み、その机をにやにやしながら見ていた。
次の日、僕はその「作品」の上に教科書を置いていつもの通り授業を受けた。いや、いつもの通りではなかった。先生のくだらない雑談は一歳耳に入れず、ひたすら机の上を眺め、授業中はしっかりと集中して講義に耳をすませ、また先生が雑談をし始めたら机に目をやるというのを繰り返した。これは世界で一番合理的な内職ではないかと思った次第だ。
ただ、世界史の授業は移動教室でその席を離れて隣の教室へ出向かなければなるまい。本来なら机ごと移動したいのだが、さすがに目立つのでそんなことまではしなかった。
僕はその作品から寂しくも離れ、教室後方のロッカーで世界史の教科書とノート、資料集を手にして教室を出ようとした。その瞬間である。僕の「作品」——つまり僕の座席に着いた隣クラスの話したことのない女子生徒が、僕の机を見て、真顔でボソッとこう答えたのだ。
「え、キモ」
それは紛れもなく、無意識に出てしまった感想であった。どうしようもなく暑い夏の日中、汗を流しながら「アツ」と言ってしまうあのテンションで彼女は言ったのだ。
僕は聞かなかったことにして、隣の教室に入って世界史の授業を受けた。
授業終了後、僕は教室に戻り、自分の席に戻ろうとしたが、そこにあった光景は「作品」の上に先ほどの「キモ」と言った女子生徒が座り、その周りに女子生徒が何人かで談笑している様子であった。
僕の作品を踏んづけて、悪口を言っているのか!?僕はお前と話したことはないがお前よりも成績が高いことを知っているんだぞ!?
だが実態は別に悪口でも何でもなく、タピオカの話をしていた。なんやねん。タピオカかよ。
僕がその机にタピオカの歴史について記述していれば、彼女たちは机に夢中になっていたと思うが、いかんせん僕の作品は中世ヨーロッパ史に関する記述である。
「あ、そろそろ行こ!」
彼女たちが聖域から出た後、僕は再び目が点になる。そう、その作品の一部が消えているのである。
おそらく、あの女が机の上に乗ったときに消えてしまったのだろう。畜生め!僕は憎悪の念に駆られたが、それ以上に「キモ」という言葉に割りかし傷ついてしまった。
修復作業をしてもいいのだが、なんだかもう覚えた気もするし、何よりもう「キモ」なんて言われたくないし、ていうか明後日はもう定期テストだからどうせ消さないといけないし!?
僕は放課後、再び一人になったあとで無我夢中で落書きを消しゴムで消した。
その消しカスは儚い。校庭に下校のチャイムが鳴り響いているのもよく聞こえなかったほどである。
ちなみに世界史の成績はよかった。成績を得る代わりに別の何かを失った気もするが、またこうしてエッセイのネタ切れを回避できたのだから、よかったのかもしれない。受験生諸君は参考までにな!
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