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弓を引いてよかったと思う、たった一つのこと

 「高校時代、弓道部だったの?なんか集中力がつきそうだね。」なんて何度言われたことやら。確かに、的を見て弓を引いている最中は集中するのかもしれないけれど、そんなことをいったら野球でピッチャーがキャッチャーミットに投げ込むのと一緒だ。あるいはサッカーのPKとか、バスケのフリースローとか。なんなら、弓道は一回あたり四本しか射ないから、一試合で何百球と投げる投手と比べたら、弓道は集中力を競うスポーツではないと思うのである(武道をスポーツと呼ぶかは別として)。

 また、柔道や空手なんかは護身術として役に立つことがありそうだし、喧嘩にも強くなれそうだが、弓道は弓と矢がなければ身を守ることも喧嘩もできない。全くと言っていいほど実用性に欠けるのである。

 では、弓道を3年間続けてよかったこととは何だろうか。弓を引くための筋力?精神力?無論そんなことはないし、実生活に役に立っていることなんて何一つないと思う。

 しかし、弓道部に入ったことでかけがえのない友人ができた。これだけは譲れない財産である。スランプに陥ったときに助けてくれるのはいつも彼らであった。ライバルともいえる関係なのに射型のアドバイスをつきっきりでしてくれるし、その指導を正規練習後の自主練習のときにもしてくれる。

 僕が個人戦で入賞したときに一緒に喜んでくれたのも彼らだった。また友人が入賞したときも自分のことのように嬉しかったことを覚えている。いくら個人戦とはいえ皆で切磋琢磨しあって作り上げた射型は決してその人のものではなく、皆から教えてもらった要素を含んだ、「みんなの射型」だ。

 勉強との両立が難しかった定期テスト前、部活帰りの夕方に成績の良い友人から古典の助動詞の覚え方を教えてもらった。「ず、ざら、ず、ざり…」と活用形を唱えながら足を前へと踏み出していく。テストが終われば恋の相談をしあったりもした。弓道とは全く関係のない、こんな時間もまた楽しいひと時だった。日が沈み薄暗くなった時間帯に話した助動詞の活用や恋の相談。日は沈んでも、僕らの青春が沈むことはなかった。

 高校を卒業してから3年経った今も彼らとの交流は絶えない。先日、部員の何人かで険しい山に登ったし、今年の夏にはバーベキューをする予定だ。当然、これからは皆違う業界に就職して、皆違う人生を歩んでいくことになる。根拠なんかはないけれど、僕らが別々の人生を歩もうとも交流が途絶えることはない気がする。僕という人を作りあげたのは彼らで、彼らという人たちを作りあげたのは僕たちだからだ。


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