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はじめての諸行無常

スーパーマーケットにて、はじめて諸行無常と出会えた。されどはじめて平家物語に触れたのは小学生の頃。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」
クラスメイトと一緒にかの有名な冒頭を音読して、現代語訳を確認した国語の授業の時である。

しかし小学生が「諸行無常」なんて分かるわけがなく、気づけばその謎を抱えたまま僕は高校3年生になっていた。高校3年生は3年生でも、高校時代も終わりに差し掛かかった晩秋のこと。僕は駅近のスーパーマーケットでバイトを始めたのである。

バイト初日、社員さんから従業員が着用する年期の入っている色褪せたエプロンを渡された。どうやらそのエプロンは就職か何かで今は亡き、「デキる」ベテランバイトが使っていたものらしい。社員の人らはそんな話をわざわざ僕の前でするのである。いささか気が重たい。だって僕はそのエプロンの結び方も、「いらっしゃいませ」のイントネーションも、まさに右も左も分からない新人バイトの斉藤君である。が、大学生バイトの優しいお兄さん方たちが懇切丁寧にお世話をしてくださったから、なんとか僕なりではあるが期待に応えようと勤めた(その節はどうもありがとうございました)。

業務は主に品出しがメインだったが食材の消費期限を見て値引きも行っていた。実はこのバイトは割に天職なのではないかと思ったことがある。というのも、自分で50%オフのシールを貼ったパンをこっそりバックヤードへ持って行って休憩時間の前半に会計を済ませ、後半は悪い顔して一人休憩室でくつろぐという時間は大変雅やかであった。

ほかにも、パンやお惣菜の値引きに雁首を揃えて群がるお客様たちを前に最初は慌てふためいていたが、慣れとは恐ろしいもので半年ほどの経験を積んだ僕はまるでその場(いやその時空間といったほうがふさわしいか)のすべてを支配するような不思議な優越感を感じながら、値引きシールをゆっくりと貼り付けていった。これがたまらなく愉快である。

僕が値引きシールを貼り付けた瞬間、餌に飛びつく魚のように主婦たちの争奪戦が始まるのだ。その争奪戦に勝った者は満面の笑みで煌々と照らされる今晩の夕食をイメージしながらレジへ颯爽と駆けていく。一方負けた者は抜け殻になったような佇まいでとってつけたような店内にこだまするチープなBGMを背景に、意識のないキョトンとした顔に見えた。

ある種、人間らしさあふれるスーパーマーケットでの人々の奮闘ドラマを、僕は大河ドラマよりも多い頻度で毎週見ていたのだ。こんなに素敵なバイト、ほかにあるものか。

しかしこの値引きよりも好きな作業があった。「前陳」である。その名の通り、商品を「前に陳列」する作業だ。バイトをするまでは全く意識していなかったが、スーパーやコンビニ等で商品が美しく並んでいるのは店員さんによる前陳の賜物なのだ。

商品をひたすら前へ前へと持ってくる。フェイスと呼ばれる商品の名前や絵柄が堂々と描かれている正面を美しく見せる。そのためにポテトチップスのような袋に入っているものは、その袋のシワを上下に引っ張って伸ばし自立するようにそっと置くのである。まるで息子のYシャツのシワをアイロンで伸ばしてあげるという愛と、息子の自立を促す愛を同時に行う素敵な母親のようなことをする。こんな母性本能くすぐられるバイト、ほかにあるものか(メタファーなのでジェンダーが云々ってここでは言わないで)。

そして棚一面を美しく仕上げる。すべての商品のフェイスが正面を向き前ならえで整列している姿は小学一年生のランドセルのよう。ぴかぴかと煌めき、そしてこの美しさが何年、何十年、いや何百何千年と継承され伝統たるものになっていくだろうと確信するのも束の間。

仕事帰りのスーツを着たサラリーマンが美しく並べた商品を手に取っては乱雑に戻し、また取っては乱雑に戻しを繰り返していた。あれほどまでに栄えた美しき都は今や荒廃。青く澄んだ空は一面灰色と化した。その瞬間、僕の頭によぎった。「諸行無常の響きあり」だ、と。

シンセサイザー多用のスーパー特有のチープなBGMは止まり、聞き馴染みのあるあの音楽が店内に、脳内では詩が流れた。

『蛍の光』の鐘の声、諸行無常の響きあり。

褪せに褪せた前掛けエプロンの色、盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず、ただ値引き合戦に負けた主婦のごとし。

猛き者もついには滅びぬ、ひとへに前陳した意味を問う私に同じ。

こんな歌を詠んだら琵琶法師の琵琶でかっとばされそうだが、パロディーは表現の自由ですから許したまへ。

はじめての諸行無常を体感することのできた、スーパーマーケットには恩義を感じているが、やっぱりエプロンは新品がよかなむ。(よかったなあ〜)



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