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#エッセイ

フィルモア通信 New York Seiji&Huberts going going gone.

フィルモア通信 New York Seiji&Huberts going going gone.

セイジ、ニューヨークタイムス、ぼくらの手

 セイジさんは日本の大企業から在米駐在としてニューヨークにやってきた。そして何年か後アメリカ永住権を取得して会社を辞め、四十歳を前にして料理の道に入った。当時アメリカでは最高峰の料理学校、ニューヨークアップステートにあるCULINALY INSTITUTE OF AMERICA 通称CIAは授業料も高く基本的に全寮制なので除隊補助でもないと自力でやるしか

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Seiji’s Duane Park Cafe 最高の一皿

Seiji’s Duane Park Cafe 最高の一皿

リブアイステーキ、クリスピースケート、セイジ・マエダそしてレナート 

レナートは17歳の冬をニューヨークで迎えた。メキシコからの国境をどうにか越えてやって来た。

 デュエインパークカフェはトライベッカの南、ウエストブロードウェイをデュエインストリートの東に折れてすぐに柳の植え込みが目印となるアイリッシュグリーンにペンキが塗られた古いアパートメントの一階にあり、1ブロック西にデイヴィッド・ブレの

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フィルモア通信 New York  No23 Charlie Chan

フィルモア通信 New York No23 Charlie Chan

チャーリー・チャン、シャーリーテンプル、ステットソン。

 ぼくは次の二ブロック先の角を曲がり自分が住むストアフロントへ車道を横切りながら、チャールスを思いだした。何か月か前にぼくはここで家から出る時、東四丁目をセカンドアヴェニューの方にゆっくり歩いてきた彼に会った。

 半年ぶりくらいに会った彼は痩せてはいたが赤いセーターも似合う相変わらずかっこいいダンディだった。「チャールス!」と声をかけると

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フィルモア通信 New York No17     流れる水

フィルモア通信 New York No17     流れる水

流れる水

 天ぷらの修業のつぎは鰻の捌きを覚えようと思い立ち、中央市場の老舗の川魚店に見習いに行くことにした。
朝四時からその捌きは始まり、六時には終わるのでそれから仕事に行くことになった。その川魚店には鰻捌きの名人と言われる人がいて、多くの京都の料理屋がその名人の捌いた鰻を仕入れに来ていた。

 名人は初老の痩せた男で、子供の頃からこの道一筋らしく、まな板の位置と右手の包丁使いの動きに合わせ

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フィルモア通信 New York No16 五十年の鰻、十六歳の天ぷら

フィルモア通信 New York No16 五十年の鰻、十六歳の天ぷら

五十年の鰻、十六歳の天ぷら
 ソーホーのミキオさんのその店は昔、映画ゴッドファーザーの原作者、マリオ・プーゾが彼の著作を書いていたこともあるという静かな下町のイタリアンカフェを日本料理屋に改装した、オーナーのミキオさんの美的センスが座布団やメニューブックの造りに顕れている、地元ソーホーのギャラリーオーナーやアーティストそしてミュージアムのキューレーターたちが通ってくる小さな日本レストランだった。

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フィルモア通信 New York NO7        ダグマール

フィルモア通信 New York NO7     ダグマール

 スカンジナヴィアの名前のとおりにダグマールは北欧女性のように肌が白くブロンドの髪が輝いていた。ブラジル人らしく陽気で、笑うと青い瞳が細くなった。

 ローウァーイーストサイドの英語学校で知り合ったころ、ぼくらは二人とも仕事が無かった。彼女はブルックリンに住んでいた。
 
 ぼくよりも数段英語が出来たが仕事は見つからなかった。お金を貯めてカレッジに行きジャーナリズムを勉強するのだと言っていた。サン

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