Seiji’s Duane Park Cafe 最高の一皿
リブアイステーキ、クリスピースケート、セイジ・マエダそしてレナート
レナートは17歳の冬をニューヨークで迎えた。メキシコからの国境をどうにか越えてやって来た。
デュエインパークカフェはトライベッカの南、ウエストブロードウェイをデュエインストリートの東に折れてすぐに柳の植え込みが目印となるアイリッシュグリーンにペンキが塗られた古いアパートメントの一階にあり、1ブロック西にデイヴィッド・ブレの店があった。
1991年の冬、ぼくはセイジさんのそのレストランにいた。
レナートは同じメキシコ人でガーマンジェを任されていたセリーロの紹介でレストランにやって来た。ぼくにはその少年は中学一年生くらいに見えた。アメリカに来たばかりの彼は英語は話せなかったが、与えられた皿洗いの仕事をよくこなした。忙しいディナーの最中にはセリーロから言われた雑用もこなしながらぼくらの仕事をよく見ていた。
レナートに用事を頼むにはセリーロに通訳を頼まなければならなかったが、レナートは察し良くすぐに手を貸してくれた。いつもにこにこ子供のように笑うレナートをキッチンのクルーもサーヴィスの人たちも彼を愛した。ぼくがふざけてバンビーノ、と彼を呼ぶと顔を赤らめたがバンビーナ、レナータとからかうと口をとんがらせて怒った。
ぼくはデュエイン・パーク・カフェでも魚と野菜のステーションをやっていた。オーナーシェフのセイジさんはニューオリンズのケイポールの伝説のオーナシェフ、ポールの右腕として働いていた後ニューヨークに戻りヒューバーツに来てぼくらは知り合った。そして、しばらくしてデュエイン・パーク・カフェを開いた。
ニューオリンズ時代にはレーガン大統領にもポールと一緒にサミットの料理を作ったこともある、セイジさんの料理は本当に美味しかった。当時ニューヨークで一番といわれた牛肉専門卸問屋のデ・ブラッガの社長とも知り合いのセイジさんはそこの素晴らしいリブアイステーキを仕入れ、彼オリジナルのパンブラックエンドステーキを焼いた。
それはいつでもどんなに忙しい時でも香ばしく見事に焼き上がり、ミディアムレアのそのステーキはジューシーだが肉汁が皿の上に流れ出すようなことがなかった。
肉を焼いてからの休ませ方に熟練があるらしかった。
週末のデュエイン・パーク・カフェは忙しかった。ぼくもセリーロもセイジさんも猛烈に働いた。
レナートは皿を洗いながらセリーロのために、足りなくなった野菜を洗ったりアイスクリームを取りに地下のストックに走ったりしていた。ぼくは出来上がった魚やガーニッシュを皿に盛り付けていると視線を感じ顔を上げるとレナートがじっとぼくの指先を見ているのだった。ぼくがレナートに、おまえは料理が好きかと問うとセリーロの方を見ながらシー、と言った。すぐにイエスと言うようになったレナートは顔を赤らめ恥ずかしそうに覚え始めた英語をぼくたちに話した。
それからレナートはぼくがオーダーを訊いて作り始めた皿の足りない調味料を頼む前に持ってきてくれたり、キッチンを離れたあいだに入ったオーダーの料理をぼくのために準備してくれていたりした。セイジさんとぼくはレナートに忙しい週末に料理のサポートをさせようと、先づはセリーロの仕事の見習いをやらせてみるとすぐに仕事を覚え上達した。
ぼくらはレナートはシェフになれるかもしれないと思った。性格の良さ手足の動きの
素早さ、観察力と勘の良さがあった。レナートに魚を焼かせてみるとぼくとそっくり同じように素材と道具を扱った。そして手が優しかった。いよいよぼくらは彼にメインディシュの仕事を教えることにした。
セリーロのガーマンジェの仕事とは違ってぼくらのステーションは手早さだけでなく緻密で正確な時間の判断が必要だった。そしてひとつひとつの料理のオーダーを読みこなさなければならなかった。レナートは壁にぶつかった。彼は時計の針の読み方を知らなかった。
英語だけでなく字が読めなかった。注文された伝票が読めないので記憶だけで溜まったオーダーをこなさなければならず、忙しい週末は彼を使えないことになった。
ぼくはなんともいえない気持ちになった。字が読めないということが自分には想像がつかなかったがレナートのことを考えると胸がつまり、なにかが込み上げてきた。ぼくはレナートに学校へ行くように、と言った。レナートはイエス マサミ アイ ウィルと答えて、ぼくを見た。
十二月のとても冷える夜、最後のオーダーを出し終わり深夜のキッチンからセリーロやレナートが居なくなってぼくらが探すとキッチンの地下の倉庫から路上に続く階段に上がって外を眺めるセリーロたちがいた。じっと見ている彼らの後から階段を上がると辺りは真っ白だった。雪が降り積もりぼくらの息も白くなった。レナートには生まれて初めて見る雪だった。彼は英語で何というのかとたずね、スノウと答えるとレナートはスノウ、と繰り返した。もうすぐクリスマスの静かな夜だった。
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