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フィルモア通信 New York NO7     ダグマール

 スカンジナヴィアの名前のとおりにダグマールは北欧女性のように肌が白くブロンドの髪が輝いていた。ブラジル人らしく陽気で、笑うと青い瞳が細くなった。

 ローウァーイーストサイドの英語学校で知り合ったころ、ぼくらは二人とも仕事が無かった。彼女はブルックリンに住んでいた。
 
 ぼくよりも数段英語が出来たが仕事は見つからなかった。お金を貯めてカレッジに行きジャーナリズムを勉強するのだと言っていた。サンパウロではテレビのレポーターをしていた。

 ある日、ほくは意を決して彼女に電話した。映画を観に行こう、断られるのが恐ろしいので、アップタウンの映画館のまえで今から待っていると言って受話器を置いた。一時間位して彼女は映画館にやって来た。「マサミ、おまえはしょうがないな」と言いたげなスマイルでぼくを見た。

 Time Stand Still という題名のその映画は恋愛ものでもなく、ぼくには良く分からなかった。ダグマールは面白かった、と言ったのでそうだねと返した。これから仕事を探しに行くといって彼女は日暮れのアップタウンから地下鉄に乗って去って行った。

 ぼくは少し幸せで、しかし寂しかった。それからしばらく彼女に会うことは無く、ぼくは日本料理屋で働き始め英語学校にも行かなくなった。共通の友人がいたのでダグマールの厳しい生活事情や仕事探しの事などを聞いて、いつか食事に誘ってやろうと思っていた。

 彼女は街角でETのフィギュアを売ったり、友達とブラジル弁当をミッドタウンのオフィス街に売りに行ったりしていた。彼らは1日二時間の睡眠で弁当を作り続けるらしく稼いだ金はドラッグに消えてしまうらしかった。
 

 ミュージシャンの友人が小さなラテン系のクラブに出ると聞いて仕事が終わってから出かけて行くと、そこにダグマールがいた。
 相変わらず彼女は美しかった。華奢な身体で音楽に合わせて見事に踊った。彼女に付き合って飲めないビールを飲んでぼくはふらつく足で踊った。早口で喋る彼女の言葉はほとんどぼくには分からなかった。

 そのうち、「マサミ、おまえジュードーできるか」と聞いてきたので高校で習った受け身と一本背負いを思い出しその格好を彼女に見せると、ここで教えてくれと言い出した。

 混み合うクラブのフロアーでぼくは自分でひっくり返って受け身をやって見せると彼女は素晴らしいと言って手を叩き、周りの連中が場所を空けて、もう一度、というのが聞こえた。ぼくは急に死ぬほど恥ずかしくなった。

 ゆっくりゆっくり一本背負いの型を彼女の身体にかけ、身体を支えながら投げてやると、受け身をして素早く起き上がってきた。

 見かけによらず、彼女は重たかった。ダグマールは「今度はわたしがおまえを投げる」と言ってきて、すばやくぼくの腕を掴み背負い投げた。長い脚と腰の力を感じてぼくは硬い床に背中をぶっつけてひっくり返った。

 彼女は手を叩いて嬉しがり、「One more time」と言ってぼくを投げた。無邪気にはしゃいで何度も何度も、「One more time 」とせがむダグマールの手足の力を受けながら、彼女のニューヨークでの鬱憤と怒りを感じた。

 寄る辺無い女性の、なんの力にもなれない自分はせめて思いっきり投げられてやろうと、ダグマールの投げをフロアーの受け身で応えた。ぼくは二十九歳になっていて女は未だ知らなかった。

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