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伊藤緑
2020年11月29日 12:46
あなたのためを思って。想って。 そんな言葉を聞くたびに、違和感を覚えます。本当は自分の考えを押しつけたいだけに見えるから、自分のためにしか聞こえないから、というのも、もちろんそうなのですが、そもそも疑問なのは、想っていれば許されると、想ってさえいれば構わないといった、底にあるものそれ自体です。 想いさえすればいいんでしょうか。想ってさえいれば、何を言っても、しても許されるんでしょうか。相
2020年11月19日 18:30
ランドセルを背負った子どもが、道端で泣いていた。手で腕でごしごしと、瞳を拭っていた。 この一瞬に、すべてが詰まっています。この子は果たして、どんな気持ちでいたんでしょう。誰かの心を理解しようと努めるとき、人はどういうふうに、思考の毛糸を編むでしょう。 泣いているってことは悲しいんだろう。つらいことや嫌なことがあったんだろうな。そういえば自分も、帰り道に泣いたことがある。あのときはあぁいう
2020年11月15日 18:30
ある人間のしたことが不愉快だと思うのなら、そしてそれを表明したいのであれば、そう言葉にすればいいのですが、そういうときに、人は「不愉快」とは言わない。道徳や倫理や人間性や、社会や人数や他者などという曖昧なものを理由にして、根拠にして、その行為の問題性をでっち上げようと、あるいは極端なまでに誇大化しようとする。自分の不快感に、正しさを付与しようとするんです。 そんなことを言ったら傷つく人がいる