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整形して、綺麗になったのは

ずっと前から二重になりたいと思っていた。私がかわいいと思う子、周りからかわいいと噂されている子はみんな二重まぶただった。

高校3年の最後はほとんど学校に行かなくていい時期であり、通信制高校だから尚更だった。その機会を使って、私は二重にすることに決めた。

二重手術には大まかに分けて2種類あって、埋没法切開法というものがある。

埋没法はまぶたに糸を埋め込むことで二重にする方法。こちらは手術痕も少なく、ダウンタイム(整形後顔が腫れる期間)も少ない。

切開法はまぶたにメスを入れて縫い合わせ、傷跡を二重のラインにするという方法だ。こちらは傷が大きいのでダウンタイムが長い。少なくとも1ヶ月はパンパンに腫れていて外を歩くにはサングラスが必須となる。そして完全に馴染むのは半年以上かかるという。

私が選んだのは切開法だった。一生の二重を手にしたい。後戻りしたくないという気持ちが強かった。

二重手術をする人の中にはやはり「顔にメスを入れるのは怖い」という方が多いが、私は全く怖さはなかった。一重まぶたのコンプレックスが強過ぎた。ただひたすらに、なるべくきれいになりたかった。かわいくなりたかった。

まずはカウンセリングで医師とどのような二重のラインにするかを決め、そして手術日程を決める。

当たり前だが、カウンセリングの後スタッフさんに「当日はノーメイクで来てください」と言われた。

私の家からその美容整形外科までは、電車で30分以上かかる。その間、ノーメイクで外に出ることが憂鬱だった。それくらい、私は素顔にコンプレックスを持っていた。

当日、「これでもう二重になれる」という晴々とした気持ちと、ノーメイクでクリニックまで行かなければならない憂鬱さの相反する気持ちを持ってクリニックへと向かった。

街中にはいろんな鏡がある。
トイレ、ショーウインドウ、電車の窓、自動ドア。
その全てに映る私の顔が嫌いだった。どう考えても可愛くない。
でも、今日で全ておさらばなのだ。そんな気持ちでクリニックへ着いた。

簡単に洗顔を済ませ手術室へと足を踏み入れると、そこはまるで映画やドラマに出てくるような、よく見る手術室だった。しかし外科ではない。美容整形外科だ。棚に置かれている薬品や器具などは、何か少し、映画やドラマのものとは違っていた。

「手術台に上がってください」
と言われ、私はスリッパを脱いで手術台に上がった。眩しいライトが上にやってくる。私はとっさに目を閉じた。
まぶたに部分麻酔を施され、私の変身のための手術が始まった。

手術中は、ずっとまぶたをいじられている感覚はあるが何も痛みは感じない。
「今メスを入れられてるのかな」
「縫われてるのかな」
そんな感触はするけれど、まぶたを開くことが出来ないのであまりよくわからない。先生も私には何も言わずに、看護師さんとだけコミュニケーションをとっている。そうして手術は終了した。

診察室に通され、手鏡を渡される。初めて術後の自分の顔を見ることになった。

パンパンに腫れたまぶたが、きっちりと二重になっていた。

私は感動した。こんなにも私の目が開いているのを、生まれて初めて見た。その気持ちでいっぱいだった。腫れがいつ引くのかは気になったが、それよりも嬉しさのほうが強かった。

それから数ヶ月、私は大学に入学を果たした。

新しい顔になった私はメイク方法も変わり、大学に入学してすぐにできた友人たちには「のかちゃんはかわいいよ」「きれいだよね」と言われることが増えた。

そして何より、「顔小さいね」と言われることが明らかに増えた。

整形前はそんな褒めかたをされたことなんて一度もない。私が立てた仮説は、「目が二重になったことによって人が顔を見るときの印象が変わり、顔の輪郭に目がいくようになった」だ。結構合っているのではないかと思う。

整形をしてほんとうによかった、と思った。しかし、「今までにもそういう言葉を、もしかしたらかけてもらっていたのかもしれない」と思うようになった。実際、高校三年間と今でも付き合いのある友人は、整形前にも「のかちゃんはかわいいよ!」と言ってくれた覚えがある。

でも、そのときあまりにもコンプレックスが強く、「かわいい」「きれい」という言葉を素直に受け止められなかった。どんなに誰かにかわいいと言われようと、どんなにきれいだと言われようと、自分の心が認めていなかったのだろう。だからもしかすると、その友人以外もそういう言葉をかけてくれていたのかもしれないが、それを一番否定していたのはきっと私だった。

整形してきれいになったのは、目だけじゃなく、一番は心なのかもしれない。

この文章が、二重整形を考えている人の後押しになればいいな、と思う。

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