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何のために勉強をするの?

私は子供のころ、勉強が大嫌いだった。
「こんなことが一体、何の役に立つのだろう」と思っていた。

ある大人は、「いい大学に入って、いい会社に入るためだよ」と言った。
その大人は、高卒で、仕事もさほど楽しそうではなかった。

ある大人は、「立派な大人になるためだよ」と言った。
その大人は、大して立派な大人には感じなかった。

ある大人は、「大きくなってから役に立つからだよ」と言った。
その大人は、専業主婦で、勉強したことが役に立っているようには見えなかった。

ある大人は、「将来の選択肢が増えるからだよ」と言った。
その大人は、若いときに、よりどりみどりの選択肢があったようには思えなかった。

ある大人は、「テストで点数を取るためだよ」と言った。

…うん、なるほど。これが一番、直球でわかりやすい。他の大人たちが薄っぺらい答えに終始する中で、最もしっくりきた。
確かに、テストで点数を取る能力というのは、公務員や士業など、ある一定の職業に就くには必要なものだ。
しかし、当時の「ぼく」にはそんな夢や目標などなかった。


何よりぼくは、「勉強しなさい」と親に言われることが、とても嫌だった。

計算ドリルをやらなければ、大好きなゲームをやらせてもらえなかった。
だから仕方なく、ドリルの巻末についていた答えを丸写しして出してみた。一発でバレて怒られた。

全問正解したのが良くなかったのかな、と思い、何問か間違えてみた。
でも、途中計算がなく、いきなり答えが出ているものだから、これもすぐにバレて、こっぴどく怒られた。そして、ドリルの答えをちぎられた。

ドリルをまともにやるのはどうしても嫌だったので、親が寝静まってから、こっそりゲームをするようになった。
すると、トイレに起きてきた親に見つかり、ものすごい剣幕で怒られた上に、ゲームをどこかに隠された。

仕方がないので、親が出かけている間に、ゲームのありかを家じゅう捜索してみた。親の隠すところなんてたかが知れている。あっという間に見つけることができて、思いっきりゲームに興じた。
しかし、あまりにも夢中だったため、外出から帰ってきた親に気づかなかった。鬼の形相で怒られた挙句、絶対に子供の手が届かないところに、ゲームを封印された。

…我ながらもの凄い執念である。

要は、ぼくにとって勉強とは、大好きなゲームで遊ぶために、「仕方なくやるもの」だったのだ。

さて、話を本題に戻そう。

「何のために勉強をするの?」

子供に聞かれて困る質問ベスト3の常連であろう、このお題。皆さんなら、我が子にどのように答えるだろうか?

2005年にヒットしたドラマ、「女王の教室」

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主演の天海祐希さん演じる教師、阿久津真矢が、クラスの生徒に対して次のように話している。

勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。したいと思うものです。

これからあなた達は、知らないものや理解できないものに沢山出会います。
美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。

そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したい、と自然に思うから人間なんです。好奇心や探究心のない人間は、人間じゃありません。猿以下です。自分たちの生きているこの世界のことを知ろうとしなくて、何ができるというんですか。

いくら勉強したって、生きている限り分からないことはいっぱいあります。世の中には、何でも知ったような顔をした大人がいっぱいいますが、あんなものは嘘っぱちです。良い大学に入ろうが、良い会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと思えば、いくらでもできるんです。
好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。

勉強は、受験のためにするのではありません。

立派な大人になるためにするんです。

なるほど。大人になった私にとっても、至極納得のいく説明だ。

本来人間は、知的好奇心の塊のような生物である。どんな人も幼い頃に、周りにある全てのものに興味をもち、片っ端から触れて、臭いをかいで、じっと眺めて、口に入れてみたはずだ。
知らなかったことを知ることや、できなかったことができるようになることというのは、本来とても楽しくて、ワクワクすることなのだ。

しかし、「何のために勉強をするの?」という子供の質問の裏側には、勉強に対する「しなければならないもの」「やらされるもの」「苦痛なもの」「耐えがたいもの」という、否定的な感情が潜んでいるのは間違いない。

その証拠に、「何のためにゲームをするの?」とか、「何のためにYouTubeを見るの?」などと子供から聞かれることは、まずないだろう。したいからするのだし、見たいから見るのに決まっているからだ。疑問の余地などあろうはずがない。

ちなみに私は、学生時代あんなに嫌いだった勉強が、今では大好きだ。誰かに強制されることもなく、自ら能動的に勉強に取り組み、勉強を楽しんでいる。

その理由は、勉強の意義を、心から感じられているからだろう。

自分が勉強をすることで、新しい知識や技術を身につけることができる。そしてそれが、自分や他の誰かの役に立つ。その結果、自分の周りの世界が変わる。そんな経験のひとつひとつが、「もっと知りたい、もっと学びたい」という原動力となっているのだ。

しかし残念なことに、学校の勉強は、皆一様に、一律のカリキュラムが組まれている。ひとりひとりの個性や能力、その子の興味や関心、解決したい問題や身につけたい力などは、一切無視だ。必然、主体性が奪われ、どうしても子供は受動的な姿勢にならざるをえない。かつ、幼い頃は、その必要性も意義も感じづらい。これでは勉強が嫌いになるのも無理はない。

そんな、皆が避けて通れない画一的な学校の勉強にも、ある一定の力を身につけるのに役立つ、という側面がある。
その力とは、「学力」つまり「学ぶ力」だ。学力という言葉の中には、計算力、論理的思考力、読解力、記述力、記憶力、理解力、問題解決能力など、様々な意味を内包している。流行りの言葉でいうと「認知能力※」というものだ。

※一方で「非認知能力」というものもある。ご存じない方はぜひググってほしい。遊びや部活動、習い事や友人関係など、基本的には座学以外で身につく能力のことだ。これも社会で活躍する大人になるためには欠かせない力である。認知能力と非認知能力。この2つの力をバランス良く身につける必要があるわけだが、人間の認知能力に頼る作業が、どんどん機械に置き換わっていくであろう未来を生きる子供たちにとっては、むしろ、非認知能力を養わせることのほうが大切だと考えられている。

よって、「勉強が嫌なの?それなら、今後一切やらなくてもいいわよ」と言うわけにもいかないから、さあ困ったものだ。子供が大人になってから「ああ、もっと学生時代に勉強しておけばよかった」と悔やんだとしても、後の祭りである。

ではどうすれば我が子に、学校の勉強を、楽しいとは言わないまでも、ある程度前向きに取り組ませることができるようになるだろうか。

その答えは極めて難しい。なぜなら子供によってそのスイッチの場所が異なるからだ。

例えば、サッカー好きの少年なら、中田英寿さんや本田圭佑さんの講演会に連れていってあげればいいかもしれない。宇宙に興味がある女の子なら、山崎直子さんのYouTube動画を見せてあげるといいかもしれない。そもそも勉強は嫌いじゃないんだけど、どこかで躓いて、勉強がわからなくなったり、できなくなったりしたのが、勉強が嫌いになった原因なのであれば、教育のプロに、診断と治療をしてもらう必要があるだろう。
このように、解決方法は子供によって様々だから、一律に答えることはできない。


しかし、逆に、どんな子供でも学校の勉強を大嫌いにさせる確実な方法が、ひとつある。

それは、我が子に対して、壊れたレコードのように、「いいから勉強しなさい!」と、ただ闇雲に言い続けることである。勉強それ自体の意義や価値、本来の目的を無視して、「しなければならないもの」「やらされるもの」「苦痛なもの」「耐えがたきを耐えるもの」であると、我が子に刷り込めばいいのだ。

この方法で、当時の「ぼく」は、見事に勉強が大嫌いになった。前職(塾)のときにも、同じような子が山のようにいた。
嘘だと思ったら、皆さんもぜひお子さんに試してみてはいかがだろうか。100%勉強が嫌いになることを、私が責任をもって保証する。


さて、先述の先生、阿久津真矢の台詞の最後

「立派な大人になるためにするんです。」

この言葉は、当時のぼくが「立派な大人になるためだよ」と、ある大人に言われた綿菓子のように軽い発言とは、一線を画す。

なぜなら、阿久津真矢自身が、確固たる信念を持って生きている、問答無用で立派な大人だからだ。
教師という仕事に誇りを持ち、教育とは何たるかを日々考え続け、自身に必要な力を身につける努力を怠らず、その上で生徒ひとりひとりと真剣に向き合っている。
だから彼女の言葉は、子供たちにガツンと響くのだ。

それを踏まえたうえで、最後にもう一度、彼女の言葉を振り返っておこう。

勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。したいと思うものです。

これからあなた達は、知らないものや理解できないものに沢山出会います。
美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。

そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したい、と自然に思うから人間なんです。好奇心や探究心のない人間は、人間じゃありません。猿以下です。自分たちの生きているこの世界のことを知ろうとしなくて、何ができるというんですか。

いくら勉強したって、生きている限り分からないことはいっぱいあります。世の中には、何でも知ったような顔をした大人がいっぱいいますが、あんなものは嘘っぱちです。良い大学に入ろうが、良い会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと思えば、いくらでもできるんです。
好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。

勉強は、受験のためにするのではありません。

立派な大人になるためにするんです。

さて…

わたしたちは、立派な大人になれているだろうか。

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