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【田舎暮らし】祖母との朴葉ずしづくりはわたしにてづくりの尊さを教えてくれた。

 わたしが小さい頃、まだ実家にいた頃はあまり食に興味がなかった。食事はただ空腹を満たすための行為だと考えていた。母親が仕事で忙しく、あまり手料理を食べる機会がなかったり、菓子パンや冷凍食品など簡単に済ませられる食事をしていたりしたからだと思う。(当時のわたしは文句を言っていたが、今ではわたしも仕事をしながら家事や育児をすることの大変さがよく分かるので、当時のわたしには文句を言う前に自分でつくってみようとしなさいよ、といってやりたい。母は頑張ってくれてたよ。)
 わたしの頭には”食事は素早く手短に行うもの”というイメージができあがっていて、料理や食事が与えてくれる温かみを忘れてしまっていた。
 親がレンジでチンしてくれた料理を食べ、自分で料理に興味を持って何かを作ろうとすることもほぼ無い。そんな食に疎かった当時のわたしが唯一手を動かして料理をするタイミングがあった。それは祖母が昔ながらの料理をつくるとき。一緒に手伝いをした。


 特に思い出に残っているのは”朴葉ずし”づくり。てづくりと言っても揚げたり焼いたりする工程はない。朴葉という葉の上に酢飯をのせて、その上に色々な具をのせて葉で包むだけのシンプルな料理。
 生意気な時期だった当時のわたしは、はじめはあまり気が進まずただ祖母が作り始めるのをぼーっと眺めていた。父が家の近くにある”朴葉の木”から朴葉を何枚も取ってきていて、テーブルの上には大きな濃い緑色のツヤツヤした葉っぱが何枚も積み上げられていた。そのうちの何枚かは端や真ん中に穴があいていて、わたしは、”う、虫に食べられてる、ちょっとやだな”と思ったが祖母はそれを嬉しそうに手に取り「あれ(↑↓のイントネーション)、こんな大きいの生えとった?」と父に話しかけた。父は「おぉ。立派なやついっぱい生えとったわ、いっぱい虫食っとるけど。…美味しい証拠や。」と答えた。そっか、これは遠い工場から運ばれてきた葉っぱじゃなくて、家の庭にある葉っぱなんだ。おんなじ場所で生きてるんだ。わたしは葉っぱに親近感を覚えた。ちょっとだけ料理との距離が近づいた。ふきんで葉の表面を拭きながら「きれいやねぇ」と言う祖母の顔はやっぱり嬉しそうだった。
 

 まず、大きなボウルに入ったご飯に、酢や砂糖や塩やみりんを加えて混ぜていく。しゃもじをひとかきする度に、調味料が混ざってお米がつやつやになる。つやつやになると、なんだかおいしそうにみえる。一通り混ぜ終わると、祖母はボウルからお米を一掴み取って口に入れ「ちょっと酸っぱいかな」といって砂糖を少し足した。「こんくらいか?」もう一度ひとつかみお米を口に運んでから、今度はボウルをわたしの方に少し押して、「食べてみー。ええあんばいか?」と聞いてきた。机に突っ伏した体制で横を向いて祖母の料理を眺めていたわたしは、のそぉっと起き上がって、祖母と同じように親指と人差し指と中指の先っちょでご飯を摘んで口に入れた。「ん、おいしい。」酢飯だけど、スーパーのお寿司のシャリとかとはなんか違う、温かみのある甘酸っぱさとうまみが口に広がった。

 次は、朴葉にご飯をのせていく作業。うちでは四角くて浅い小皿にお米を詰めて、それで形を作ってから葉っぱにのせるらしい。つやつやの葉っぱ、ツヤツヤのご飯、慣れた手つきでやさしく形を整えていく祖母のしわしわの手。気づけば見入ってしまっていた。

 最後は、ご飯の上に具をのせる作業。家庭によって具は違う。うちでは、茶色いしぐれ、黄色の錦糸卵、緑のしその実わかめ、ピンクの桜でんぶ、グレーのしめさば、赤の紅しょうが。白いご飯の上にカラフルな具を自由にのせていく作業は、キャンパスに色をつけるお絵描きみたいで楽しくて、気づけばノリノリで作っていた。母もとなりにやってきて3人で具をのせる作業をした。だんだん慣れてきて調子に乗り、冒険したくなったわたしは、ご飯の面積の半分をわたしが好きな錦糸卵で埋めたり、しめさば2枚のちょっぴり特別なバージョンをつくったりした。自分の好きなものを選んでオリジナルをつくるって楽しいな。料理との距離が結構近づいた。

 具をのせ終わったら、葉っぱの上下左右を折りたたんで、ご飯を包み込む。葉が広がってこないように茶色い普通のゴムでパチンととめたら完成。昔ながらの宝物を入れた小包みたいな見た目が、良い感じだ。

 そうこうするうちに、朴葉にのせたご飯が無くなったので、またご飯を葉っぱにのせる工程が始まった。今度はわたしも真似して手伝ったけど、祖母のものよりも大きくて歪な形になってしまった。お皿に詰めて形を整えるのは思っていたより難しくて、祖母の手には魔法がかかってるのかなと思った。でも祖母はわたしののせたご飯をみて「あれ(↑↓)、それおーきぃなぁ。いっぱい具がのるわ。」と言ってくれて嬉しかった。


 その日の夕食、テーブルの上には緑の小包がたくさん積み上がっていた。家族みんなで朴葉ずしを食べた。父が小包を手にとり「こりゃ大きいやっちゃな。○○(わたしの名前)がつくった?」と言ってきたので、「そーやよ!とくべつなやつ!」とにやにやしながら答えた。父が包みをひらくとご飯の上には一面の桜でんぶ。「あー、こりゃスペシャルやわ。」ふたりが笑い合うと、祖母と母もつられて笑った。部屋の中が少し明るくなったような感じがした。
 ああ、料理ってあったかくて、楽しいかも。

 祖母はもうこの世界にはいない。そしてわたしは一人暮らしを始めた。時間に追われて食事が簡単になってしまったり、コンビニのご飯を食べたりすることはもちろん今もある。でも祖母が気づかせてくれた食事や料理へのポジティブなイメージはこれからずっと忘れることはないだろうし、忘れなければ、たとえ忙しさに追われて落ち着いた食生活がおくれない日々が来てもまた戻っていける気がするんだ。自分が作りたいものをみつけて、レシピを探して、食材を買う。誰かと一緒に食事を味わって会話を楽しむ。毎日意識するのは難しいけれど、あのぽかぽかした時間さえ忘れなければ。

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