家を買うのは、幸せになるためなのか?
我が家が家をつくった理由について下記の記事を書いたところ、多くに人に読んでもらえました。本当にありがとうございます。
今回はこの記事に対する補足のような内容です。
今は、「幸福になるために家を買った」というと、ちょっと違うような気がしています。
今の家に引っ越して快適になったとは思いますが、持ち家がないと不幸だったかと言われれば、そんなことはないと思うのです。
幸福になるために家を買うのではなく、幸福だから家を買う
下記の記事を読んで思うところがありました
未婚男性のうち、不幸な人と幸福な人の数を年齢別の推移を見ると、幸福な未婚男性が年齢と共に減少していくのに対し、不幸な未婚男性の数は年齢によらずほぼ同じになるそうです。このデータから、「結婚滅亡」の著者、荒川和久さんはこう考察しています。
そして、結婚すれば幸せになれる、というのは思い込みから生じる幻想(フォーカシング・イリュージョン)である、というのです。
この統計調査に対する考察が正しいのかどうかは私にはわかりませんが、幸せである人から結婚していく、という考え方は納得できる気がします。
そして、「○○すれば幸せになれる」という幻想は、人生で最も大きな買い物になる「家を買う」という行為にも当てはまるのではないかと思います。
家を所有すれば幸せになれる、と思い込んで家を買うよりは、自分は今幸せだから家を買おう、という考え方のほうが、結果的に家づくりは成功しやすいのではないかと思うのです。
幸せは、一つの要素では決まらない
世界最大の調査会社であるギャラップ社の世界各国の幸福度研究によると、幸福度を高めるための要素として、以下の項目が世界中で共通しているのだそう。
真に幸福な状態とは、これらの要素がバランスよく満たされていること。お金だけ持っていたり、健康だけ充実していても、幸福とは言い難いのです。
それでは、家を買うのはどの幸福の要素を満たすためなのでしょうか。ちょっと考えてみてください。
我が家の場合、幸福度が増したと感じるのは、4の身体的幸福です。
断熱しているので冬でも暖かく、体が楽になりました。冬でも家の中を自由に快適に動けるのは幸せなことと感じます。
あとは、地域社会の幸福も、家を持っていない時に比べてこの地域のことについて興味を持って調べるようになり、地域への愛着が増したと感じています。
でも、これらの幸せって、何千万円もする家を買わないと手に入らないものなのでしょうか?なんだか割に合わない気がするのは私だけでしょうか。
むしろ家を買ったら、逆に不幸度が増しそうな気さえします。例えば、家を買うために無理なローンを組むと、生活水準を下げなければならず、経済的な自由度が制限されてしまいます。
ローンを組むことによって仕事を辞めたり転職するのことも難しくなりますので、もし今の仕事にやりがいを持てていないのなら不幸度が増しそうです。
このように考えると、家を買うことは所詮「所有欲求」を満たすための、ただの贅沢なのでしょうか。
・・・ちょっとネガティブになってきましたが、私は考え方次第だな、と思います。
もし今の仕事にやりがいを持っていて毎日が充実しているなら、そのお金で快適な自分と家族だけの家をもつことができると思えば、さらに仕事にやりがいが持てそうです。生活水準を保った上で、余裕のある予算の範囲内で、将来資産価値の下がらない(将来の売却価格も見込める)家づくりをすれば、家は将来に備えた資産にもなり得ます。
既に幸せを感じている人が、5つの幸せの要素を損なわず、より幸福度が上がるように家を買うというのが、家づくりを成功させるための条件だと思うのです。
私の場合で言うと、こんな記事書いておいて、家を買うことで人生の幸福度が上がったかどうか確信を持てていません。ただ、家を買ったことを後悔していないと言うことは事実です。
家のために生活を我慢をしているようなこともありませんし(元々贅沢はしない方だった)、家に縛られないように、万一家を手放すことになったとしてもローン残高が売却価格を上回るようなことのない返済計画にしたつもりです(実際に売りに出したら売れるのかどうか分かりませんけど・・・)。
私の記事は、持ち家が欲しいと思っている人に向けた文章であって、家を買う前提でどうしたら失敗しないかという考え方を書いています。
ですが、家を買うことが幸せになるための必要条件ではありません。家を買う前に、不幸を感じている要素がないか点検してみて欲しいのです。家を買うことを目的にするのではなく、幸福度を増すためにはどうしたらいいのかを考えてみた方がいいと思うのです。
家を買う目的と、家を買うことで犠牲になってしまう幸せの要素がないか、今一度見直してみて欲しいと思います。
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