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主語もないしじまの丘に

水のあつまる場所で、手と口をすすぎながら、この水はいつも新しい匂いがすると思う。
みずはいつどこで年老いてゆくのだろうと、その輪郭を見ている。
掌に掬う水の輪郭は、みつけたその刹那こぼれてゆく。
傘の内側のほねがすこしぎくしゃくしている。関節をつなぐようにして、ひとつになっている連結部が、すこしゆるんでる。

かさのほね。
きみのほね。
わたしのほね。

<水の発見者は知らないが、魚でないのは確かだ>

異郷の人の言葉が揺れる。
水のふたしかな輪郭の中で泳ぐ魚がそこにいて。遠い魚たち。
そうやってとりとめのないほねのないものにゆだねられながら。

短歌

●裏返しで待っていたのにしゃあしゃあと中表にしたまま放置したよね
●こぼれてる音をすくって耳にもどして規制線のテープをくぐる
●高橋が血より濃いものを探してるってさ お前のそれ透明のコーラじゃね?
●蜘蛛の糸 切れてゆく前にメビウスの輪になるってりゅうのすけが言ってた
●葉脈がすけてゆくまで眠る人といる もうすでに乾いているから滴りたい
●血液の流れに沿ってこころが決まってゆくってほんとだって 切っ先どっち?
●まなうらに逃げてゆく色 曼珠沙華 なげやりにもぐりたい亡き人に
●短針がまことのほうに傾いて 微か微かにフィンガープリント
●波羅蜜が地平に落ちて脈を打つ バタフライエフェクトってことにして
●まじりあってからあやまる? それともわかちあってからいたぶる?



ショートショート

 カジモトの彼女ゴシチは、腕を伸ばして本棚の奥にしまってある本の背表紙に触れる。すこしだけやわらかい感触。わけあって荷物があふれかえっていて、いま本棚の前に身体を寄せられないので背表紙の名を眼で判断するんじゃなくて、この指の感覚に頼るしかない。ゆびの指紋の刻まれたあたりがまるで眼になったように、これだと思うよ。たぶんこれと教えてくれる。
てのひらに載っている一冊の本。定価八十圓。昭和二十六年一月十日發行。
いしかはたくぼく。灼けた色の頁、ひらがなのところどころの活字がずれていたり、句読点や句点がにじんでいて。これをめくっていた祖父の手のぬくもりがそばまで伝わってくる。ふと栞のはさんである頁を見ていた。
「悲しき玩具」の九十六頁と九十七頁。なんでここなんだろうと思う。読みかけのところに挟んだだけだったのか、それとも好きな歌の棲んでる頁だったからなのか。祖父のこころの中をひっそりとゴシチは知りたかった。唯一やさしい肉親は祖父だけだったから。ブローチの針が肌のすぐ下を刺したみたいにちくちくとするような歌が並ぶ。その頁のどれかに立ち止まってしまった祖父を思ってぢんぢんした。ゴシチは頁を数えていたわけじゃないけれど、掠れ始めてる右隅と左隅の頁を見ていた時、いきなり六十四頁の次は八十一頁になっていた。なんで? 乱丁やんって思って狂ったように頁をめくり続けていたら「一握の砂」の四十八頁の次が六十五頁になっていた。なくしたんだと思っていたものがそこにあった。ゴシチの祖父はそれを四条河原町の<丸善>で手に入れたものらしい。ふいに彼女がカジモトに話しかけた。話しかけていると気づくのに時間がかかる。問いかけの答えは昔の衛星中継みたいでカジモトは昭和の匂いがする。
「乱丁。祖父の大切にしていたらしい歌集がらんちょうだったことを知って、なんだかとてもいまいじょうに愛おしいものに思えたの何に対してなのかよくわからないのだけれど。
いしかはたくぼくの歌集一冊に対してでもあるようなそれを知ってか知らずか愛読していたらしい祖父に対してでもあるような」
ゴシチは息を吐き続けて喋った。そしてよくわからないリズムを放った。
「栞おとしましたよと声かけられてだれかの影もいっしょに拾う」
「え? もいちど言って」
「こわって感じ?」
「いや、こわ? とかわからん。もいちど言って」
仕方ないって顔で、ゴシチは繰り返し諳んじた。確かにこわかったけど。いやこわかった。その時だった。
「え? カジちゃんもしかして今ドックんって音した?」
「したかも」
そういったが終わりの始まり。ちいさなフローリングに敷いたベッドマットの上からもわんと檸檬の香り。カジモトは焦りが強い時、心臓のあたりからかすかに檸檬の匂いを放つのが癖だった。


俳句的短歌

●電灯の長すぎる紐ひっぱてもひっぱても 闇に懐かれ
●きみの輪郭線ちぎれそうになっているところはないかと指でなぞって
●ガス漏れ警報器が<正常です>と宣う そらぞらしく
●いつか死んでしまうのだからと<よめい>と名付けられた男と付き合ってみた
●みんなするよねするって言って まぼろしの抱擁 クラインの壺っぽいやつ
●虹彩あたりにほら雨が降っていますよと目を覗かれる 予報がくるう
●ジップロック付きのビニルに入れた言葉たち 眠れよねむれ
●主語もないしじまの丘に立ってみる スーサイドホミサイドもしくはユアサイド
 


いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊