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春は、まっすぐ誰かのことを想ってみたい。

春っていつも春から逃げてたなって思う。

春が通り過ぎるのをいつも待っていた。

春が過ぎさえすれば、わたしの人生は

うまくいくはずだと言い聞かせながら。

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そして今。

また春を迎えて手を洗う。

手を洗うっていう作業は実は昔から

嫌いじゃなかった。

父に叱られて泣いていた時も

洗面所に行って顔を洗ってきなさいって

たしなめられたときも

顔はそのままで手を洗っていた。

水が手に触れているその感覚が好きだった

のかもしれない。

水のしずくを受け止めるてのひらとか

手相のあたりがこそばゆい感じとか。

これってひとつの身体感覚だけど。

たとえばいつまで待っても来ないバスを待って

いるあいだ、いつのまにか日差しを浴びていた

らしいジーンズのふくらはぎの辺りが

熱いだとか。

この身体で感じる感覚って、ひとにとって

大事だなって思う。

いつだったか、手の甲とか指を一肌に温めた

ソルトでマッサージをしてもらったことが

あった。

その後、容器の中にとろんとした水溶液の

ようなものが入れてあって、そこに手のひらを

パーの形にしたまま、どぼんと沈めるのだ。

片手ずつ。

その器の中が、熱いものに触れたときに思わず

指や手をひっこめるときの温度のギリギリ手前

って感じの温度で。

なんだろうって想っているうちに、てのひらは

まっしろいもうひとつの皮膚で包まれたような

色に染まった。

はじめて感じる熱は、やがてじぶんのかたちに

沿った温度へと変わる。

乳白色の右手と左手がいつもとちがう顔で

そこにいる。

ロウソクの蝋だけをまとったてのひらは、

お風呂に入っている時のように

ずんずんと手首をのぼって二の腕を通り過ぎ

肩甲骨から急下降して体のどこかわからない

名付けられない場所を、あたたかさだけで

満たしてゆく。

そして、ビニルのグローブの中で密閉されて

いた右手と左手は手袋をはずすときみたいに

蝋をまとったもういちまいの皮膚をゆっくりと

脱いでゆく。

熱っぽさがしだいにじぶんの中から遠のいて。

あたりの冷たい空気に触れる刹那、

あの温かさがなんだか名残惜しかった。

なんだこの感じは、この感覚はって思って

記憶を辿る。

思いがけず分厚くい手のひらを持つ憧れていた

人と握手した時があった。

その手のひらをほどく時の名残惜しさに

似てるなって思った。

もともと無防備だったくせに、ふいに誰かの

体温を知ってとつぜん無防備だった現実に

さらされたような気になる。

思いがけなく抱きしめられて悲しかった

自分に気づいて涙してしまう時とか。

誰かの熱を感じるって、うっかりひとを

好きって感情をもたらすもので、やっかい

ものだけど。

正直、春だからまだなにをしたいのか

わからない。

いつまでたっても夢や抱負を語れない。

さっき春なにをしたい? って自分に問いかけたら

昔はどうしてた春は? って問いが返ってきて

正直に言うと、春が通り過ぎるのをひたすら

膝を抱えた気持ちで待っているだけだったな

って。

去年もほんとうにそうだった。

だから、もういちど聞く。

春になったらどうしたい? って自分に問いかける。

今、衝動的にレスポンスしてみた。

あの人とむかし握手したときの熱を感じた時の

ように。

こころのそこから誰かを好きになってみたい。

そして、大好きな人とお互い手を洗った後で

ちゃんと手をつないでみたい。

飲んでないのに、そんな答えが返ってきて

ちょっとびっくりしている春の夜。

こわれてる ラジオの声が ねむりにおちて
てのひらの 熱をあずけて ひたひたの夜




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