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好きなものについて分け隔てなく書き連ねます。タイパなんて言い出したらもう生きていられないです。

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 なぜ金にもならないこんなものを粛々と書き始めることにしたかというと、だいたいで繰り返してしまう日常の中でちょうどいいアウトプットの空間をつくっておきたかったというか。現代ではスマートフォンでそれらを賄えるので、文字通りポケットの中に入れて持ち歩くことができます。ところが、これが問題です。現代では仕事のアポイントメントも仕込みも趣味も恋もすべてスマホ一台で賄うことができてしまいます。便利で恐ろしいです。最近読んでいるフランスの現代思想に関する読本に感じるところからすると、どう

    • 雑記『手段はなんでもいい』

      あっという間に、気がつけば手元からすべての「功績」みたいなものが零れ落ちてしまいましたので、リセットするような気持ちでいろいろやり直さなければなりません。岐路に立たされてしまいました。 まぁいいけど。 メンタルの崩壊が著しいため、当面の演奏活動をお休みすることにしました。特に公表することでもなさそうだし、個々人へ挨拶はすると思うけど、ひっそりと療養生活に入ります。 また、これまで本腰を入れず逃げ回ってきたレッスン業やガチの後進の指導(これは奏法より音大の選び方とか先生への紹介

      • 雑記『勉強する』

        僕が学生の頃は00年代でした。 当時SNSなるものが初めて生活に入り込んできて(まだmixiでした)、人から招待されないと始められないなんて、「じゃあだれがどうやって始めたの?」などとみんなで練習室で話し合ってしまうほど、僕らは原始的でした。 YouTubeも然りです。 当時はチャンネルを開設して広告収入をガポガポ得ている人なんていませんでしたから(世はニコ生等、配信全盛期で仕組みが整っていませんでした)、個人的な演奏の動画をあげているのは見事に超人か変人だけでした。 ついで

        • 復活しました。

          アカウントのパスワードがわからなくなりしばらく入れませんでした。 Xと連携して、改めてしこしこ投稿してみようと思います。

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        記事

          邦楽『aiko聴く女子、ミスチル聴く男子』

           タイトルに他意はない。両アーティスト共、僕はほぼリアタイ世代と言っていいはずだと思う。なにしろ日本のポップシーンが最期に熱かった頃、先述両名アーティストの黄金期を目の当たりにしていたから、当然、それぞれ生活の中にも浸透するようにして入り込んでいた。例えばaikoを聴いて、「女子」と「女性」の中間のような、固有の「女性観」を提示し続ける(今尚)彼女の世界観を意識的に取り込んで、"可愛くあろうとする"女の子たちは一定数いて、決して悪いことだとは思わない。  aikoが狭いとい

          邦楽『aiko聴く女子、ミスチル聴く男子』

          志賀直哉『小僧の神様・城崎にて』(新潮文庫)

           とにかく要心は肝心だからといわれて、それで来た。──(『城崎にて』)  2020年、コロナ禍に入り仕事を取り上げられ、やることがなくなると不安も焦りもなくなり、生きていく目的を探すために罪悪感だけが強調される毎日に陥っていった。秋口にもうずっと悪かった父が亡くなり、いよいよ僕の心と身体は死よりも空しい暗渠へ流れ出し、今どこを漂っているのか平静の地上からは窺い知ることが難しくなった。そんな暗闇の中で、たまたま「入門書」のつもりで買っておいた志賀直哉の短編集を手に取った。漱石は

          志賀直哉『小僧の神様・城崎にて』(新潮文庫)

          R.シューマン『ピアノ協奏曲』

           ロベルト・シューマンは僕の憧れであり、大切な支えとなっている。こういう人がいるから音楽はやめられない、の最上級で、ラスボスの一人だ。  作曲家としての筆の力が革新的に優れていたかどうか、技術的な面では怪しい部分もあるけど、瑞々しい魅力に溢れた黄金期の作品群と晩年へ向かう陰鬱とした病苦の痕跡。すべてが素晴らしい作品とは言い難い、でもこの沸るような若々しさを嬉々として表現できる作品は、ロベルトの書いたものの他にそうあるものでもない。  さらに彼は、現代では当たり前に発刊されてい

          R.シューマン『ピアノ協奏曲』

          散歩『スマホを持たずに闊歩する』

           日常から離れようとして、南の島や美しいネオンに塗れたラグジュアリー空間へ赴く趣味はない。そもそもおそらく誰しもに備わる、日常から離脱せんとする厳然たる欲求のようなものは、なんなのか。どんなに生活が充実していても、失われることのない欲求。  ほとんどの人の場合、日常的な思考様式は否定的な方向に働くものだ。事物や現象を訝ったりともすれば拒否する衝動に駆られる。そうすることで「よくわからないもの」を排除し、既定路線を歩もうとする。それがほとんどの人にとっての「日常」だからだ。例え

          散歩『スマホを持たずに闊歩する』

          PS5『ウィッチャー3ワイルドハント』

           僕が子どもの頃は、ゲームばっかりやってるとロクな大人にならないよ、と怒られたものだった。我が家はそもそもゲーム機がなく、かなり大きくなって初代プレステ発表直前にようやく買ってもらったスーパーファミコンも、休みの前の日と休みの日に、30分間という厳しい取り決めがあった。もちろんニ、三度両親が出かけた隙にこっそりやったこともあるけど、あの落ち着かない感じ。しかも当時のゲームはせっかく進めても自分のタイミングでいつでもセーブできるものじゃなかったし、オートセーブみたいな便利な機能

          PS5『ウィッチャー3ワイルドハント』

          映画『ラ・ラ・ランド』

           その頃は足繁く劇場へ通っていて、月の真ん中頃になると気に入った映画は観直したりして、次に公開作品が入れ替わるまで観るものがなくなってしまうほどだった。さすがに思いっきり子ども向けの映画等は観なかったけど、かなり果敢に偏食しにいっていた憶えがある。腰の落ち着かない鑑賞スタイルには一応わけがあって、なにを観ても自分がどんな映画が好きなのかいまいちピンとこない寂しい時期だった。  それで本編にさして興味もない映画の宣伝のほうに寧ろ集中していると、必ず『ラ・ラ・ランド』(2016)

          映画『ラ・ラ・ランド』

          映画『紅の豚』

           誠に勝手ながら、宮崎駿監督は魅力に溢れた"先人"だと思っている。まだ生きて作品を発表し続けている人に使っていい言葉なのかわからないけど、既に駿監督以降数世代のほとんどの人に渡って当然のようにDNAが組み込まれている。三鷹のジブリ美術館へも何度かいった。展示されている一つ一つからカフェの価格設定に至るまで、あくまで"観る側"を楽しませる意識に溢れた「ジブリらしい」を具現化した素晴らしい場所だ。  ところが僕は特段宮崎駿ファンというわけでなければ「ジブリだからとりあけず観る」も

          映画『紅の豚』

          映画『そして父になる』

           今や日本で映画を観る習慣があれば、是枝裕和監督を知らない人はいないと思う。僕はたまたま世代的に『誰も知らない』(2004)が突き刺さったのもあって、それ以降新作が公開されればDVDが一週間レンタルになるのを待って借りて観てきた。『怪物』(2023)は劇場で、たまたま公開日に観ることができた。僕が是枝監督の映画をきちんと劇場で観たのは、『そして父になる』(2013)が初めてだった。  是枝監督作品で一番観ているのは『歩いても歩いても』(2008)なんだけど、劇場公開からレンタ

          映画『そして父になる』