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体験、経験。

 なぜ金にもならないこんなものを粛々と書き始めることにしたかというと、だいたいで繰り返してしまう日常の中でちょうどいいアウトプットの空間をつくっておきたかったというか。現代ではスマートフォンでそれらを賄えるので、文字通りポケットの中に入れて持ち歩くことができます。ところが、これが問題です。現代では仕事のアポイントメントも仕込みも趣味も恋もすべてスマホ一台で賄うことができてしまいます。便利で恐ろしいです。最近読んでいるフランスの現代思想に関する読本に感じるところからすると、どうやら人は便利になるほど疑心暗鬼に陥りやすいもののようなので、「社会との距離」「外界との距離」に加えて、「家族との距離」や「友だちとの距離」のような窮屈なものが加わって、この頃は「スマートフォンとの距離」がそれらほとんどをバイパスしているとさえ思います。便利になるほど不安が簡単に湧き、増長します。

 僕の感じたもの、思ったこと、考えたこと、楽しんだもの、腹の立ったもの、その他あらゆるものを羅列していきたいと思います。
 芸術や娯楽はどちらが上で…というものではありませんし(古いほうが偉いなら芸術ですが、それ自体が芸術から逸脱した考え方です)、また"人がつくるもの"という観点で言えば、とにかくどれが"いい"体験でどれが"悪い"ということでもない。なんでも自分をつくっていく材料になるわけです。時に遠回りをしながら、人間生きていくしかありません。タイパなんて言い始めたら、僕はもう生きていく気がしません。
 だからこそ入念なる無駄の羅列を、みたいなわけです。


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