見出し画像

PS5『ウィッチャー3ワイルドハント』

 僕が子どもの頃は、ゲームばっかりやってるとロクな大人にならないよ、と怒られたものだった。我が家はそもそもゲーム機がなく、かなり大きくなって初代プレステ発表直前にようやく買ってもらったスーパーファミコンも、休みの前の日と休みの日に、30分間という厳しい取り決めがあった。もちろんニ、三度両親が出かけた隙にこっそりやったこともあるけど、あの落ち着かない感じ。しかも当時のゲームはせっかく進めても自分のタイミングでいつでもセーブできるものじゃなかったし、オートセーブみたいな便利な機能もなかった。こりゃぜんぜん楽しめたもんじゃないな、と子どもながら悟って、それからは潔く許された30分間に全精力を注ぎ込むようになった。
 その反動から、大人になってからは大体最新のゲーム機を買って、テレビに繋ぐと満足するようになった。ときどき火がついたようにやるけど、基本的にはやらない。すぐ目が疲れるし、やはり幼少期から慣れ親しんでいない過激な機器には滅入らされるな、と。ゲームに対する耐性が自分の母親とそこまで変わらない。だから短い時間の密度が濃くなるように、自ずと没入感の高いゲームを好むようになった。

 『ウィッチャー3 ワイルドハント』(2015)は、言わずと知れたオープンワールドゲームの金字塔というか、もうそろそろ古典に片足を突っ込んでいるかもしれない。ゲラルトのあの全く優秀じゃない(ポンコツ丸出しの)拾集能力や、気が利かない上に野生の勘も鈍そうなローチとの行脚は、古典作品に挑戦する際のやや不確かな手触りにそっくりである。
 ウィッチャーの魅力はそのまんまダークファンタジーの小説世界へ飛び込んだような、上質で湿った魅力に溢れている。沼だ。いわゆる「強くてニューゲーム」も備わっているから、周回時には第二、第三の人生を歩むロールプレイへと変容する。深みが増す。
 プレイの肝となる選択肢の結果、ウィッチャーの世界へもたらされる変化を楽しむことができるか、受けとめることができるかどうかがみそだと思う。
 PS4、Switch、PS5と遊んでいるけど、結構ひたすら読みゲーなので、案外Switchでのプレイが捗っている。死ぬまでやるかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?