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映画『そして父になる』

 今や日本で映画を観る習慣があれば、是枝裕和監督を知らない人はいないと思う。僕はたまたま世代的に『誰も知らない』(2004)が突き刺さったのもあって、それ以降新作が公開されればDVDが一週間レンタルになるのを待って借りて観てきた。『怪物』(2023)は劇場で、たまたま公開日に観ることができた。僕が是枝監督の映画をきちんと劇場で観たのは、『そして父になる』(2013)が初めてだった。
 是枝監督作品で一番観ているのは『歩いても歩いても』(2008)なんだけど、劇場公開からレンタル一週間落ちまでのタイムラグを考えると学生生活の最後の頃に初めて観たはずなのに、今思い返すと、学生生活の"主要な時期"の裏側に並走しているような、この頃の情景と映画の雰囲気がリンクしてしまっている。だから『歩いても歩いても』のゴンチチを聴くと、学生時代のふと"独りきりになった"あの感覚が思い起こされてちょっとソワソワする。
 あの頃は確か世の中では『20世紀少年』とかやってたと思うので、是枝監督の作品がメインストリームの真ん中に座することなんて…と勝手に思っていた。なんて烏滸がましい。自分が好きなものが多くの人に受け容れられるもののはずがない、という気味の悪い呪縛にかなり支配されていた頃なので、仕方がないとしてください。しかも、「是枝裕和」って読み方が難しいから、売れても名前読めない監督、とか言われちゃうんだろうな、とかそんなことまで心配していた。これが怖しいほうのファン心理ってやつなのかもしれない。そんなにファンだという自覚はないけど作品はどれも概ね好きだしエッセイも読んだ。もしかしたらこの状態をまま"ファン"と呼ぶものなのかもしれないけど。
 是枝監督の作品は"観ている時間"そのものに価値がある。だから作品の中になにがあったか、なにを訴えているのか、メッセージはなんなのか、というアカデミックな問題、もっといえば作品の技術的な外殻について「どうでもいい」と言い切ってしまうこともできる。近年の作品では明らかなテーマを提示しているものも多いけど、根幹はそのストーリー展開自体にはないから、やっぱり作品を通した体験というか、"作品を通った経験"こそが鑑賞の肝になると誰かにも勧めることができる。

 前置きが長くなりましたが『そして父になる』については社会的な問題と直接接続している部分が主題なだけあって、あらゆる専門分野の解説に触れることができる。作品が"売れた"ことによって、映画という枠組みを超えて論じられるようになった。今ではあらゆる媒体で振り返ることができる。それこそスマホ一台あれば、おそらくそのほとんどを網羅できるはずだ。
 なので、蛇足だけど、ここでは僕なりのこの作品の好きなポイントを一つ。
 それは音楽の扱いだ。
 劇中で「お稽古事としてのピアノ」について触れるシーンがある。いわゆる劇伴では、ブルグミュラーの『練習曲』からピックアップされた数曲が流れる。
 ラスト、エンドロールの後ろではグレン・グールド演奏の『ゴルトベルク変奏曲』が流れる。音楽家がまだ収音活動に消極的だった時代、いち早く「録音」への可能性を模索し始めたのがグールド。そのベストテイクの一つとされる『ゴルトベルク変奏曲』を作曲したのはJ.S.バッハ、"音楽の父"だ。
 このアカデミックで流れるような音楽使い、センスとか研鑽とかそういうものではなく、僕には専門的なことはわからないけど、是枝監督は映画を愛しているんだな、ということに尽きるというか。なんだかそんな風に感じるので、とても好きだ。


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