移住日記を毎日書いていたらドイツから連絡がきた。その後⑧
「ぶぜんノートさんは、どうやって最初、豊前を知りましたか?」
ベルリン自由大学の研究生であるチェチリアさん(日本語堪能)が豊前市にやってくる前に尋ねてきた「豊前をどうやって知ったか」、そのきっかけ。
「上の子が登ってみたいと言ったのが『求菩提山(くぼてさん)』だったんです。求菩提山がある場所が豊前市でした」
子供だけでなく自分にとっても生まれて初めての登山が豊前市のシンボル求菩提山だった。
初めての登山で何も分からなかったからネットで調べて「豊前市史跡ガイドボランティアの会」の存在を知り、ガイドを頼んで一緒に登ってもらった時のことを話した。
それからチェチリアさんは「史跡ガイドボランティアの人に会ってみたい。求菩提山にも登ってみたい」と言うようになり、あとわずかで豊前市滞在が終了するタイミングでそれが叶ったのが2月最後の土曜日。
市役所の仕事で何度かお会いしていた史跡ガイドボランティアの男性にお願いして、一緒に登ってもらうことになった。
せっかくなのでチェチリアさんと前から会ってみたいと言ってくれていた、仕事仲間2人もお誘いして決行だ。
初めて登った時に案内してくれたガイドの方と再会
その日のガイドさんは3名。2名ははじめましてだなと、ガイドの女性に話しかけてみたら
「私、ぶぜんノートさんと以前会っています」と言われ、初めて求菩提山に登った時のガイドさんと気付く。
「実はあの1年後、北九州市から移住したんですよ」と話したらとても驚かれた。無理もない。自分が一番驚いている。
修験道の聖地の結界で驚くチェチリアさん
求菩提山は修験道の聖地と呼ばれている山で、山中には今も結界とされている史跡が残る。
チェチリアさんが「ここから雰囲気が違います!」と言っていた。
自分はあまり分からなかったけど、感覚が鋭い人など分かる人には分かるのだろうか。
そういえば以前求菩提山に近づくと、何段階に分けて空気が変わると言っていた人もいた。
山の中には史跡がたくさん
「ここは鬼の手形が残っていると言われています」と説明してくれるのは山伏さん…ではなく山伏スタイルで来てくれた史跡ガイドボランティアの方。
「チェチリアさんとこの前耶馬渓でお会いしたときは伊能忠敬の格好してたんですよ」と教えてくれた。(なぜ伊能忠敬…?)
頂上の上宮目指して鬼の石段850段
中宮までは軽いハイキング気分で行きやすい。
だかその先は鬼が一夜で積んだと言われる「鬼の石段850段」があり、登りきったら頂上・国玉神社上宮に到達する。
結構な角度で延々と続く石段なのに、今回の同行者は皆さんツワモノ。
落ちないように十分気をつけてX-S10で撮影。
上に行けば行くほど石段というより石が積まれただけになってくる。
それでも崩れたことがないというからすごい。
頂上!
帰りは違う道で
登山の後は求菩提資料館へ
「よかったら資料館も案内します」とガイドの方に言われ、みんなで資料館へ。
ちょうどこのときは企画展でお雛様がたくさん飾られていたのでチェチリアさんがとても喜んでいた。
「なんて細かい細工なんでしょう…!」と驚いていたようだ。
そして最後は別の建物へお連れした。
館内に飾りきれないお雛様やお道具を自由に持ち帰れる場所があることを、資料館のスタッフさんに以前聞いていたのでそこへ。
「本当にいいんですか?!」と参加者の皆さん驚いていただけど、本当に無料で持ち帰り自由。
チェチリアさんが三体ほどの雛人形を選んでいた。
いずれ海を渡るお雛様たちだ。
おわりに
チェチリアさんの豊前市滞在があとわずかとなったところでようやく一緒に登ることができた。
見せたいと思っていた景色を見せることができたから、大きな心残りはなくなりそうだ。
もっと色々見せたいものはあったけど。
次は長崎の波佐見町に滞在する彼女に「遊びに来てください!」と言われているので、貸した登山靴はそのまま波佐見町に持っていってもらうことにした。
もしかしたらまたあちらで一緒に登れる山があるかもしれない。
インスタグラムでも発信
中宮の手前にある獅子の口から珍しくたくさんの水が流れていた。
冷たさに驚くチェチリアさん。
(晴れの時には水が流れず、前日雨が降っても出ない時があるほどらしい)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?