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【相互防御社会】〜Beforeコロナに予測していた!?〜

僕が1番嫌いな質問がある。風邪ですか?だ。
理由はのちほどでてくる。

もし一生風邪を引かない、体調を崩さない魔法があるなら僕は1億でも5億でもローンを組んででも買う。そのために家や車、家族を持てないとしても僕はそれを望む。死にたくないわけじゃない。早く死んでもいいから生きてる間はとにかく健康でいたいのだ。

前提として僕は昔から身体が弱い。特に季節の変わり目には体調を崩しやすく、自律神経が乱れたり免疫力が低下しやすい。加えて慢性の鼻炎持ち。唇の左端が切れたら前兆のサイン。冬場は乾燥しやすく寒く菌も繁殖しやすいのでできれば外出したくないのが本音だ。

ただそうゆう身体と長年、付き合ってきたので今はもうなんとなくわかる。「あ、ここで無理すると風邪引くなあ。」とか経験則から自分の限界が見える。だからこそ無理はしない。そして努力はする。基本的なことマスク、手洗いうがい鼻うがい、50〜60%の加湿、温かい格好をする、栄養ドリンクの摂取、各種ビタミンの摂取、引かないための努力はする。

これだけしていても体調を崩す時がある。「病は気から」だからね〜、とからかわれることもある。ただ僕はとにかく自分を理解したうえで他人に迷惑をかけないよう、そして自分も楽しめるようやっているだけなのだ。

それにも関わらず、電車や学校、会社の共用部分で平気でゲホゲホ咳したり、くしゃみをしたり、する輩が山ほどいる。だいたいそうゆう人はあまり他人の気持ちを考えてないのでは?と思う。自分は風邪かもしれないけど強いから大丈夫大丈夫!絶対に休めないから。そういう一部の勘違い頑張り屋さんによってウイルスは蔓延していく。

先述の通り僕は冬場はほぼ毎日マスクをしている。寝るときも移動中もお客様と話す時や飲食するとき以外はマスクだ。その中で1番疎ましい質問は「風邪ですか?」だ。これまで何度聞かれたか分からない。

その度に僕は「体調崩しやすい時期なので。予防のためです。」といって少し後ろめたい気持ちになる。風邪なのに我慢してると思われてるのかも、とか余計なことも考える。現代においてもマスク=風邪なのか。あまりに短絡的で思いやりのない言葉なのかなと思う。なぜ気遣っている側が少し申し訳ない気持ちにならなければならないのか。

はっきり言ってしまえば全国民にマスク着用の義務付けをしてもいいと思うし、働き方改革を進めるより学校や会社のゲートにでもサーモグラフィーを設置して体温が少しでも高い方は入れないような仕組みを作ってもいいのかなと思う。社会や会社というのはあなたがいなくても回るということを認識させ、無理をしない世の中を作っていく必要がある。

僕のこうゆう性格を知ってなのか、先日後輩から風邪気味なのでやめときますと言われた時、少し嬉しかった。そう言える環境作りをしたかった。すべては自分と自分の周りにいる人が健康でいるために。

最近考えてるのはそもそも人間の鼻の奥の粘膜や喉の粘膜に防護膜のようなものを張れないかと考えている。そうすれば大事な商談をするときもご飯を食べるときも居酒屋で酒を飲むときも電車に乗るときも映画館でも誰かに風邪ですか?と問われるストレスなく、自然な形で防御し合える社会が作れると思うのだ。免疫の弱い子どもにはもっと必要だと思う。

より良い社会を作るために。

#相互防御社会 #インフルエンザでしたって後から報告された時の無力感と覚悟について

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