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”意訳”は、ほぼ愛。

最近世間を騒がせている水原氏のギャンブル依存症などのニュース。あまりに有名な人の通訳者だったので、私も驚くとともにとても残念に思った。正直野球に興味がなく、大谷選手のニュースが流れてもあまり観た記憶はなかったけれど、今はテレビをつければ毎日のようにその情報が流れてくる。
彼のギャンブル依存症や学歴詐称疑惑、その他諸々にはあまり関心が無いけれど、ちょっと引っ掛かることが最近耳に入ってきた。

「水原氏には突拍子もない意訳があった」という発言だ。

外国語を通訳する際、一語一語を確実に訳して伝える「直訳」と、全体の意味やニュアンスを汲み取って分かりやすく伝える「意訳」がある。
医学や法律、歴史等に関する通訳などは「直訳」以外は許されないだろうけれど、日常生活での会話や、一般社会での通訳は直訳ばかりでは逆に通じ辛い場面が多いのではないかと思っている。

ましてや今回の水原氏と大谷選手の場合、私から見たら水原氏は通訳者ではなく、通訳が可能な専属アシスタントにしか見えていなかった。生活を共にし、きっと様々な面で大谷選手は水原氏を頼ってきたことだろう。ただの通訳者と雇用主では知りえない、多くの情報を共有して来た二人だと想像する。

相手の生活、性格、環境や状況など、多くを知る人がその相手の言葉を訳するとき、相手が何を言わんとしているかを汲み取る。様々なバックグラウンドを共有していれば、理解を深めてもらうために発言者が言わない言葉でさえ補足として付け加え、あるいは誤解を回避するために省略しつつも伝えたい内容を通訳者として伝える。それを通訳者の力量と思う人も多いのではないだろうか?
これは訳さない方が大谷選手の為になる、と思えばきっと水原氏はその言葉を省略しただろうし、主語がない文章も瞬時に内容を理解し、必要な主語を付け加え通訳をしてきたことだろう。

だから私は、通訳者の”意訳”は、ほぼ愛、だと思うのだ。

これまで散々そういった水原氏の通訳としての業務を褒めたたえていたにも関わらず、彼の過ちはともかく、ここにきて彼の通訳のやり方が批判されるのは残念でならない。大谷選手もきっとそんな彼の意訳に納得してきたのではないかと思う。

私も以前の職場で上司の通訳をすることがあった。社員を集めたタウンホールミーティングなどで、英語で話す上司の言葉を和訳するのだ。台本などは無かったが、ミーティングのパワーポイント資料に目を通せば大体何を話すかは想像がついた。また、私は上司専属の秘書だったので彼が日々何を考え、どんな業務をこなしているかもそれなりに理解していたし、他の社員達ともできるだけコミュニケーションを取っていたので、彼らの不安や不満、そして会社や上司に対し何を思っているかも分かっていた。

私の上司は外国人だったけれど日本語をほぼ理解できる人だったので、彼が話した後に私が彼の言葉を日本語でどう通訳したかも理解していた。外国人故に、良くも悪くもビックリするくらいストレートに彼の思いを口にすることが何度もあったけれど、私はそれをどうにかして優しい言葉に置き換え「意訳」してきた。もちろん数字に関する場面では直訳を心掛けていたけれど、私は上司のストレートすぎる言葉を社員にそのままぶつけることは避けるように努力した。理由としては社員が上司に対し誤解をしたり、不用意に反感を持たない為、つまり私なりの上司を守るための意訳だった。それは結局、会社全体の為でもある。それほど意訳は時に大変重要だし、必要なのだと実感した。そう、この時の私の意訳もほぼ愛だった。

日本語を理解している上司は何度となく、「君の通訳でみんなが混乱しなくて良かった」と言うようなことを言ってくれた。正直、上司の言葉の直訳なんて恐ろしくてできなかっただけだけれど、私の意訳に感謝してくれた上司にも今はありがたく思っている。

今後、水原氏がどういった道に進んでいくのかは分からないけれど、私は少なくとも彼が通訳者として行ってきた業務に対しては否定的な気持ちを持つことは無い。大谷選手の通訳なんて、実力が無ければ不可能だもの。

英語の通訳や翻訳にはそれぞれのこだわりや美学があると思う。決して通訳内容を変更してしまう事は許されないけれど、「意訳」には「愛」が含まれていることをちょっとだけ分かって頂ければ嬉しい限りだ。

I love you = 月がきれいですね by 夏目漱石


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