【短編小説】ハナちゃんとあやかし学校
【あらすじ】
華ちゃんは、小学六年生。
独特の感性を持つ華ちゃんは、図工の時間に自分の視たままの絵を描いていると、先生から「普通に描きなさい」と言われてしまいます。
図工室に行けなくなってしまった華ちゃんの前に、トイレの花子さんが現れ、アマビエ先生のクラスへと連れて行ってくれました。
アマビエ先生の授業で華ちゃんは何を学ぶのでしょうか。
【本編】
「もう少し、自分らしさを出しましょうね」
「とてもよくお花の形を見ているわね。上手だわ」
今は図画工作の時間だ。先生が一人一人の絵にアドバイスをしている。
様々な花を先生が図工室に飾り、六年一組の生徒たちがそれを写生している。
アジサイ、ばら、花菖蒲(しょうぶ)にクレマチス。梅雨の長雨で沈みそうな心を明るい気持ちにしてくれる鮮やかな花たちが教室を彩る。
私は大好きなアジサイの花を水彩絵の具で描くことにした。梅雨の雲の向こう側に広がる青い空の色が映ったようなお花の色が、とてもきれい。
小さなお花が集まって、一つの大きなお花になる。一つ一つの小さなお花が大好きだった。どれも同じように見えるけれど、それぞれが違う表情をしている。
私はその小さなお花の一つを選んだ。
そうだ。なんだかアジサイが、みんな見られて緊張して、ちょっと赤くなっている感じがするから、花びらの一部をピンク色に塗ろう。
夢中で描いていたら、先生が近づいてきた。
「あら。アジサイは普通、花が集まって手まりのようになっている部分を描くのよ。そちらの方が、華やかで素敵でしょう?それに、このアジサイは全部青色よね。
ちゃんとよく観て描きましょうね。まだ時間はあるから直しましょう」
先生が言った。
「あ……あの、アジサイが緊張して赤くなっているかなって思ったんです。
「何を言っているの?ふざけてないで普通にちゃんと描きなさい」
普通って何だろう。私は私が感じたように描いたんだけど、それは間違っていたんだろうか。
絵を直そうにも、先生の言う普通が分からず、どう直してよいか見当がつかなかった。さっき先生に褒められていた隣のお友達の真似をすればいいのかな。まるで先生が見せてくれたお手本みたいな絵。とっても上手な絵。この絵を真似すれば普通になれるのかな。でも自分らしくって先生が言っていた。
学年が上がるにつれて、先生から『なんでみんなと同じように出来ないの』と言われることが増えた。みんなと同じように出来ない私はダメな子なのかな。
チクチクとお腹が痛くなり、汗が出てくる。
苦しいよぉ。
この日から、私は図工の時間は毎回お腹が痛くなって、教室に行けなくなり、保健室で休むようになった。
***
保健室に通うようになって何回目かの日、いつものように横になって寝ていると、「ねぇ」と背中の方から声がした。そちらを向くと、そこにはおかっぱ頭で赤いスカートをはいた小さな女の子がニコニコと笑顔で立っていた。今は保健室の先生はいないみたいだ。
「一緒に教室に行こうよ」
「え、だ、誰?」
知らない子からの突然のお誘いに、思わず声がどもってしまう。
「私は花子。花ちゃんって呼んでね。華(はな)ちゃんと同じ名前だよ。
「な、なんで私の名前を知っているの?」
「えー、同じ学校に通っているんだよ。知ってるよー」
花子という名前の生徒は同じ学年にはいなかったはずだ。でも高学年の生徒の様なので、五年生の生徒だろうか。
「一緒に教室に行こうよ」
花ちゃんが繰り返す。
「お腹痛くなっちゃうから無理だよ」
「大丈夫。今日は別のクラスだから」
「別のクラス?」
そう言うと花ちゃんは、私の右手を掴み、グイグイと引っ張った。ひんやりと冷たい手の温度が、蒸し暑い梅雨の季節には気持ちいい。
いつもの図工室の前に来る。別のクラスって言ったのに、いつものクラスではないか。お腹がズキズキし始める。
そんな私をよそに、花ちゃんがドアを開ける。
ガラガラガラ
するとそこには、確かにいつもの教室なのだが、初めて見る人(?)たちがいた。
花ちゃんが、「今日はアマビエ先生のことを描くのね。楽しそう」と言う。
教室の中央に座っているのがアマビエ先生だろうか。パステルピンクの髪は長く、目はダイヤの形をしていて、とても大きい。口には黄色いくちばしがあり、身体のうろこは七色にキラキラと輝いていた。一見、人魚のようだが、アンデルセン童話に出てくる人魚とは異なっている。
「あら、花ちゃん、いらっしゃい。でももう終わるところよ」
「えー、せっかく華ちゃんを連れて来たのに」
「華ちゃんいらっしゃい。せっかくだから、みんなの絵を見て行ってね」
アマビエ先生が優しく話しかけてくれる。だが、先生や生徒たちがみんな、今まで見たことのない不思議な姿をしているので、目が釘付けになり、返事をするのを忘れてしまった。
「あら、袖引き小僧君は、私には袖がないから、腕を描いてくれたのね。私のうろこを一枚一枚丁寧に描いてくれて、ありがとう」
袖引き小僧って、確か夕方に人間の服の袖を引いて、ちょっかい出すあやかしだ。そうか。ここは、この前本で読んだあやかしの学校なのか。
袖引き小僧君は、先生に頑張って描いたうろこの部分を褒めてもらって、照れ笑いをしている。
袖引き小僧君の絵には、アマビエ先生の腕しか描かれていなかった。あれ、褒められていたけれど、この絵って普通なのだろうか。
「次は、座敷童ちゃん。まぁ、びっくりしている私の顔を描いてくれたのね。昨日、私の家に来て、寝ている時に枕返しをして帰ったけど、その時の絵ね。見開いた目とくちばしがその時の驚いた様子をよく表しているわ。ありがとう」
座敷童ちゃんは、いたずらが成功した時のように、ケタケタと笑う。とても嬉しそうだ。
だが、座敷童ちゃんの絵には、大きな二つの目と一つのくちばししか描かれていない。こっちも普通ではないと思う。
「そして、華ちゃん」
急に声をかけられて、びっくりする。
「私はあなたのアジサイの絵が大好きよ。小さな花びらの表情がとても豊かね。緊張して赤くなっているようなピンク色が、アジサイの心をよく表しているわ」
「アジサイの……心?」
「ええ。今は多くの人間が、見えないものを視る力を失ってしまっているけれど、あなたはとてもよく視えている。あなたに描いてもらってこのアジサイも喜んでいると思うわ」
「私も華ちゃんの絵が大好き。とっても優しい目で見てくれていることが伝わってくるもの。それは華ちゃんにしか描けないものだね」
アマビエ先生と花ちゃんの言葉に、私は……不覚にも泣きそうになってしまった。二人の言葉は、優しい霧雨のように、ゆっくりと私の心にしみわたる。
「直しましょうね」と言われた私の絵の存在が認められた気がした。そして絵が認められただけなのに、なぜか私自身がここにいることを許された気がしたのだ。
「アマビエ先生、ありがとうございます。花ちゃんもありがとう。とっても嬉しい。で、でも、でもね、この絵は普通じゃないの。それでも良いのかな」
「普通?」
初めて聞いた言葉のように、花ちゃんが繰り返す。
「普通って何?」
逆に問い返され、言葉に詰まる。
「うーん。普通って何だろう」
今まで普通にならなきゃいけないのかなって思っていたけれど、そもそも普通って何なんだろう。よく分からない。
「みんなと同じことかな」
「みんなって誰?」
「うーん。みんなって誰だろう?」
以前、先生に、「なんでみんなと同じようにできないの」と言われたけれど、その『みんな』は私以外のクラスメート全員のことをいうのだろうか。
あれ?でもクラスメートは一人一人みんな違っている。同じようにすることなんて、できるのだろうか。
「袖引き小僧君や座敷童ちゃんの絵は普通?」
花ちゃんが質問を続ける。知らない言葉に興味深々だ。
「普通じゃないと思うよ」
「じゃあ、二人の絵はダメなの?」
「ダメじゃないよ。とても素敵な絵だったよ」
「なら、普通なんて気にしなくていいんじゃない?」
「え、そうかな?」
「そうだよ」
クスクスと花ちゃんが笑う。
今まで『普通』になれない事に悩んでいたけれど、花ちゃんと話していると、それって悩むようなことではないかもしれないと思えてくる。
「私たちあやかしは、姿も考え方も異なっていて、みんな違っているけれど、それでいいって考えるの。だから、『普通』という言葉は、花ちゃんには理解することがちょっと難しいかもしれないわ」
花ちゃんに笑われた私が気を悪くしたのではないかと、アマビエ先生が言葉を補う。
「でもね、華ちゃん。私たちはあなたの絵が大好きよ。他の人と違う見方ができるのは、あなただけの宝物。それだけは忘れないでね」
「はい。ありがとうございます。忘れません。絶対」
宝物。そのたった一言で、今までの苦しかった気持ちが軽くなる。
キーンコーンカーンコーン
授業が終わる音がする。
「華ちゃん、帰る時間だよ」
花ちゃんが私に声をかける。
「保健室まで一緒に行こう」
「うん。ありがとう」
図工室から保健室まで帰る途中、本当に様々なあやかし(妖怪?幽霊?)とすれ違った。河童は頭ににあるお皿の水が無くならないように、友達の一反木綿と廊下で話しながら、ペットボトルのミネラルウォーターを注いでいる。トイレからは「しょきしょき」と何かをとぐような、洗うような音がする。
「何の音?」と私が花ちゃんに聞くと「小豆洗い君だよ」と教えてくれた。初めて聞く妖怪の名前だ。
そこへ、ぬらりひょんが廊下を歩いてくる。
「校長先生、なにやってんの?」
花子ちゃんがぬらりひょんに話しかける。
「なにもやってないよ」
そういうとのんびりとした様子で、ぬらりひょんは去っていった。
私は胸をドキドキさせながら花ちゃんに言った。
「私ね。今まで教室の中が世界の全てだと思って、そこで普通でなければダメだと思っていたけれど、そうじゃなかった。世界は私が思っていたよりもずっと広いんだね」
すると、花ちゃんは満面の笑顔でうなずき、嬉しそうに私の手を握ってくれた。
***
花ちゃんと出会って、私はなんとか図工のクラスに参加できるようになった。
だが、やっぱり狭い教室はいつもの教室だった。普通でないからと変に思われるのは、やはり辛い。
アマビエ先生が教えてくれた「他の人と違う見方ができる」という私の宝物を大切にしたくて、今でも私は私の視たように絵を描いている。先生はあきれ顔だけど、クラスのお友達の何人かが、私の絵を好きって言ってくれるようになった。たったそれだけの事なんだけど、私は教室に居ることが少し楽になったんだ。
でもね。『普通』ではない私の絵を見て笑う人もいるし、変っていう人もいる。教室に居ることが苦しくなったら、学校の校舎三階のトイレに行くことにしているの。
みんな気づいた?花ちゃんってトイレの花子さんなんだよ。
扉を三回ノックし、「花ちゃんいる?」と一番手前の個室から奥まで三回ずつ尋ねるの。すると三番目の個室からかすかな声で「はーい」と花ちゃんの声で返事が返ってくる。
その声を聞くだけで私は、アマビエ先生や花子ちゃん、そして、あやかし学校の友達のことを思い出す。そうすると、その苦しい気持ちを乗り越えられる気がするの。
あ、もちろん扉は開けないよ。花ちゃんにトイレに引きずりこまれたら困るから。今はまだ、この世界で頑張ろうと思うんだ。
(了)