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「もう西洋化しない」世界を見通す / 呉座勇一&與那覇潤『教養としての文明論』試し読み

高坂正堯、梅棹忠夫、
井筒俊彦、宮崎市定、丸谷才一。
“知の巨人たち”の名著を解読!

なぜトランプ人気は衰えず、
ロシア・中国・イスラムは妥協しないか——
歴史に精通するふたりが、現代世界の謎を解く。

この記事では2024年5月23日発売の、呉座勇一&與那覇潤・著『教養としての文明論』の「はじめに」と本文の一部分を公開いたします。


はじめに


新型コロナウイルスでもウクライナ戦争でも、今や「専門家」がSNSで「大衆」を「啓蒙」してくれる時代である。なにか新しい事件が発生すると、「専門家」がたちまち現状を「分析」し、背景を「解説」し、「処方箋しょほうせん」を出してくれる。それは、バッティングセンターでボールが打ち出されるたびにバットを振るような、反射的・反復的な行為である。その見事なバッティングを脇で見ている私たちは、もう本を買って読む必要すらないような気さえしてくる。

しかし、私たちは真の意味で知識を得て、じっくり問題を考えていると言えるのだろうか。確かにインターネットの発達は、とりわけ最近のSNSの発達は、自分が知りたい情報に手軽にアクセスする手段をもたらした。「検索」さえすれば、私たちは、現在、どんな話題が注目されており、その話題への言及の仕方として何が「正解」かをすぐに知ることができる。けれども、私たちは「いま」の「トレンド」に関する膨大な情報の海に飲み込まれて、過去からの連なりとして現下の情勢を捉える、歴史的な思考を失ってはいないか。

本当に「いま」は「未曾有みぞうの事態」で、過去は参考にならないのか。「価値観をアップデート」して、「不正義」に満ちた過去の社会から「いま」を切り離し、理想の社会を一から構築することなど可能なのか。あまりにも「いま」の来歴、眼前の事象の歴史的な文脈が軽んじられ、その場その場の「最適解」を瞬発的に繰り出すゲームばかりがもてはやされていないだろうか。

むろん、時々刻々と変化する戦況をリアルタイムで解説することも重要である。けれども人命のかった戦争の解説が、スポーツの実況解説と同じであって良いはずがない。自然科学なり地政学なり社会学なりといったもっともらしい衣をはぎ取れば、私たちが目にしているのは、「いま」起きている(ウイルスとの戦いや、SNS上の口論などのバーチャルなものも含めて)戦闘の目撃者となれたことを嬉々として誇る、野次馬たちの自己顕示的な講釈にすぎないのではないか。そのような懸念がぬぐえない。

上に述べたような「いま」を絶対視する潮流に抗して、「いま」が歴史の流れの中の一コマにすぎないことを示すのは、歴史学の社会に対する責任であり使命であろう。ところが、日本の歴史学界はむしろ世間の空気に同調し、形だけの政権批判を続けつつ、その実、「いま」を無批判に受け入れている。

そのことを象徴するのが、新型コロナウイルス感染拡大抑止の名の下に政府が国民に強要した「自粛」への対応であった。「緊急事態」という「にしき御旗みはた」に歴史学者たちは屈服し、それどころかロックダウンなど、より強力な行動制限を政府に求めた。戦時下の日本が、非常事態を口実に私権制限を行ったこと、必ずしも政府の取り締まりではなく、国民が自発的に「非国民」を吊るし上げる相互監視によって国民の自由が奪われていったことを、歴史学者たちは厳しく批判してきたのではなかったのか。

もはや日本の歴史学者たちに、歴史的経緯を踏まえた世界の見取り図を描いてくれることを期待することはできない。では、どうするか。歴史学者のはしくれとして、私になにかできることはないか。
そのような悩み、問題意識を、私は知人である與那覇潤氏としばしば語り合った。いや、正確に言うならば、私が與那覇氏に感化された部分が大きい。歴史学者を廃業するほどに、與那覇氏の歴史学への絶望は深いからである。

我々二人が思いついた突破口は、往年の文明論の名著を読み直すことだった。すっかりすたれてしまったジャンルであるが、長く日本のビジネスマンに「世界の見方」を教えていたのは、作家・評論家・学者らの手になる文明史、文明批評であった。過去の文明から現代を見通そうとするそれらの語りは、「雑な床屋談義」としてアカデミズムに見下されつつも、学界と社会をつなぐ回路になっていた。

だが、今では文明論の伝統も絶え、書店に並ぶのは、歴史学者が書いたマニアックで小難しい歴史書と、歴史学の知見を全く無視したトンデモ本・ヘイト本だけである。ゆえに我々は、「いま」を相対化するために「古典」と呼ぶべき文明論を読むしかなかった。

本書で取り上げる本は、みな数十年以上前の著作である。一般に優れた著作であればあるほど、その本が書かれた時代が刻印されている。しかしながら、それは決して古くささを意味しない。優れた文明論は、時代性と同時に普遍性を備えており、歴史の風雪に耐える。現代の視点から読み直すことで、新たな発見が得られるのである。彼らの先見性や時代的限界を把握することで、「これからの文明論」を構想する手がかりをつかめよう。

書店に平積みされている「いま」を語る本の賞味期限は短い。あるいは本書もすぐに消えてしまうかもしれない。しかし、本書で紹介した著作は、今後も参照されるだろうし、参照されるべきだと思っている。
本書をきっかけに、文中で取り上げた著作はもとより、その他の優れた文明論に関心を持っていただければ望外の幸せである。

2024年3月21日  呉座勇一


第1章
梅棹忠夫『文明の生態史観』
「ヨーロッパvsユーラシア」は宿命なのか


梅棹忠夫(うめさお・ただお)  
1920~2010年
文化人類学者、京都市出身。京都帝国大学で今西錦司きんじらに動物学を学ぶ。戦後は同大の人文科学研究所で教授を務めた後、国立民族学博物館館長(初代)。モンゴルなどの牧畜民のフィールドワークに基づく紀行文や史論で、文化人類学の魅力を初めて紹介したほか、ベストセラー『知的生
産の技術』(1969年)をはじめとする情報社会論の先駆者でもあった。

使用テキスト=『文明の生態史観』中公文庫(改版)、1998年
核となる論考「文明の生態史観序説」は1957年に発表。同論文を中心に、関連するエッセイをおおむね発表順に収録して、単行本『文明の生態史観』は67年に刊行された。

いまなぜ「文明論の復権」か

與那覇:本書では「教養としての文明論」というコンセプトで、2020年代に再読する価値のある5冊の名著を読み解いていくわけですが、実はそうした提案を呉座さんにいただいて少し驚きました。おそらく読者は、もっと意外な感じをいま受けていると思うので、そこを最初にうかがいたいんです。

多くの読者が持つ呉座さんのイメージは、2016年に『応仁の乱』(中公新書)をベストセラーにした「実証史学ブームの立役者」でしょう。そして、同書以降に増えた「実証史学こそが本物の歴史で、それ以外の歴史トークには価値がない」というタイプの人って、文明史のような語りはむしろ嫌うじゃないですか。「文明」といった大雑把おおざっぱなくくりでの議論自体が無価値であり、史料に基づく「実証」によって正すべきだと言って。

呉座:まあ、そうですね。実際にいまは文明論という用語を「雑な議論」の意味で使う人もいます。居酒屋談義とか井戸端会議とか、そうした悪口の同義語として「そんなものは文明論に過ぎない」と言ってしまう。

與那覇:一般にはそうした「アンチ文明論」の潮流を作った人のように思われている呉座さんが、あえて「文明論の復権」こそがいま必要だと。そう感じた理由をまず聞いてみたいのですが。

呉座:そもそも「実証史学の権化ごんげ」のように思われてきたこと自体、私にとっては違和感があったんですよ。『応仁の乱』より前に発表した『一揆いっきの原理』(洋泉社、2012年。現在はちくま学芸文庫)や『戦争の日本中世史』(新潮選書、14年)は、むしろ大きな見取り図を示そうとした著作で、蛸壺たこつぼ化する日本史学界への異議申し立ての意味を込めていました。

今の歴史学界というのはどんどん細分化して、最新の研究ほど「重箱のすみ」をつつく」感じになっています。もちろん学界の中の論理としては、そうした先行研究との「微細な違い」が大事だということになるんですけど、それだとアカデミアの外にいる一般の読者には、「歴史を学ぶ意味」がなにも伝わらないと思うんですよね。

結果として、與那覇さんが『歴史なき時代に』(朝日新書)で書かれたように、歴史学に基づく書籍や論説のメッセージが、社会にまったく届かない状況が生まれている。なので『応仁の乱』がヒットした後には、「ひとつの争乱を細かく描きます」といった歴史本がウケたものの、ちょうど重なるような形で、やたらと大きな話のブームも来て。

與那覇:ユヴァル・ノア・ハラリらの、ビッグヒストリーですよね。世界的に読まれた『サピエンス全史』(河出文庫)の英語版が、2014年でした。ハラリ自身は歴史学者を名乗っていても、彼の本の内容はむしろ、進化生物学に基づく未来学とでも言うか……。

呉座:動物行動学みたいなところから入って、「ではヒトの特徴とはなんでしょう?」という方向に進む議論だから、もう歴史を飛び越えちゃってるんですよね。そうした風潮に乗ってバズワードになったのが「人新世じんしんせい」ですが、これは「更新世」「完新世」に続くものとして提案された地質学の概念(学術用語としては否決されるなど賛否あり)ですから、ひとつの時代区分が10万年以上に及ぶ単位の話。完全に歴史学のスケールを超えているし、それこそ文明以上に大くくりな「人類」という単位で考えてしまうわけでしょう。

時代や地域によって、「同じ人間」といっても社会の前提や行動の様式が「いかに違うか」を歴史学は描いてきたわけで。そうした歴史学の知見が切り捨てられ、「人類」として一括する語りに代替されてしまう流れには抵抗があります。

與那覇:実際にハラリらを読むと、ヒトがサルの一種に過ぎなかった「動物時代」、それが科学に基づき世界の支配者となった「人間時代」、そして逆に新たな技術に追い抜かれる「AI時代」の三区分さえあれば、それ以上に複雑な話は要らないんだなと思えてしまう(笑)。AIは画期的ですよとか、ヒトによる環境破壊を止めようといったアピールには使えるのでしょうが、しかし歴史の名にあたいするかと言われればNOですよね。むしろ、
ポストヒストリー(歴史の概念が死滅した後の時代)の表れでしょう。

アカデミアの「内輪の相撲すもう」はもう要らない

與那覇:一方で、歴史学の動向に通じた読者からは「だったら、グローバル・ヒストリーみたいな研究ではダメですか?」という声が上がりそうですが、ここはいかがですか。

呉座:うーん、私は現状のグローバル・ヒストリーには批判的で、歴史学界の中の「内輪でとる相撲」になっていると思うんです。まずは他の研究者の歴史叙述を、「一国史(たとえば日本史)の枠に閉ざされている」と批判する。対して自分は諸外国との接点を重視し、海外の学者や他国史の研究者と連携して、国際的・分野横断的に研究していると誇るわけです。
でも学界の外にいる普通の読者にとっては、そもそも一国史としての日本史のイメージすら、いまや持つことが難しくなっている。完全に求めるものが食い違っていないでしょうか。

與那覇:そうですよね。呉座さんがかつて批判した百田ひゃくた尚樹さんの『日本国紀』(幻冬舎文庫)だって、普通の読者が日本史の全体像をもう把握できないから、その空白を「小説家の私が埋めてあげます」という形で出てきている。そんな状況で「一国史はよくない」みたいな高望みを語られても困ると(苦笑)。

呉座:また日本のグローバル・ヒストリー研究には自己矛盾があって、本来のグローバル・ヒストリーは「学問におけるヨーロッパ中心主義を相対化する」という問題意識で出てきたんです。ところが日本人は、それを「欧米ではこれがしゅんの潮流だから」という風に取り入れる(笑)。そういう借り物の問題意識に基づくグローバル・ヒストリーではむしろ西洋中心主義の上塗うわぬりというか、よりこじれた形になってしまいます。

そう考えたとき、かつては日本人の著者が自らの学識や経験を踏まえて、日本社会の現状に対するアクチュアルな問題意識を込めて独自の文明史・文明論を書き、しかも広く読まれていた。そうした成果に学び、日本に土着の「世界史の見方」を磨いてゆく方が、欧米中心の歴史観を本当の意味で相対化してゆける気がするんですよね。

與那覇:僕自身、学問的に書かれた文明論にはいまも大事な作法があって、それは悪口としての「文明論」の弊害をめるものでもあったと思っています。いま多くの読者が「雑な議論」という意味での文明論と聞いて想像するのは、「すべてを単一の二項対立に落とし込む」タイプの論じ方ですよね。農耕民族・対・遊牧民族、とか。あるいは多神教・対・一神教、とか。

しかし比較文明学会が1983年に設立されて、いまもあるわけですが、そこで説かれていたのは文明を「複合的に見る」ことだったと思うのです。たとえば「農耕民族で一神教」の場合も、「遊牧民族で多神教」の場合もあるよとけ算をすれば、先ほどの二項対立でも四択にはなる。そこに政治体制(民主主義か権威主義か)、経済体制(資本主義か社会主義か)、家族構造……のように複合性を足していくことで、むしろ粗雑な「〇〇型の文明は全部こうだ」式の議論をたしなめることが意図されていた。

呉座:そのとおりで、アカデミアがいかに軽視しようが、文明論にはニーズがあるわけです。国際情勢が波乱を呼んだり、ビジネスの上で異なる文化の人とつきあったりする時、手がかりとしてどうしても参照したくなる。
そうした時、著者の個人的な体験ひとつで「アメリカ人はこう」「中国人はこう」のように決めつける、本当にいい加減な文明論しかマーケットに出回っていなかったら、それが普通の読者の歴史観を席巻せっけんしてしまう。

そうした状況は排外主義的な陰謀論の温床おんしょうにもなるので、対抗するには「良質な文明論」を、むしろ積極的に供給してゆかないといけない。実際、戦後の日本ではかなりの程度それができていたと思うんですよ。

文明は国家を相対化する

與那覇:こうした観点で、採り上げる1冊目は梅棹忠夫(文化人類学)の『文明の生態史観』。書名のとおり「文明」というユニットで歴史を考える意義として、ちょうど参考になる指摘が2か所に出てきます。
 
ひとつは122ページに、ヨーロッパは古代のギリシア・ローマ文明を受け継いだと言っているけど、梅棹さんはそれは違うと。また232ページには井筒俊彦さんから聞いたとして、エジプトの知識人の面白い言葉を引用し、要は「エジプト人はギリシア文明の伝統を受け継いだのだから、東洋人ではなく、むしろヨーロッパ人だ」とする自意識があるのだと。

国という単位で見ると、エジプトはアフリカ大陸にあるんだから「ヨーロッパなわけがないでしょ」と思う。でも文明という別の単位を設けることで、そうした自明性を一回崩すことができる。そこが本来の文明史の意義だと思うんですね。

呉座:おっしゃるとおりです。古代には「地中海文明」というものがあり、そこではギリシアとエジプトを「前者は西洋、後者は東洋」のように区別する意識はおそらくなかった。たとえばエジプトにあったアレキサンドリア図書館は、そうした地中海文明の知的な成果を収蔵する場所として、当時の世界で最大の威容を誇りました。

ヨーロッパは近代化する際に、古典として伝えられたギリシア・ローマの政治思想を参照し「われらこそ、その後継者なり」と位置づけたわけですが、それはあくまでも彼らの「自己イメージ」に過ぎない。梅棹が示唆しているのもそういうことでしょう。

與那覇:つまり文明という視点で歴史を書くことは、国家を相対化する点で、それこそグローバル・ヒストリーと同じ効能を持っているわけですよね。これは視野を一国に限っても言えることで、たとえばギリシアという国は今もあるし、かつてギリシア文明というものがあった史実もみんな知っているけど、今日のギリシア人が「ギリシア文明の下で生活している」と思う人は誰もいない(笑)。文明という単位で捉えることで、国名が続いていても「文明としては滅んだ」という認識を持つことができるわけです。


お読みいただきありがとうございました。
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呉座 勇一(ござ・ゆういち)
国際日本文化研究センター助教。1980年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。『戦争の日本中世史』(新潮選書)で第12回角川財団学芸賞受賞。『応仁の乱』(中公新書)は48万部超のベストセラーとなった。他の著書に、『頼朝と義時』(講談社現代新書)、『日本中世への招待』(朝日新書)、『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『陰謀の日本中世史』『戦国武将、虚像と実像』(角川新書)など。

與那覇 潤(よなは・じゅん)
評論家。1979年、神奈川県生まれ。2007年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。当時の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として7年間教鞭をとった後、17年に病気離職。20年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏との共著、新潮選書)で小林秀雄賞。21年の『平成史』(文藝春秋)を最後に、新型コロナウイルス禍での学界の不見識に抗議して歴史学者の呼称を放棄した。他の著書に、『中国化する日本』『知性は死なない』(文春文庫)、『長い江戸時代のおわり』(池田信夫氏との共著、ビジネス社)など。

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