和田 哲/ブラサトル

昭和47年生まれ札幌在住。O.tone編集デスク。古地図や写真などから札幌や北海道の歴…

和田 哲/ブラサトル

昭和47年生まれ札幌在住。O.tone編集デスク。古地図や写真などから札幌や北海道の歴史を読み解いています。HBC「今日ドキッ!」に不定期出演、NHK「ブラタモリ」札幌編2人目の案内人。O.toneでは「古地図と歩く」を連載しています。

最近の記事

【東京五輪マラソンコースあれこれ(8)】 北24条が「北のすすきの」になるまで

「北のすすきの」と呼ばれる北24条界隈。しかし、終戦までは市街地ですらなく、のどかな農村地帯でした。地下鉄の駅ができるほんの26年ほど前の話です。下の写真は昭和23年(1948)に米軍が撮影した空中写真。中央の十字路が北24条通と西5丁目樽川通との交差点です。左上には札幌飛行場の滑走路跡が見えます。 この界隈で最初に酒を飲ませた店は、札幌飛行場内で昭和20年(1945)に開店した「カフェつばさ」だといわれています。進駐軍の兵士が集まる店だったようです。 昭和23年(194

    • 【東京五輪マラソンコースあれこれ(7)】 北1条通の道幅はなぜ変わる?

      北1条通は、駅前通との交差点を境に道幅が変わります。西4丁目から西は中央分離帯のある広い通りになり、両サイドには自転車レーンが設置されています。しかし広い区間は長くは続かず、西8丁目のSTVの前からは元の道幅に戻るのです。 実はこれ、明治初期の都市計画の名残で、140年以上変わっていないのです。碁盤の目のような町割がほぼ成立した明治8年(1875)の札幌の地図を見ると、ほぼ現在の道庁の位置に開拓使本庁がありました。その敷地はとても広く、道庁の5倍もあります。役所は城であると

      • 【東京五輪マラソンコースあれこれ(6)】 北24条の飛行場跡

        札幌から東京への旅客機が最初に飛び立った飛行場は、何と北24条にありました。現在は門柱だけが北24条西8丁目に残されています。マラソンではその前を3回通過(16.6km、26.6km、36.6km)します。 この飛行場は昭和2年(1927)に北海タイムス社が開設しました。この時代、北海道の2大新聞社だった北海タイムス社と小樽新聞社は、競うように自社専用の飛行機とパイロットを抱えていたのです。広い北海道で記事や手紙などを早く運べるだけではなく、当時は飛行機そのものが珍しく、飛

        • 【東京五輪マラソンコースあれこれ(5)】 公園をはさんで一本につながる街道

          前半の8km地点付近から、ランナーは平岸通(平岸街道)を北上。北海学園の前を通り過ぎると、平岸通は豊陵公園(札幌市豊平区豊平4条3丁目)に突き当たって終わります。マラソンコースは公園の外側を半周して南7条米里通に入り、都心方面に向かいます。 地図をよく見ると、豊陵公園の北側に平岸通の延長線のような道路が延びているのが分かるでしょうか? 公園の南に延びる幅の広い平岸通と、北に延びる細い道路。実は、昔は一本の古い街道だったのです。 札幌本府から平岸村への近道として開かれたこ

        【東京五輪マラソンコースあれこれ(8)】 北24条が「北のすすきの」になるまで

          【東京五輪マラソンコースあれこれ(4)】 寅さんが道を尋ねた交番の跡

          映画「男はつらいよ 望郷編」(1970年 松竹)で、寅さんは弟分の登と一緒に札幌にやってきます。昔お世話になった政吉親分が危篤だと聞いて飛んできたのです。 寅さんが警察官に道を尋ねたのが、創成川と南1条通が交わる創成橋のたもとにあった南1条交番。赤れんがに瓦屋根の古く美しい建物で、映画ではその背後を市電の600形電車が都心方面へ走っていきます。 その交番も、創成橋を渡る市電の線路も今はありません。交番は北海道開拓の村に移築保存され、跡地には交番の印象を残す赤れんがの休憩所

          【東京五輪マラソンコースあれこれ(4)】 寅さんが道を尋ねた交番の跡

          【東京五輪マラソンコースあれこれ(3)】 最南端の上り坂は地球からの贈り物

          今回のコースは平坦だといわれますが、最高地点と最低地点では約45mの標高差があります。とはいえ、走っている人にはほとんど分からない程度かもしれませんね。 でも1カ所だけ、ちょっとキツい上り坂があります。前半に走る最南端、中の島から平岸街道への上り坂です。約200mの距離で標高差14mを上がるなかなかの勾配で、毎年の北海道マラソンでも難所としておなじみです。なぜこの坂道ができたのでしょうか。 今の支笏湖はもともと、一つの大きな山でした。それが約4万年前に大噴火し、道央全域に

          【東京五輪マラソンコースあれこれ(3)】 最南端の上り坂は地球からの贈り物

          【東京五輪マラソンコースあれこれ(2)】 時計のサイズを間違えた札幌時計台

          北海道大学の前身、札幌農学校教頭のクラーク博士は、有事に備えた軍事訓練の授業を行うための演武場(体育館)の建設を提言。明治11年(1878)10月に完成したのが現在の時計台(旧札幌農学校演武場)です。 実は、完成当初はシンボルの時計がなく、小さな「鐘楼」が屋根の上にあるだけでした。完成式に出席した黒田清隆開拓長官のひらめきで、急遽、鐘楼に時計を設置することが決まったといわれています。 農学校ではさっそく、ニューヨークのハワード時計商会に時計を注文。しかし、翌年札幌に届いた

          【東京五輪マラソンコースあれこれ(2)】 時計のサイズを間違えた札幌時計台

          【東京五輪マラソンコースあれこれ(1)】 個人が架けた橋と残念な扱いの碑

          昭和2年(1927)、まだ橋が少なかった豊平川に、江別の河合才一郎氏が私費4万円(当時)を投じて全長159mの木橋を架けました。両岸の札幌市と豊平町(当時)の1字ずつを取って「幌平橋」と命名。河合氏には中の島を市街地にしようという考えがあったようで、彼自身もそこで「精進庵」という料亭を経営します。 幌平橋は当初、札幌市民からは「渡ってもリンゴ園しかないリンゴ橋」と揶揄され、豊平町民からは「都会の泥棒が橋を渡ってくる泥棒橋」と揶揄されました。それでも、架橋から数年後には、中の

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          2020東京五輪 マラソンコースが決まる

          懸案だった2020東京五輪のマラソンコースが決まり、大通公園のビアガーデンも開催する方向で調整するとのこと。朝なので飲んでいる人はいませんが、ビアガーデン会場を5〜10丁目まで往復するというのも札幌らしいと思います。 このコースは話題の宝庫なんです。ざっと思いついたものだけを落とし込んでみました。あとは、僕ら市民がどう沿道の応援を盛り上げて、世界中の選手の皆さんに気持ち良く走っていただくかですね! 日本だけではなく、参加するすべての国の旗を振って応援したい。 ただし、今回

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