北24条の変遷

【東京五輪マラソンコースあれこれ(8)】 北24条が「北のすすきの」になるまで

「北のすすきの」と呼ばれる北24条界隈。しかし、終戦までは市街地ですらなく、のどかな農村地帯でした。地下鉄の駅ができるほんの26年ほど前の話です。下の写真は昭和23年(1948)に米軍が撮影した空中写真。中央の十字路が北24条通と西5丁目樽川通との交差点です。左上には札幌飛行場の滑走路跡が見えます。

空中写真

この界隈で最初に酒を飲ませた店は、札幌飛行場内で昭和20年(1945)に開店した「カフェつばさ」だといわれています。進駐軍の兵士が集まる店だったようです。

昭和23年(1948)になると、樺太などから引き揚げた人々のための住宅が北24条に建ち始めます。北24条西4丁目に赤ちょうちん屋台が誕生したのは、それから間もなくのこと。人口が増えたのを受けて、昭和27年(1952)に市電が北24条まで延伸されると、商店や飲食店が次第に増え、のどかな農村は賑やかな街へと変貌します。

昭和30年代にかけて、札幌の人口はおもに北部で急増。市電は昭和29年(1954)に複線化され、昭和34年(1959)には北27条、昭和38年(1963)には麻生町、昭和39年(1964)にはついに新琴似駅前まで延伸されました。

その後、札幌冬季オリンピックを前にした昭和46年(1971)12月、北国の交通革命といわれた地下鉄南北線が真駒内から北24条まで開業。市電の札幌駅前~北24条間は廃止され、北24条~新琴似駅前間だけが残されました。地下鉄と市電の乗り換え客が毎日歩く北24条では、飲食店がさらに増え、とうとう「北のすすきの」と呼ばれるようになったのです。

北24条の変遷

市電の残存区間が消えたのは昭和49年(1974)、昭和53年(1978)には地下鉄が麻生まで延伸されました。乗り換え客がいなくなっても北24条の賑わいは継続。現在も全盛期ほどではないものの、個性的なお店が多い界隈として多くの人を楽しませています。

ちなみに、北24条西5丁目の「札幌サンプラザ」は、市電の幌北車庫の跡地です。

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