【東京五輪マラソンコースあれこれ(6)】 北24条の飛行場跡
札幌から東京への旅客機が最初に飛び立った飛行場は、何と北24条にありました。現在は門柱だけが北24条西8丁目に残されています。マラソンではその前を3回通過(16.6km、26.6km、36.6km)します。
この飛行場は昭和2年(1927)に北海タイムス社が開設しました。この時代、北海道の2大新聞社だった北海タイムス社と小樽新聞社は、競うように自社専用の飛行機とパイロットを抱えていたのです。広い北海道で記事や手紙などを早く運べるだけではなく、当時は飛行機そのものが珍しく、飛ばすだけでも宣伝になったといいます。
最初は今の北24~26条、西6~8丁目の3丁四方の広さでしたが、昭和8年(1933)に逓信省が大きく拡張して国営飛行場に変更。民間機などに使われ始めます。ここを飛び立つ飛行機からまかれる宣伝ビラが、子供たちの楽しみでもありました。
昭和12年(1937)には札幌・東京間(仙台経由)の定期便が就航。パイロットの目印となる航空灯台が、南1条の丸井今井百貨店の屋上に設置されました。しかし、滑走路とはいっても草を刈っているだけ。機体が時々ぬかるみにはまったと伝えられています。
戦時中は軍用の飛行場になりました。昭和19年(1944)に板敷きの滑走路が完成し、翌年には拡張工事も始まりましたが、ほとんど使われないまま終戦。進駐軍の火炎放射器で、残っていた機体、建物、板敷き滑走路などすべてが焼き尽くされてしまいました。
板敷き滑走路は、北24条西5丁目の現在のサンプラザ付近からJR新川駅付近にかけて延びていました。古い航空写真を見ると、他にも西13丁目を北24条から北31条まで南北に延びる滑走路と、北26条を新川から西5丁目通まで東西に延びる滑走路もあったようです。
もし今、ここに飛行場が残っていたら便利でしたね。