北1条通の幅

【東京五輪マラソンコースあれこれ(7)】 北1条通の道幅はなぜ変わる?

北1条通は、駅前通との交差点を境に道幅が変わります。西4丁目から西は中央分離帯のある広い通りになり、両サイドには自転車レーンが設置されています。しかし広い区間は長くは続かず、西8丁目のSTVの前からは元の道幅に戻るのです。

実はこれ、明治初期の都市計画の名残で、140年以上変わっていないのです。碁盤の目のような町割がほぼ成立した明治8年(1875)の札幌の地図を見ると、ほぼ現在の道庁の位置に開拓使本庁がありました。その敷地はとても広く、道庁の5倍もあります。役所は城であるという考えがまだ残っていたのかもしれません。

碁盤の目のように整然と並ぶ道路は、幅11間(約20m)が基本でした。しかし、開拓使本庁の敷地を取り囲む外周路は例外で、幅20間(約36m)もあったのです。正門の正面には曲線の飾り道路がついた芝生が設けられるなど、それまでの日本にはなかった都市デザインを採用していました。

この時の道幅が、現在もそのまま引き継がれているのです。駅前通と北1条通の広い区間は、当時と同じく幅20間(約36m)なのです。駅前通は戦後にすすきの交差点まで36mに拡幅されました。一方、北1条通は明治初期の4丁だけ幅が広い状態が維持されています。

ところで、北1条通と駅前通の交差点には「北海道神宮」と書かれた石造りの社号標があります。これは、もともと西20丁目までしかなかった北1条通を、今からちょうど100年前の大正9年(1920)に札幌神社参道まで貫通させたのを記念して建立されたもの。昭和39年(1964)に札幌神社の名称が北海道神宮に変わった時に、社名の部分だけを修正した跡があります。

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