【東京五輪マラソンコースあれこれ(5)】 公園をはさんで一本につながる街道
前半の8km地点付近から、ランナーは平岸通(平岸街道)を北上。北海学園の前を通り過ぎると、平岸通は豊陵公園(札幌市豊平区豊平4条3丁目)に突き当たって終わります。マラソンコースは公園の外側を半周して南7条米里通に入り、都心方面に向かいます。
地図をよく見ると、豊陵公園の北側に平岸通の延長線のような道路が延びているのが分かるでしょうか?
公園の南に延びる幅の広い平岸通と、北に延びる細い道路。実は、昔は一本の古い街道だったのです。
札幌本府から平岸村への近道として開かれたこの道は、明治6年(1873)の地図にも描かれています。平岸街道と本願寺道路(現在の国道230号の祖先)を経由して中山峠を越え、洞爺湖方面に向かう道でした。「有珠新道」と呼ばれていたようです。
明治初期、札幌から定山渓に湯治に行く人はこの道を歩きました。定山渓の湯守・美泉定山和尚を訪ねた開拓使判官・岩村通俊も、「定山和尚に会いに行く」と家族に言い残して行方不明になった札幌開祖の一人・志村鉄一も、きっとこの道を歩いたはずです。(志村鉄一の最期については諸説あります)
今でも私は、平岸方面に用事がある時、この道を自転車で走ります。近道なので早く着き、とても助かるのです。
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