幌平橋の石碑

【東京五輪マラソンコースあれこれ(1)】 個人が架けた橋と残念な扱いの碑

昭和2年(1927)、まだ橋が少なかった豊平川に、江別の河合才一郎氏が私費4万円(当時)を投じて全長159mの木橋を架けました。両岸の札幌市と豊平町(当時)の1字ずつを取って「幌平橋」と命名。河合氏には中の島を市街地にしようという考えがあったようで、彼自身もそこで「精進庵」という料亭を経営します。

幌平橋は当初、札幌市民からは「渡ってもリンゴ園しかないリンゴ橋」と揶揄され、豊平町民からは「都会の泥棒が橋を渡ってくる泥棒橋」と揶揄されました。それでも、架橋から数年後には、中の島地区の市街地化が進んだ様子が当時の地図から分かります。リンゴの出荷にも大いに活用されました。

その後何度か架け替えられ、現在のアーチが印象的な橋は平成7年(1994)に完成。広い歩道部分はアメリカ・ポートランド市との姉妹都市提携35周年を記念して「ポートランド広場」と命名され、アーチの上から展望を楽しめるようになっています。

戦後の昭和23年(1948)、中の島と平岸の住民有志が、橋を架けた河合才一郎の偉業を称える石碑を建立しました。碑は今も、中の島側の道路沿い北側にありますが、マンションの駐車場の中なので目立ちません。車が碑を囲むように駐車している様子は、ちょっと残念な感じがします。

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