【映画】「原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち」感想・レビュー・解説

これは面白い映画だったなぁ。この「面白い」のは、「自分が知らなかった知識が満載」という意味で、「映像が綺麗」とか「構成が上手い」みたいなことではないのだが、とにかく「まったく知らなかったことを知れた」という満足感がメチャクチャ高い映画だった。

映画の公開館は決して多いとは言えない(今日が初日だが、今日時点では東京の1館のみでしか観られない)ので、できれば僕の文章をちょっと読んでみてほしいと思う。(公開館の情報は公式HPで見てください。
https://saibancho-movie.com/)

さて、予め書いておく必要があると思うが、僕はこの映画に出演している人の関係者でもなければ、映画のクラウドファンディングに参加したわけでもない。まったく一般の観客というわけだ。また、僕の「気分」は「原発反対」だが、「思想信条」と言えるほどには強くない。実際、原発反対を訴えたり、何か行動に起こしたりしているわけではない。興味関心があって、関連する映画や本などには多少触れているが、その程度であり、一方、多少なりとも映画や本に触れている僕でもまったく知らなかった話がバンバン出てくるという意味で、興味深い映画だと良いだろう。

この映画の主人公は、樋口英明という人物である。彼は、福井地方裁判所の裁判長だった人物であり、現在は定年退職し、元裁判官という立場になっている。彼が注目を集めたのは、2014年5月21日の原発裁判での判決だ。彼は、大飯原発の運転差し止めを命じる判決を下したのである。ちなみに僕は、この映画を見るまで、彼の存在も知らなかった。

さて、そんな樋口英明が主人公となると、映画では「国策である原発にNOと突きつけた樋口英明は凄い」という話になりそうだろう。確かにそういう称賛の声は映画の中でも少し出てくる。しかしこの映画で徹頭徹尾描かれるのは、「樋口英明はどのような理屈で原発の運転差し止めの判断を下したのか」という点である。映画ではこれを「樋口理論」と呼んでいる。

そして、この「樋口理論」が非常に明快で分かりやすい画期的なものなのだ。原発裁判で原告の弁護士代表を務めることが多い河合弘之(「逆襲弁護士」として有名な人物だ)は彼の判決を、「脱原発のバイブルになり得るほど質が高い」と言っていた。

「樋口理論」の説明の前にまず、日本の原発裁判の「困難さ」について触れておこう。

河合弘之ら日本中の弁護士は、1970年代から原発裁判をずっとやってきたのだが、悉く負け続けたのだという。その理由は様々にあるだろうが、1つに「高度な科学理論が争点になってしまう」という点を挙げることができる。電力会社が、裁判官もうんざりするような難解な資料を提出し、それが裁判における争点になってしまう。映画の中で「裁判官の三重苦」として、「文系」「3年しかいない(異動が多い)」「超多忙」の3点が挙げられていたが、これらの理由から、「高度な科学理論が争点になる裁判」において、裁判官は「匙を投げてしまう」のである。

ある原発裁判での判決文を河合弘之が説明した後、「分かりやすく言うとこうなる」と要約していたのだが、それが、

【原子力規制委員会の判断が出てしまえば、裁判官にはその判断は覆せませんよ】

となる。つまり、「裁判所は、原子力規制委員会の判断を追認するしか無い」と認めるような文章が判決文に書かれているというのだ。この裁判について監督から「当たった裁判官が悪かった?」と問われた樋口英明は、「ぶっちゃけそうですね」と返しており、彼の判断では、「まともな裁判官に当たれば勝てます」という感じだそうだ。つまり、「原子力規制委員会の判断を追認するしか無い」という判断は、さすがにお粗末すぎるもので、裁判所全体がそのように判断するはずがない、と受け止めているようだが、それにしても驚きである。

このように、原発裁判は、「難しい話が出てくる」ため、裁判官も困るし、弁護士も追及しきれないし、判決が出ても国民が関心を持てないという状況に陥ってしまう。もちろん、電力会社がそういう状況を望んでいるわけだ。

そんな中、「樋口理論」が現れた、というわけである。「画期的」と言いたくなる理由も分かるだろう。樋口英明は、

【原発が国策であることは間違いないのだから、高校生でも理解できる理屈で闘わなければ、裁判所の決定を動かせない】

みたいなことを言っていた。

それでは「樋口理論」の説明に移ろう。話は極端にシンプルだ。それは「原発は、耐震性に問題がある」という話である。

その説明のために、地震の規模を示す3つの指標について触れよう。「マグニチュード」「震度」「ガル」である。「マグニチュード」「震度」は聞き馴染みがあるだろうが、「ガル」は僕もこの映画で初めて知ったぐらいの存在だ。そして、原発の耐震性に絡む安全基準(「基準地震動」という名前で呼ばれている)は、この「ガル」で決められている。

「ガル」というのは、「観測地点での振動の激しさ」を表わす指標であり、物理学的に言うと「加速度」の単位だそうだ。「震度」とどう違うのかは自分で調べてほしい(僕もちゃんとは理解していない)。

東日本大震災以前における、日本の原発の基準地震動がまとまったグラフが表示されるのだが、大体600ガルから1200ガルぐらいまでだった。つまり、600ガル~1200ガルまでの地震には耐えられる設計ですよ、という意味だ。

さて、この基準地震動は十分なのだろうか?

樋口英明が担当した原発裁判では、「2000年以降に基準地震動を超える地震が30回以上も発生している」ことが示された。なかなか凄い数字だろう。映画でも、どの地震でどれぐらいのガルが観測されたのかという数字が、先程の基準地震動と同じ表にまとめられていた。700ガル~2000ガルぐらいの地震は普通に起きているし、東日本大震災では2933ガルだった。ちなみに、福島第一原発の基準地震動は600ガルである。

つまり、原発の耐震性は、日本でよく起こる地震以下しかない、ということなのだ。「原発は耐震性に問題がある。だから稼働は認められない。以上」というのが「樋口理論」の骨子である。メチャクチャ分かりやすいだろう。

同じ表に、住宅メーカーが公表している基準地震動の数字を並べられていた。つまり、「自社が提供する住宅は、このぐらいの地震には耐えられますよ」というものである。住友不動産では3406ガル、三井ホームでは5115ガルだそうだ。「えっ?」と思うだろう。原発が1200ガルで、住宅が3400ガルなんて、そんなバカな、と。

ここには理由がある。原発の基準地震動は、「配管・配電」のものなのだ。

電力会社は、裁判でこんな主張をするそうだ。「原子炉や格納容器の基準地震動はもっと高い。普通の地震で壊れるようなものではない。だから原発は安全だ」と。しかし樋口英明は、この主張を一刀両断する。

何故なら、福島第一原発事故は、まさに「電源の供給」が断たれたことによって起こったものだからだ。福島第一原発では、水蒸気爆発で建屋は吹き飛んだが、確かに原子炉や格納容器は破損しなかった(ただ、後で触れるが、これは耐震性が十分だったからではなく、奇跡が連続したお陰だ)。ただ、電源の供給が断たれ、冷却を行えなくなったことで、あそこまで壊滅的な被害が及ぼされたのだ。だから樋口英明は、原子炉や格納容器の耐震性がどれだけ高くても、配管・配電の耐震性が十分でなければ原発を動かすことはできない、と判断したのだ。

非常に真っ当な判断であると思う。

ちなみに、現在日本中で講演を行っている樋口英明は、自身の講演の中で、「原発は、老朽化すればするほど耐震性が上がるという不思議な状況になっている」と語っていた。福島第一原発事故後、原子力規制委員会の規制を通すためだろう、様々な原発で基準地震動が高くなった。普通、老朽化に伴って基準地震動はむしろ低くなるはずなので、これは非常に不思議な話である。樋口英明は自身が担当した原発裁判で、「耐震性を上げるためにどんな工事を行ったのですか?」と聞いたそうだが、電力会社は、「パイプの支えを増やしました」と答えたそうだ。樋口英明は、「そんなこと、建設する時点でやっとけよって感じですよね」と、上映後のトークイベントの中で話していた。

しかも、基準地震動を上げる判断は、「耐震テストが行われてのもの」ではない。コンピュータでシミュレーションを行い、耐震性が上がったと判断しているそうなのだ。建物全体の耐震テストなど出来ないだろうから仕方ないのかもしれないが、「それでいいのか?」という気もしてくるだろう。

また、電力会社はこのような主張もするそうだ。曰く、「基準地震動は基本的に、地下の固い岩盤を基準にしている。地上に存在する原発に影響はない」と。つまり、こういうことだ。固い岩盤層は、強い地震でもあまり揺れないだろう。そして、原発は固い岩盤層に直接建てられている。地上が大きく揺れたとしても、岩盤層の揺れが小さいだろうし、原発の基準地震動は岩盤での揺れを基準にしているのだから問題はない、と。

しかしそれを覆すデータも存在する。新潟中越地震においては、地上では最大でも1018ガルだったのに対して、その下にある岩盤層では1699ガルが記録されたのだ。東日本大震災でも、地上で504ガル・922ガルが記録された一方、岩盤では675ガルだった。決して「岩盤の揺れの方が小さい」わけではないのである。

さて、さらに驚かされるような主張を電力会社は行っている。近年、「南海トラフ巨大地震」に関する話題を目にする機会が多いだろう。今後30年間に発生する確率が70%と言われる、とんでもない地震だ。

さて、そんな南海トラフ巨大地震に関わる愛媛県に、伊方原発がある。2021年にこの伊方原発の運転差し止めを求めて裁判が行われたのが、地裁では原告が敗訴となった。その裁判で四国電力は、「仮に、南海トラフ巨大地震の震源が伊方原発の直下だったとしても、181ガルしか発生しない」と主張しており、その主張を基に原子力規制委員会は許可を与えているのだ。被害がほとんど発生しないような地震でも700ガル程度のものはあるし、東日本大震災では2933ガルだったというのに、南海トラフ巨大地震では最大でも181ガルにしかならないというのは、どういう計算をしているのか謎すぎるだろう。樋口英明が担当した原発裁判でも、電力会社が「700ガル以上の地震は来ません」と主張したという。何を言っているんだ、という感じだろう。

さて、謎というと、映画を観ながらずっと疑問に感じていたことがあったので、トークイベントでその点について質問してみた。

僕が理解できなかったのは、「耐震性の問題は、何故それまで裁判で争点とならなかったのか?」である。1970年代から原発裁判をやり続け、今なお不屈の精神で闘いを続けている弁護士がたくさんいる中で、この「耐震性」の問題に誰も気づかなかったとは考えにくかったのだ。

その点について質問してみると、なるほどという答えが返ってきた。樋口英明は、「700ガルという基準地震動が高いのか低いのか誰にも分からなかった」と言っていたのだ。

どういうことだろうか?

原発の基準地震動については、昔から公表されていた。しかし問題は、「実際の地震でどれぐらいのガルが測定されるのかのデータが存在しなかった」ということだ。つまり、「それを観測する装置が設置されていなかった」というのだ。研究所など一部の場所にはあったが、全国で発生する地震を測定するような網羅的な測定が、そもそも行われていなかったのである。

これには驚かされた。なかなか信じがたい話だろう。

設置のきっかけになったのは、阪神淡路大震災だったそうだ。高速道路が倒壊している印象的な映像を記憶している人も多いだろうが、あの場所から少し離れた場所に測定器があったようだ(研究所なんかがあったんだろうか)。そしてそこで700ガルという数字が出たという。それで地震研究に関わる人はみんな驚いたそうだ。高速道路倒壊の現場から離れた場所で700ガルだとしたら、倒壊の現場では当然もっと高いだろう。そう考えられるようになり、全国に測定器の設置が始まった。それが完了したのが2000年である。樋口英明の裁判で示された「過去20年間で基準地震動を超える地震が30回以上起こっている」というデータも、測定器が設置されたことでようやく分かったことなのだ。

それまでの裁判では、耐震性については、それこそ「高度な科学理論」の話になってしまっていた。これこれこういう理屈であーだこーだで耐震性が十分です、という電力会社からの説明を鵜呑みにするしかなかったのだ。しかし、実際の地震でガルが測定されるようになったことで、「原発の耐震性、全然ダメじゃん」ということが明らかになっていったのである。

河合弘之は、「樋口理論」が示されて以降の原発裁判を経験したことで、「樋口理論に対する反対は出尽くしたと思うので、これからは自信を持ってひっくり返していける」と語っていた。また原発裁判についてはもう1つ、画期的な判決が出されている。2021年3月18日に水戸裁判所で出されたものだ。東海第二原子力発電所の運転差し止めを命じたこの判決は、「避難計画が不十分」というただ1点の理由によってその判断がなされた。「耐震性」を衝く「樋口理論」と、「避難計画の不備」を衝くこの判決で、これから原発裁判の趨勢が変わっていくのではないかと思わされた。

さて原発の話として最後に、「福島第一原発事故での奇跡」について触れておこう。福島第一原発事故では、「最悪のシナリオ」として想定されていたのは、「半径170km圏内は強制移転、半径250km圏内は任意移転」というものだ。任意移転の範囲は、盛岡から横浜に至るぐらいの広範囲であり、もし「最悪のシナリオ」が現実化していたら、東日本は壊滅していたと言っていい。

それが防がれた奇跡は10ぐらいあり、そのどれか1つでも起こらなかったら東日本壊滅は免れなかったと語られていたが、映画の中ではその内の2つの奇跡について触れられていた。福島第一原発事故の2号機と4号機の話である。

僕は、「2号機は奇跡的に爆発しなかったが、その理由は未だ判明していない」というところまでは知っていたが、その後その理由が明らかになったのか、映画では説明がされていた。2号機はウラン燃料が溶け落ち、原子炉の底が溶け大爆発を起こしてもおかしくなかった。しかし、あってはならないことだが、原子炉のどこかに「弱い部分」があったようだ(設計ミスなのか、経年劣化を見落としたのかのどちらかだろう)、そこから水蒸気が漏れ出したことで、奇跡的に爆発しなかったのだという。つまり、「本来はあってはならないミスのお陰で命拾いした」というわけだ。

そして実は4号機にも同じような話がある。4号機は当時点検中で、使用済み核燃料は上部のプールで冷却されていた。さらに、そこに隣接する原子炉ウェルと呼ばれる場所にも、点検中であるため水が満たされていたそうだ(通常運転であればそこに水はない)。東日本大震災を受け、使用済み核燃料が冷却されていたプールの水はどんどんと減り、そのまま行けば大爆発を免れなかった。しかし、原子炉ウェルとの境となっている仕切りの板が何故か外れ、原子炉ウェルの水がプールに流れ込んだお陰で、ギリギリ爆発を免れたそうだ。仕切り板が外れるなどということは普通起こってはいけないことなのだが、そんなあってはならないことが起こったお陰で、4号機の爆発も防がれたのである。

このように、「普通だったら起こらないはずの出来事が幾重にも重なったお陰で、最悪のシナリオが回避された」というのが福島第一原発事故なのであり、逆に言えば、「福島第一原発事故で大丈夫だったから」という理屈は一切通用しないということでもある。

さてでは、この映画のもう1つの柱である「農家」の方についてもざっと触れよう。こちらでは、「ソーラーシェアリング」という取り組みについて触れられている。

ソーラーシェアリングと言われてもなんだか分からないだろう。僕もこの映画で初めて知った。「営農型太陽光発電」とも呼ばれており、「農地の上に太陽光発言パネルを設置することで、農業と売電を両立させる」というものだ。写真を見た方が分かりやすいと思うので、農林水産省のHPのリンクを貼っておく。

https://www.maff.go.jp/j/shokusan/renewable/energy/einou.html

千葉県の長島彬という人が発案したこのシステムは、原発事故で多大な被害を被った福島県を中心に、その取り組みが広がっているそうだ。映画でメインで描かれる農家の近藤恵のところでは、確か「東京ドームほどの面積の畑にソーラーシェアリングを設置し、年間の売電額が1億2000万円」みたいなことを言っていたと思う。加えて、農業の方での収入もあるわけで(売電収入より低く見積もっていたと思う)、なかなかビジネスとして興味深いものではないだろうか。ちゃんとは覚えていないけど、確か彼の農地にあるソーラーシェアリングのパネルだけで、彼が住む二本松市の住宅の10%の電力を賄える、みたいな話だった。別の地区で同じくソーラーシェアリングを行っている人の話だったと思うのだけど、「この辺の農家が皆ソーラーシェアリングを導入すれば、原発何十基分もの発電能力になる」と言っていたのが印象的だった。

日本に再生可能エネルギーを普及させる活動をしている人物(元々は京都大学で原子力について学び、神戸製鋼で「死の灰」の各納期の設計・製造を行っていたという)は、「太陽光発電は10年前と比べてコストが10分の1になり、日本以外の国では最も安い発電システムだと考えられているし、風力はコストが7分の1になり2番目に安い。それにコストはこれからどんどん下がっていく」と言っていた。

なんとなく再生可能エネルギーは難しいのかなと思っていたが、「農地の上にパネルを置く」という発想は見事だと感じた。そもそも農地は日当たりのいい場所に存在するからだ。さらに、「日陰ができることで、植物も光合成の能力が高まる」のだそうだ。一石二鳥というわけである。農地の少ない都市部で同じことは出来ないからこそ、これは、ある意味で「地方の逆襲」と言えるのではないかとも感じた。長島彬は「エネルギーの民主化」という言葉を使っていた。分かりやすい表現だろう。」

映画では、福島での農業の実情にも触れられている。10年以上計測を続けているが、「土壌に放射性物質が残っていても、それが作物から検出されることはない」ということがわかっているという。また、ソーラーシェアリングは「住民の合意形成」が壁として立ちはだかることも多いそうだが、ある意味では、原発事故という最悪の事態が起こった福島だからこそ進めやすいという側面もあるだろうと思う。そう考えると、「農業+売電」というハイブリッドの産業で、福島県がリードするという状況も生まれ得るかもしれない。

そのような希望を抱かせる映画でもあった。

僕は、東京に住んでいて、ただ電気を消費するだけの存在でしかないから、あまり大きな口を叩くわけにもいかないが、「地方で作ってもらった電気を使っていること」に対する申し訳無さみたいなものを、特に福島第一原発事故以降感じるようになったし、自分に何かできるとは思えないが、それでもなんとかしないとなという感覚はある。この映画は、そんな気分を一層高めてくれる作品でもあり、日本の未来が変わるかもしれないと期待させてくれもする作品だった。

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