【映画】「成功したオタク」感想・レビュー・解説

映画としてメチャクチャ面白かったかというとそんなことはないのだが、なかなか興味深いテーマだった。

というか、本作を観てまず何よりも驚かされたのは、「K-POPスターは性犯罪しすぎじゃないか?」ということだ。

本作では「推し活」がメインで描かれていて、そして「推しが逮捕される」という経験をする。本作で「推し」とされているのは、日本でいう「旧ジャニーズ」や「LDH系グループ」、あるいはオーディション番組出身のグループなどだろう。そしてそういう人たちが「性加害」で逮捕されているというのだ。

日本の場合も、「飲酒運転」「薬物」などで逮捕されることはあるが、「性加害」というのはあまり聞かないように思う。もちろんこれも、見方次第だ。もしかしたら、「日本の場合は、アイドルによる性加害は事務所がもみ消しているだけ」なのかもしれない。その辺りのことはよく分からないが、ともかく事実として、「韓国では、K-POPスターが性加害で捕まっており、それにより嘆き悲しむファンが大量に発生する」という状況が、まず本作のベースになっている。

本作の監督はオ・セヨンという大学生であり、彼女は「成功したオタク」と呼ばれている。チョン・ジュニョンを推していて、本人からも認知され、ファンの中でも名を知られるオタクだったからだ。しかし、ある日そんな推しが性加害で捕まった。そこからの自身の葛藤や苦悩を、「同じ境遇にいる人から話を聞く」ことによって内省していくような作品だ。

さて、まずは僕自身のことを書いておくと、僕は「推し活」と言えるようなことをしたことがない。元乃木坂46の齋藤飛鳥は「推し」ではあるが、ライブにも握手会にも行ったことがないし、グッズも買わないし同じ映画を何度も観ることもしない。一般的に「推し活」と言われる行為には、僕はあまり興味が持てないのだ。だから、本作を「自分ごと」として捉えて観ていたわけではまったくない。

ただ、僕の周りにも「推しに熱狂している人」はいるし、そういう人の話を聞く機会もある。だから、一般的な関心として、「推しが犯罪者になったら、ファンはどうするのだろう?」という問いには、なかなか興味がある。

本作は大前提として、「カメラの前で喋ることを選択した人たち」のインタビュー集なので、「推しが犯罪者になった後もファンを続ける」みたいなタイプの人は出てこない。監督は、この映画を撮り始めた動機の1つとしてこの点、つまり「推しが犯罪者になったのに、どうしてファンを続けられるのか?」という問いを挙げていたし、彼女はそのような考えを受け入れられない立場というわけだ。だから本作には、グラデーションは様々ながら、「推しが捕まったらファンを止めて当然(でもそうは言っても簡単じゃない)」みたいな人たちの話が取り上げられることになる。

だから注意しなければならないのは、「本作で拾い上げられている声が『多数派』なのかどうかは分からない」ということだ。偏ったサンプルである可能性を踏まえつつ観るべきだろう。

まず興味深かったシーンは「グッズの葬式」をしている場面だ。監督と、本作の助監督(なのか、助監督を頼もうと思ったけど出来なかったのか)が、それぞれの推しのグッズを広げ、処分することを前提にそれぞれの思い出を語るという場面だ。

この中で助監督(だろう)子が、「グッズの思い出を語っていたら、彼の悪口が言えなくなった」みたいに言っていた。彼女は、「今の彼は嫌だけど、でも、このグッズを買っていた当時はそうではなかった」と語るのだ。確かにその通りだ。今後彼を推すことは無いにせよ、過去の思い出まで消し去るべきなのだろうか?

この点について重要な指摘をしていた人物がいる。彼女は性加害を行った推しについて、「元々そういう人だったのか、あるいはお金を得たことで変わってしまったのか分からない」みたいなことを言っていた。それ以上の言及はなかったのだが、このセリフは容易に、このような解釈が可能になるだろう。つまり、「元々そういう人だとしたら推していた私が間違っていた。でも、お金を得たことで変わってしまったというのなら、むしろ私が彼の犯罪の後押しをしたということなのだろうか?」 作中には、「性加害を起こしたアイドルのファンは被害者か? 加害者か?」みたいなナレーションも出てきた。このように彼女たちは、「自分の存在が、『犯罪者』を生み出すことに加担してしまっているのではないか」という葛藤にも苛まれているのである。

別の人物は、「性加害を起こした推しのファンでいる人物」に対して、かなり強い言い方をしていた。推しを擁護するような発言をするファンに対して、「ファンとしてではなく、女性として判断してほしい」と語るのだ。確かにこれはとても納得感のある言葉だと思う。ファンが推しを擁護することによって、どこかの誰かが性被害に遭ってしまうかもしれないのだ。となれば、ファンを止めなかった人たちは間接的に「加害者」と言っていいかもしれない。

映画の中には、監督がある記者に謝罪をする場面も収められている。彼女が推していたチョン・ジュニョンについては、逮捕される3年前にも疑惑が浮上したそうだ。その記事を書いたのが、監督が謝罪した記者である。しかしその直後、「不起訴になるかもしれない」という情報がネット上に大量に出たことで、最初の記事を書いた記者はチョン・ジュニョンのファンからボロクソに叩かれたというのだ。しかしその後、実際にチョン・ジュニョンが性加害を行っていたことが判明し、実刑が下った。そのような経緯を踏まえて、監督は記者に個人的に(つまり「ファン代表」というわけではなく)謝罪を行ったのだ。

そこで監督が記者に、「事実を受け入れず、捻じ曲げるようなファンの存在をどう思いますか?」と聞くと、記者は「朴槿恵の支持者がそうですよね」と、元大統領の名前を口にした。そこで監督は、今も定期的に開かれているらしい「朴槿恵元大統領の支援者の集まり」みたいなものに足を運んでみることにするのだ。アイドルと大統領という違いもあるし、ファン(支持者)の年齢層もまったく違うのだが、監督の目の前で展開されていた光景はまさに、「性加害した推しのファンを止めない人々」のものに映ったはずだ。

先ほど、「本作には『性加害した推しのファンを止めない人』は出てこない」と書いたが、ある意味でこのシーンが、「視覚的にその現状を示唆する光景」と言えると思う。

本作に登場する多くの人が語っていたのが、「『推しが逮捕される』という経験をすると、別の人を推すのも怖くなる」ということだ。まあ、それはその通りだろう。ある人物は、「推し活」をしている友人と、「あいつももしかしたワルかもしれない」と、自分の推しを客観的に捉えるようになってしまったと語っていた。また別の人物は、「永遠に尊敬できるのは『亡くなった人』だけだ」と口にする。亡くなった後で醜聞が明らかになることももちろんあるだろうが、大体の場合、「亡くなった人」はその時点で「もう悪評が出てこない人」になる。だから「永遠に尊敬できる」というわけだ。逆に言えば、「生きている人」はいつ醜聞が飛び出すか分からないから「尊敬できない」というわけだ。

本作は実に個人的な範囲で撮影された作品で、出てくるのは多くが監督の友人だが、意外なところでは彼女の母親も登場する。母親はチョ・ミンギという、セクハラ疑惑を中自殺した俳優を推していたそうだ。そんなわけで、親子で「推し」について話をするような場面もある。

そしてそんな「自殺してしまった推し」の話が出てくるからだろう、映画の終わり際に監督のナレーションで、「そして絶対に死なないでほしい」という言葉が流れる。まあ、達し可にその通りだと思う。

僕自身の実感としては、「推しが犯罪者だったら?」みたいなことをリアルに想像するのは難しいのだが、恐らく本作で問われることを「自分ごと」として捉えられる人は世の中に山程いるのではないかと思う。日本でも、お笑い芸人とかスポーツ選手とかまで含めればいろんな「やらかし」をしている人はいるし、本作で扱われているような状況をリアルに経験した人もそれなりにいるのではないかと思う。

あなたなら、「推しが犯罪者になった」としたらどうするだろうか?

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