【映画】「チョコレートな人々」感想・レビュー・解説

メチャクチャ良い映画だった!しかしマジでこの映画、見逃すところだったなぁ。危なかった。

ってかホントに、世の中には凄まじい人間がいるものだと思う。

マジでこの映画、観れる人は観た方がいい。映画館に行かないと観れないから、なかなか機会を見つけるのは難しいと思うけど、ホント、観れる人は観てくれ。ちょっと凄い。「チョコレート」の話なんかじゃ全然ないから。ってかホント、このタイトルがなぁ……。

というわけでまずは、タイトルについての”文句”をひとしきり書いておこうと思う。

映画を観れば、「チョコレートな人々」というタイトルがぴったりだということが分かる。「チョコレート」という素材は、障害者を適正な金額で雇用したいと考える夏目浩次にとって願ってもない素材だったこと、そしてチョコレートの、「温めれば何度でも作り直せる」という性質が、失敗を繰り返しながらも障害者と一緒に歩んでいくという姿勢を的確に表していると思う。映画を観終えた感想で言えば、「チョコレートな人々」というタイトルは絶妙にピッタリだったと思う。

しかし、映画に限る話ではないが、お金を払ってもらう商品にとって「タイトル」というのは「販促」的な意味も持つ。僕は長いこと書店で働いていたこともあって、「タイトルが作品に合っているかどうか」よりも、「このタイトルが販促的に有効かどうか」という観点で見てしまうことが多い。

そして、販促的な観点から言えば、「チョコレートな人々」というタイトルはまったくダメだと思う。作中で夏目氏が「0点」と口にする場面があるが、同じように私も、この「チョコレートな人々」というタイトルには「0点」をつけたいと思う。せめてこれを副題にして、別のタイトルを付けるべきだったと思う。

だってこれじゃあ、「夏目浩次みたいな凄い人物の話」だってことが、一切伝わらない。

僕は、「チョコレートな人々」という映画の存在は知っていたが、観ないつもりでいた。これから観る映画について詳しく調べない僕的には、「チョコレートな人々」というタイトルにはまったく惹かれなかったし、ポスターにもなっている映画のメインビジュアルも、単に「チョコレート」を推している感じにしか見えなかったので、「俺が観る映画じゃなさそうだな」と思ったのだ。たぶんそのままだったら、この映画を観ることはなかっただろう。

たまたまフィルマークスでの評価が高いと知ったこと(普段はそんな理由で観る映画を選ぶことはない)、あと、『ヤクザと憲法』『人生フルーツ』などを制作した東海テレビが制作した映画だと認識したことで、「じゃあ観てみるか」と思ったのだ。障害者雇用の話だと知ったのは、ポレポレ東中野の壁に貼られていた映画の案内を読んだ時だった。

まあ、僕みたいな人間はそうそういないだろうが、しかし、「チョコレートな人々」とあのポスタービジュアルでは、「チョコレートの話なんだろう」と思われて終わってしまうと思う。マジで販促的には「0点」だと感じた。

もちろん、ポップな感じのポスタービジュアルと「チョコレートな人々」というタイトルで、「ドキュメンタリー映画にさほど興味のない人にも届かせたい」みたいな気持ちがあったのだろうということは分かる。分かるけど、そこに届かせようとするあまり、「ドキュメンタリー映画に興味がある人」を結果として遠ざけるようなスタイルになってしまっていることは大きなマイナスだと思う。

というわけで、タイトルに関する”文句”をあれこれ書いたが、とにかく、「夏目浩次という人物を描くドキュメンタリー映画」として大変素晴らしいと思うので、皆さん観て下さい。

夏目浩次は、「久遠チョコレート」というチョコレートのブランドを展開している。

重要なポイントは、「従業員の6割が障害者」「従業員の9割が女性と障害者」という点だ。全国の福祉事業所と連携し、今では北海道から鹿児島まで57の拠点を持ち、年間16億円を売り上げる企業に成長した。従業員には、それぞれの都道府県での最低賃金を保証している。

障害を持っていようが関係なく、誰もが同じように働ける環境づくりを目指しているのだ。

凄いのが、「障害者を雇用する場を作るために、チョコレートに行き着いた」という、夏目氏のスタンスである。

彼は、大学時代にバリアフリー建築について学んでいた際、障害者の低賃金に驚いた。1ヶ月働いて5000円程度しかもらえないというのが現実だったのだ。それを知り、決断する。自分が、障害を持っていても働けるような場を作ろう、と。

最初はパン屋だった。3人の障害者を含めた6人(夏目氏を含む)で店を回し、最低賃金の給料を出す。しかしその実現はなかなか厳しかった。結局夏目氏は、自分の分の給料は捻出できなかった。銀行がお金を貸してくれなかったから、消費者金融のカードを6~7枚持って、数千万円の借金をしていたそうだ。その後あれこれ事業を試すが上手くいかない。

そんな折、2014年にチョコレートと出会うのだ。トップショコラティエ・野口和男と出会ったことで運命が変わっていく。チョコレートを作るにはかなりの工程数と技術が必要だが、1人で全部やろうとするから大変なわけで、分業制にしてしまえばいい。こうして、複雑なチョコレート作りを細かく分け、それぞれの障害の特性に合った配置をし、障害があっても働ける環境が生まれます。

さらにチョコレートは、工夫次第で付加価値を付けることができる。パンはどうしても利益率が低かったが、チョコレートであれば、付加価値の付け方次第で大きな可能性がある。

面白かったのが、大阪の北新地に店を出した時のこと。日本有数の歓楽街の近くには、貧困に苦しむ人が多く住む西成区がある。だから夏目氏は、「売上の一部を使って子ども食堂を開こう」と考える。そしてその説明を、北新地の店に説明に行くのだ。「こういうことをやりたいから、お客さんに、『あそこの店のお菓子がほしい』って言ってくださいね」と頼んでいるのだ。「座って1万円」の北新地に行けるぐらいの財力がある人から”金を奪い”、その”奪った金”で子ども食堂を開こうというわけだ。こういうことが出来るのも、それが「チョコレート」だからというわけである。

こうやって、あらゆる意味で「理想的」と言える「チョコレート」に出会ったことで、「障害者を適正な金額で雇用する」という夏目氏の理想に大きく近づくことになる。

そんな風にして、最初から「障害者が働ける場作り」という大きな目標を持って事業を進め、当初の目的を一切見失うことなく、その思いを広げる形で事業をどんどんと展開していったというわけだ。

なかなか凄まじい人物だと言えるだろう。

仕組み作りもとにかく凄い。夏目氏は色んな人から、「障害者って言っても、軽度の人を雇ってるんでしょ?」みたいに言われることがあるのだそうだ。だから、そういう捉えられ方をぶっ壊そうとして、新たに「パウダーラボ」と名付けた場所を作る。ここには、重度の障害を持つ人たちが集まり働いている。

凄いのは、「環境に人を合わせる」のではなく、「人に環境を合わせる」というスタンスだ。

自分では抑えられない突発的な行動(チック症状)を持つ青年がパウダーラボで働いているのだが、彼は衝動的に床をドンと蹴ってしまうような行動を取る。そのパウダーラボは2階にあったため、1階のテナントの人から「もう少し静かにやってもらえないか」と要望が来てしまったそうだ。

夏目氏はどうしたか。新たにもう1つパウダーラボを作ったのだ。そこは1階で、彼がどれだけドンドンやろうが問題ない、というわけである。

あるいは、「クリスマスパーティーの時、ある音楽を聞いているとチック症状が落ち着いているように見えた」という理由から、彼の作業スペースの近くにiPadを置き、そこでそのお気に入りだろう音楽を流し続けたりもした。

別の、重度のダウン症を患う男性は、最初「ボウルに入ったお茶っ葉をすりこぎで潰す」という作業をしていた。しかし、それがなかなか難しいと見るや、石臼を導入し、回せばお茶っ葉を細かくできるようにした。しかしその男性は、その作業もちょっとままならなかった。どうしても、身体中お茶の粉まみれになってしまうのだ。そこで夏目氏は、彼のために、3万円費やして「石臼」に代わる新たな道具を作ってしまう。

夏目氏は、「排除するのは簡単だが、そうではなく、どうすれば上手くやれるかをみんなで考えることで成長できる」と話していた。映画の冒頭の方では、「失敗しても問題ない。大事なことは、目標に向かってみんなでもがいていることだ」とも言っていた。確かに言葉としてはその通りだし、理想的だと思うが、それをその言葉通りに実践できているのは本当に凄いと思った。

しかしそんな夏目氏も、「諦めてしまった過去」がある。『チョコレートな人々』では、夏目氏の「ダメな部分、ダメだった部分」も余すところなく描かれるのだが、これもその1つである。

パン屋時代、ミカさんという「看板娘」がいた。一生懸命働いてくれていたのだが、プラダー・ウィリー症候群という、自傷行動を伴う病気だったこともあり周囲と上手くいかないことが多く、結局店を辞めてもらうことになってしまったのだ。その時の夏目氏では力及ばずといったところだったのだろう。そういう後悔があったからこそ今がある、とも言えるかもしれない。

某有名保険会社からの1万個の発注にまつわるドタバタは、見ているだけなのにハラハラさせられた。それがとりあえず一段落ついた後、夏目氏がこんなことを言っていたのが印象的だった。

【生産管理をやってる人なんかを採用すれば、パパっと出来ちゃうんでしょうけど、そういう採用をしようとは思わないんです。僕は人で採用するというか、良い人だから一緒に働きたいみたいな感じで働く人を決めたい。まあ、だから時々こういうことが起こるんですけどね】

とにかく、徹頭徹尾夏目氏のスタンスが一貫しているのがカッコいいと思った。映画の最後では、こんな風に言っていた。

【色んな経済人から「凄いことやってるね」みたいなことを言われるんですけど、やっぱりその口調がどうしても「他人事」なんですよね。僕だけが頑張っててもしょうがないというか、みんなが「自分事」だと思ってやらなきゃいけないはずなんですけど。とにかく僕は、「一昔前は障害者が月に5000円で働かされてたみたいよ」って言える社会を作りますよ。まあ、見ててください】

なんとも頼もしい言葉である。

僕が観た回は、全然狙ってはいなかったのだけど、監督の舞台挨拶付きだった。質疑応答もあったのだけど、その中である人が、「夏目氏の原動力はどこにあるのか?」と質問していた。僕もそれはとても気になっていた。映画の中では、「学生時代にバリアフリー建築を学び……」と説明されるが、それにしたって情熱が凄まじすぎやしないかと思っていたのだ。

監督は、「夏目氏はとにかく『不条理が許せない』というタイプの人なんです」と語っていた。父親が市議会議員であり、その背中を見て育ったこと。また、父親が政治家だったせいで保育園時代に保育士から酷いイジメに遭っていたそうで、そんな記憶も深く刻まれていると言っていた。

それを聞いて、昔何かで知ったこんなエピソードを思い出した。今ではメジャーな存在になりつつあるだろう「オーディオブック」が、まだ世の中にほとんど存在しない頃、オーディオブックの開発のコンペが開かれることになった。そこには、名のある大手企業も多数参加したのだが、最終的に勝ち抜いたのが企業とは関係ない個人だったそうだ。並み居る企業を前に、どうして個人が勝ち抜けたのか。

彼は「何故オーディオブックを作りたいのか」という理由に対して、「視覚に障害のある祖父がいて、その祖父に本を聴かせてあげたいから」と答えたそうだ。その個人には、大企業のような技術も信頼もなかった。しかし、「祖父にオーディオブックを聴かせてあげたい」という情熱が勝ったのだ。それが、オトバンクの創業者である上田渉である。

やはり「個人の情熱」に勝るものはないと感じさせるエピソードだし、夏目氏にも同じことを感じさせられた。

映画を観終えてすぐ、友人に連絡した。最近知り合った、障害者手帳を持つ奴で、就職先を探す大学4年生だ。「とりあえず、こんな企業もあるよって知るだけでもいいから」と、「久遠チョコレート」を調べるように勧めてみた。

いやはや、ホントに、世の中には凄い人がいるものだわ。

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