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月刊文芸誌『文活』 | 生活には物語がみちている。

noteの小説家たちで、毎月小説を持ち寄ってつくる文芸誌です。生活のなかの一幕を小説にして、おとどけします。▼価格は390円。コーヒー1杯ぶんの値段でおたのしみいただけます。▼詳… もっと読む
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#掌編小説

点々|第一話

遠山さんは足を組み直すとき、「ガスト」と言う。 なんでガストって言うのか不思議だけど、たぶん、「よいしょ」とか「さてと」と同じ掛け声の類だろうし、深い意味はないんだろうなと思うから理由を聞いたことはない。4回目の「ガスト」までは数えていたけど、英語の長文問題に集中しているうちに何回目か忘れてしまった。 「解けた?解きたい?」 「解きたいっちゃ解きたいです」 遠山さんはいつも、問題を解けたか解けなかったかではなく、解けたか解きたいかで聞いてくる。同じ塾の生徒の中には、そ

シェアハウス・comma /河野 絵梨花 編

「河野さんは、頼りになるよ」 上司にそう言われて、そこにどの程度の本心がこめられているのか勘繰ってしまった。定時過ぎたばかりのオフィスを出ると、金曜のせいか街はどこか浮き足立っている。 秋の季節にまとわりつく雨の気配が嫌いだ。一年前の雨の日、ちいさな嘘をついたあの日からずっと。 「絵梨花!」 トンと肩をたたく手は、同級生だった。「久しぶりだね。今、帰り?」 「うん。何してるの?」 「みんなでお茶してた」 みんなで、の一言が心をかすかに曇らせる。大学の四年間、お互

シェアハウス・comma 賀島 実紀編

この作品は文芸誌・文活のリレー小説シリーズ『シェアハウス・comma』の第5話です。シリーズを通して読みたい方はこちらのマガジンをご覧ください。 ひたすらプログラミングをしていると、きっと音楽を奏でるひともこんな気分なんだろうなと感じる。キーボードにばらばらに並んでいる、"W"だとか"H"だとか"control"だとかの記号を、コードのバランスをくずさないように、ていねいに打ち込んでいく。考えるでもなく、考えないでもなく、何百回もつくってきた朝食をまた今朝もつくるかのように

【小説】みずうみ ②

(あれ、ぼくはどうしていたっけ) 気づくと少年は、また水面にぷかぷかと、立ち泳ぎをしながら浮かんでいました。頭がぼんやりしています。湖面のしたに沈んだはずなのに、なぜか髪の毛もぬれていませんでした。 はっきりと少年は、湖面のしたの、いつもとは別の世界に迷い込んでしまったことを感じました。その世界は、どこかみずうみのためだけにあつらえられたようでした。ふつうは空があり、雨があり、木々があり、土があり、それらをつたってみずが溜まっていく、それがみずうみのはずなのに、その世界に

きんいろのゆき【短編小説】

【小説】みずうみ ①

あるみずうみの畔に、少年がひとりで住む小さな小屋がありました。その近くには、ひとが住む建物はまったくありませんでしたから、少年は「ぼくがこのみずうみに沈んで消えてしまったら、だれが気づいてくれるだろう?」などと、ある晩に想像したりもするのでした。 一昨年に育ての母親がゆくえをくらませてから、少年はムラを追われて身寄りはなく、毎日連絡をとるような相手もいませんでした。ただ少年は週にいちどほど、林を越えた先にあるムラの商店に、卵や干し肉やコーヒー豆を買いに出ていますから、買い出

短編小説|土曜日のパン・オ・ショコラ

 その街に、クロワッサンの美味しいパン屋はあるか。  私が部屋を探すときに、これだけは外せない条件だ。  平日は冷凍ご飯と味噌汁、前日の夕飯の残りか目玉焼き。週末はクロワッサンとカフェオレ。それが私の朝食ルーティンである。  そして今日は土曜日。私の目の前には駅前の「ブーランジェリーかもめ」のクロワッサン、200円。近年のパン業界の高級志向とは相反するお手頃価格ながら、表面のパリパリ食感、バターの香りが鼻に抜ける本格派。前回のボーナスでふんぱつして購入したバルミューダのト

シェアハウス・comma 「薙 葵 編」

「台所で使うタオルってどこにある?どこにありますか?」 光をきろきろと反射する真っ白なマグカップを陳列していたら、後ろから勢いよく声をかけられた。少年の鼻の頭が汗で濡れている。子犬みたいだ。早く早くと急かすように足踏みをして、彼はもう一度、台所で使うタオル、と言った。親におつかいを頼まれたのだろう。台所のタオルと一口に言ったって色々なタオルがある。棚の間を通り抜け、ひとまず台所用品コーナーに少年を連れていった。 「これでもこれでもこれでもない」 いいリズムだ。「これでも

【掌編小説】クリスマス

1.ある遠い国で 外から聞こえてくる、おとなたちのうめき声にも似たざわめきで、アイラは目を覚ましました。 石づくりの質素な小屋。木の板でつくられた土間。ひとつのベッドで一緒に寝ている3歳の妹・シーラは、まだ隣で寝息を立てています。まだ朝は来ていないようです。部屋の中央に吊るされた裸電球だけがただ、ぼんやりと点いていました。 「おかあさん……?」 見当たらない家族を呼びながら、アイラはベッドから降りて、外のざわめきを確かめに、トタンの戸をぎぃと開けます。 ――まぶしい

大宮スーパーマーケット

この作品は、生活に寄り添った物語をとどける文芸誌『文活』2022年1月号に寄稿されています。定期購読マガジンをご購読いただくと、この作品を含め、文活のすべての小説を全文お読みいただけます。 もう少しだけゆっくりと過ぎてほしいと思うほど、時間は速度を上げ、熱を持ち、汗をかき、快活に笑い、満足気に泣き、立派に怒り、見えなくなっていく。時間が見えなくなる寸前で、その背中に向かっておい、と叫ぶと、時間は片手を上げて、結局振り返りもせずに見えなくなる。 ハルオの背中に降ってきた雪が