北木 鉄

海が怖かっただけです。 小説を書いています。 https://twitter.com/…

北木 鉄

海が怖かっただけです。 小説を書いています。 https://twitter.com/kitanoippik1

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  • 短短編集

    すぐ読めるすぐ終わる短編集です

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若草という男がいる。 引っ越しをした際、下戸なりの知識で購入した日本酒をお猪口に注ぎ、玄関の土間に置いて 「よろしくお願いします」 と頭を下げるような男だ。 その行為がこの国の礼儀なのか、方法は正しいのか、若草は知らなかったが、彼は彼なりの誠意を見せたのだ。 誠意。若草は自身のそれについて考える時間を持たなかったが、彼のなかで長く息づいていた。それは旗のようなものだった。風に吹かれてはためくことはあっても、自ら強引にはためかせようとしないのが、若草の誠意という旗の特徴だっ

    • 点々|第一話

      遠山さんは足を組み直すとき、「ガスト」と言う。 なんでガストって言うのか不思議だけど、たぶん、「よいしょ」とか「さてと」と同じ掛け声の類だろうし、深い意味はないんだろうなと思うから理由を聞いたことはない。4回目の「ガスト」までは数えていたけど、英語の長文問題に集中しているうちに何回目か忘れてしまった。 「解けた?解きたい?」 「解きたいっちゃ解きたいです」 遠山さんはいつも、問題を解けたか解けなかったかではなく、解けたか解きたいかで聞いてくる。同じ塾の生徒の中には、そ

      • シェアハウス・comma 「薙 葵 編」

        「台所で使うタオルってどこにある?どこにありますか?」 光をきろきろと反射する真っ白なマグカップを陳列していたら、後ろから勢いよく声をかけられた。少年の鼻の頭が汗で濡れている。子犬みたいだ。早く早くと急かすように足踏みをして、彼はもう一度、台所で使うタオル、と言った。親におつかいを頼まれたのだろう。台所のタオルと一口に言ったって色々なタオルがある。棚の間を通り抜け、ひとまず台所用品コーナーに少年を連れていった。 「これでもこれでもこれでもない」 いいリズムだ。「これでも

        • 大宮スーパーマーケット

          この作品は、生活に寄り添った物語をとどける文芸誌『文活』2022年1月号に寄稿されています。定期購読マガジンをご購読いただくと、この作品を含め、文活のすべての小説を全文お読みいただけます。 もう少しだけゆっくりと過ぎてほしいと思うほど、時間は速度を上げ、熱を持ち、汗をかき、快活に笑い、満足気に泣き、立派に怒り、見えなくなっていく。時間が見えなくなる寸前で、その背中に向かっておい、と叫ぶと、時間は片手を上げて、結局振り返りもせずに見えなくなる。 ハルオの背中に降ってきた雪が

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          17本

        記事

          あなたと食べようと思って買った桃が、二つあります。 あなたがいないので、私は一人で、桃を二つ食べます。 あなたがいなくなってしまったので、私は一人で、桃を二つ食べるのです。 あなたがいればいいなと思いましたが、あなたは、いないのです。 希望でした。 その果物を、果たしてあなたが実際好きなのか、苦手なのか、それを考えることもなく、ただの希望として、私は桃を買いました。 希望というものは、厄介です。非現実的で、だのに“期待”より図太くて、印象派の絵画のように淡い光が漏

          煌めき

          かくれんぼが嫌いだった。 もういいかい、と一応は聞きながらも、体はすでに走り出す体勢をとる鬼役のあの目。今にも仕留めてやろうと思わずニヤついてしまいながらも、その笑いを抑えようと怒ったような顔をしている鬼役のあの目。 はち、なな、ろく、ご 1から10に向かって数えるときは平常心でいられるのに、むしろ何かが起こるような気がして胸が膨らむのに、10から1に向かって数えるときは心臓が持たなくなりそうになる。ゴドゴトゴド、と脈打つ音が耳の内側から聞こえてくる。狐に追われる兎の子

          太古の二人

          火と波は似ている。 木の枝を火に焼べ、丘の下に広がる海を見ながら、キイは岩にもたれていた。 姿かたちはもちろんだが、とりわけ似ているのはあの薄い靄。火の周りにも、波の輪郭にも同じようなものが見える。 それがどうして似ているのか、似ているということが何を意味するのか、もしくは意味をなさないのか、キイは考えていた。 地面に転がる石を掴み、転がしたり叩いたりしながら目を細める。山の向こうで飛び回るコウモリの影が、キイにとっては煩わしくて堪らない。 キイの目は、集落の中で一番だ

          太古の二人

          PINK

          ピンクだ。ピンクでよかった。桃色じゃなくて、ピンク。 桃色の方がピンクより色が濃いってこと、美術の授業中に配色カードで遊んでて知った。美術の先生の名前、何回聞いても覚えられなくて「美術の先生」って呼んでる。「美術の先生」。いい異名だと思う。大人になって仕事をして、異名がつくなら私もそういうのがいい。 それまで、ピンクってもっとどきつい色だと思ってた。昔おばあちゃんが「ピンク色のスカートを買ったから送るね」って電話してくれたとき、「絶対いらないやつ」って思わず言っちゃったこと

          金色

          なにかを美しいと思うとき、自らの美しさにようやく気づくこともまた、あるのだ。 あなたは苔の匂いを吸い込み、片目だけつぶる。つぶっていないほうの目も細めて、昨日の雨を思い出す。 あれはここ最近でいちばんの大雨だった。ザーザーと降ってくるなかを山から降りていくとき、 「きた、きた」 と喜ぶ人間の姿も見かけた。土砂降りを嬉しそうに両手と顔で受け止める彼の様子に、あなたは疑問を抱いた。梅雨の頃は、雨が降ると 「ああ、まただ、また降ってきやがった」 とげんなりしていた人間が

          団地での日々

          小学生低学年の頃の話をする。だれかに話したくて、聞いてほしくて、という気持ちはあまりないので、わかりやすくまとめることはできないかもしれない。 小学校低学年まで団地に住んでいた。私が住んでいた団地は、A棟~E棟と、G棟の6棟が街の高台の上に並んで建っていて、なぜF棟を飛ばしてG棟なのかは謎だった。E棟とG棟の間には小さな中庭のような広場があり、自販機が2つと、金属でできた1mほどのポールが3本建っていた。広場を挟んでいるからF棟がないのか、昔あったF棟の跡地が広場になってい

          団地での日々

          アイオカさん

          何を捨てているんだろう。 何で捨てるふりしてるんだろう。 何で、こっちに気づかないんだろう。 そういう人なのだ。アイオカさんは。 コーヒーマシーンから出来上がりを知らせる音がして、コンビニの外に出た。 信号待ちをしていると、アイオカさんもコンビニから出てきて私の後ろで立ち止まった。コーヒーが熱い。持ち手を替えたいのに、どうしてか我慢する。右手が熱い。熱すぎる。 信号が青に変わる。人々に巻かれるように、アイオカさんは左に曲がっていく。私は右に曲がっていく。やっとコーヒーを持ち

          アイオカさん

          人生で一度は、眠れない寒い夜に外を歩くといい

          人生で一度は、寒い夜に、寝るのを諦めて外を少し歩くといい。お気に入りのコートを着て、服はパジャマのまま。コートの丈が長いのは、パジャマを隠すためだって知ってた?コートのポケットには小銭をいくらか入れておく。だっせえ靴下にスニーカーを履いて、もしあれば鼻まで隠れるマフラーを巻いて。いざ外に出るときは、目をつむったままじゃないと、こめかみが痛くなったりする。なぜかは知らんけど。 少し歩いて自販機を見つけたら、微糖のコーヒーを買う。できればマックスコーヒーのほうがいい。マックスコ

          人生で一度は、眠れない寒い夜に外を歩くといい

          サモトラニケのニケ

           サモトラケのニケのことを、26歳までサモトラニケのニケだと思っていた。サモ、トラ、ニケのうちのニケを指すのだと。それは猫の名前のようである。もし猫のことを指していたら、ニケは白毛の子のような気がする。生まれた時から弱虫で、根性無しなニケは、おっぱいを探して這いつくばるも届かない、ということさえなく、本当の弱虫なので、そもそもおっぱいを探さない。おっぱい自身は探してくれとは言わないが、それでも探されるのがおっぱいである。それで、ああんもう、とため息をつきながら横たわるのがおっ

          サモトラニケのニケ

          僕は好きではありません

           僕らの学年だけ、校舎をつなぐ吹き抜け式の渡り廊下を通った先に教室がある(雨の日には走って渡らなければならないから、みんな文句を言っている)。朝と帰りにこの渡り廊下を歩くとき、歩くスピードを気にしてしまう。速すぎず、遅すぎず、適度なスピードで渡りきることに集中して歩みを進めるのだ。なのにどうしてかクラスの明るい人たちには抜かされるし、ぼんやりしているような人にも追いつけない。渡り廊下は、校舎の窓から見下ろせる場所にある。誰も僕を見てやいないのに、人目を気にして今日も渡った。

          僕は好きではありません

          『あさ』

          『あさ』

          『耳をすます』

          『耳をすます』