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あなたと食べようと思って買った桃が、二つあります。

あなたがいないので、私は一人で、桃を二つ食べます。

あなたがいなくなってしまったので、私は一人で、桃を二つ食べるのです。

あなたがいればいいなと思いましたが、あなたは、いないのです。

希望でした。

その果物を、果たしてあなたが実際好きなのか、苦手なのか、それを考えることもなく、ただの希望として、私は桃を買いました。

希望というものは、厄介です。非現実的で、だのに“期待”より図太くて、印象派の絵画のように淡い光が漏れていて、美しいと思ってしまう。たとえこちらを振り返ってくれることがなくとも、遠くに向かって放り投げても、いつの間にか、希望はここに戻ってくるのです。この、いわゆるこころという部分に、ぴったり収まってしまう。当然のような顔をして、器用に入り込むのです。なぜなら、希望とは期待のように手のひらで握りしめるものではなく、身体に、この心臓に、住処を作ってしまうものだから。


桃は二つ、綺麗に揃って売られていました。
桃が二つ入ったパックがいくつも並んでいて、どれを選ぼうかと前屈みになるも、その桃色がどれほど濃いか、もしくはどれほど香りがするかなんていうことについては検討しませんでした。二つの桃が、仲睦まじく、互いを押し退けあうことなく寄り添い合っているかどうか。生きもののつがいを見るような目で、私はパックに手を伸ばしました。目を合わせなくとも互いの距離感を測ることができるようなつがいではなく、互いを直視し、目を逸らさずに、もはや少し汗をにじませながらなんとか距離感を測り続けているような、そのつがいが愛おしく思えたのです。

手に取ると、思ったよりも重くて驚きました。一つだけなら、子どもの頃に持っていたそこらのボールと対して変わらない重さなのに。二つになると、途端に重く感じるのです。一つだけならその桃単体の重さを感じられるのに、二つになると、二つ分の重さしか分からなくなる。右の桃と左の桃の、どちらがどれだけ重いのか分からないのです。ただ、一つだけの場合と比べて、飛躍的に重くなる。おかしな話です。しかしそれが何か問題かということでもありません。これは、ただの、感想です。

鶏肉とナスも買うつもりでしたが、なぜだか諦めてしまい、桃だけ買って家に帰ることにしました。

冷蔵庫で桃を冷やしている間、ソファーに座って壁にかかった時計の針を目で追いました。家の中で唯一目を向けていられるのが、その時計だったからです。着た後の服と、食べた後の皿と、そして、過ぎた後の家具を見たくなかった。過ぎた後の家具? そう、名前をつけられるような日々が過ぎた後の、家具たちです。名前をつけられるような日々が過ぎたら、その後の日々には名前をつけないの?あの日々に名前をつけることができたのは、私もちゃんと、過ぎたからです。まだ今の日々は過ぎていないから、これに合う名前なんて思いつきません。嘘をつきました。今の日々の名前を思いついたら、泣いてしまう気がするからです。もう一つ嘘をつきました。ちゃんと過ぎるまでは、もう少し時間がかかりそうです。だけど、一人で泣くのは、もう勘弁してください。


いつの間にか眠ってしまっていたようでした。規則正しい時計の針の音だけが聞こえて、外は日が落ち始めていました。

冷蔵庫を開けて、桃を一つ取り出す。残された片割れは、微塵も寂しくなさそうです。むしろ取り上げられた桃の方が、困った顔をしているようでした。

少し傷をつけるように皮を指でつまむと、そのままするりと皮は剥けました。全て綺麗に剥き終え、かぶりつこうとしたところで、妙なことを思いついたのです。この桃を、外を散歩しながら食べようと。

赤いビーチサンダルに足を通して、外に出る。昼間は少し蒸し暑いくらいでしたが、日が落ちたからか、風が心地よく、少し肌寒いほどでした。

一口目で、みずみずしさと粘り気のある甘さが口の中に溢れてきました。果物元来の繊維の感触もあって、生きものをいただいているのだとも感じます。りんごと異なり、桃は齧り付くというより、頬張るという表現の方が似合う気がします。普段、口の周りに食べ物が付くことを気にしないで頬張れるのは、ハンバーガーと桃くらいではないでしょうか。拭くものを持ってきていなかったので、Tシャツにも果汁が溢れ落ちていました。買ったばかりの白いTシャツでしたが、仕方がありません。桃を食べているのですから。
種に近づくと、少しだけ味が変化します。甘みよりも、酸味とエグ味が強まります。これがいいアクセントになる。甘いものを食べているときは、コーヒーが欲しくなるとの同じです。種に近い部分と、皮に近い部分を交互に食べ進める。歯の間に繊維が詰まって、それを煩わしく思うこともなく、甘さを堪能し、そして歩き続けました。

通り過ぎたシュナウザー犬が、不思議そうな顔でこちらを見てきました。その犬のリードを持つおじいさんは、木から落ちた葉が風に飛ばされるのを、ずっと目で追いかけていました。

公園が見えました。小さな公園です。楓公園といいます。

ブランコと、砂場と、ベンチしかない公園ですが、その公園の周りをたくさんの楓の木がぐるりと囲っていて、公園内に足を踏み入れると、木が護ってくれているようでなんだか心が落ち着くような、そんな公園でした。

年甲斐もなくブランコに乗り、チェーンに手を伸ばしました。あまりに手が果汁でベトベトだったので少し躊躇しましたが、ええいやあと握りしめました。ブランコを漕いでいる間は、このチェーンを決して手放さないように。

前に漕ぐと、風が顔に向かって吹いてきます。後ろに下がると、自分の頬についた桃の果汁の香りがします。いい香りです、とても。体温に触れた桃の香りは、こんなにも丸みを帯びたやさしい香りになるのですね。この香りに覚えがあって、とても身近な香りだった気がして、それがどの記憶によるものなのか分かっていて、私は口を強く結び、ブランコを高く高く漕ぎ続けました。

ブランコは楽しいけれど、漕ぎ続けなければ、いずれ止まってしまうものなのですね。


辺りは真っ暗になってしまったので、家に帰ることにしました。ジーンズの前ポケットに押し込んだ桃の種だけが、この散歩の副産物でした。

玄関を開けると、桃の香りがしました。

着た後の服と、食べた後の皿と、過ぎた後の家具の香りと混ざった、桃の香りがしました。

私は、その香りにも覚えがあるのです。

私はどうしても、その香りにも覚えがあるのです。

私はどうしても、その香りを覚えてい続けてしまうのです。

冷蔵庫を開けて、残っていたもう一つの桃を手に取りました。

台所で一人、皮も剥かずに頬張りました。目を瞑っていると、ちゃんと分かる。さっきの桃と、全く同じ味。全く同じ味で、私は目をさらにぎゅっと瞑りました。


<了>

この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』10月号に寄稿されているものです。今月号のテーマは「たべる」。おいしい食べものでいっぱいの、読むとお腹が空いてくるような小説が並んでいます。文活本誌は以下のリンクよりお読みいただけますので、ぜひごらんください。



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