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僕は好きではありません

 僕らの学年だけ、校舎をつなぐ吹き抜け式の渡り廊下を通った先に教室がある(雨の日には走って渡らなければならないから、みんな文句を言っている)。朝と帰りにこの渡り廊下を歩くとき、歩くスピードを気にしてしまう。速すぎず、遅すぎず、適度なスピードで渡りきることに集中して歩みを進めるのだ。なのにどうしてかクラスの明るい人たちには抜かされるし、ぼんやりしているような人にも追いつけない。渡り廊下は、校舎の窓から見下ろせる場所にある。誰も僕を見てやいないのに、人目を気にして今日も渡った。

 「それはちがくね?」


 僕の横を通り抜けた彼らも、僕も、歩いていて、だれも走っていなかった。だれも走っていなかったのに、速度を持った彼らはあっという間に僕との距離を大きくした。


「ちがうこともねえだろ」「いやそれどっち、違うってこと?」「わかんね」


 黄色い靴下って、学ランと合うんだな。二人のうち左側にいたほうの彼の靴下を見て、いいなと思った。「それはちがくね?」黄色い靴下の彼の声を頭ん中で繰り返した。「ちがくね?」僕は毎日思う。「青春の思い出が人を生かすんだ」という先生の話も、暗記テストの点数で怒られるのも、大きい声でみんなで笑うのも、購買のパンが早いもん勝ちなのも、「質問はありませんか?」って言われて質問すると嫌な顔されるのも、職員室だけコーヒーの匂いが充満しているのも、おしなべて、誤りのように思う。それって「ちがくね?」と思う。ロックンロールにできたらいいのに。先代の何人もの若者が、きっと同じようなことを思い、何かにぶつけてきたんだろうな。僕が感じるこの「ちがくね?」も、もう擦り切れるほど繰り返されてきた誰かのわだかまりなのかもしれない。

 だとしたら、だとしたらやりきれないよと思う。高校生になってから、ずっとこの変な感情をあたためている。ずっとあたためてるんだから、卵みたいに孵ってくれよ。大声で叫んだらすっきりするような、うまい言葉になってくれよ。誰かに伝わる言葉にならなくてもいいから、せめて言葉になってくれたら、少し落ち着くことができるかもしれない。高2の冬がそろそろ終わる。高3になってもこの感情をあたため続けるのは、なんとなく嫌な気がする。渡り廊下で立ち止まる人なんて見たことないから、黄色い靴下の彼らに続いて少し早歩きでクラスに向かう。

 日々違和感を覚えるものすべて、当たり前のことなのかもしれない。当たり前になっていることについて、なんでずっと腹の底であたためているんだろう。違和感という言葉で片づけてしまうのも違う気がする。生物の岸先生は、心臓の絵が描かれた大きな紙を指さして右心房左心房の話をしてい

「期末テストは、心臓の血液の流れについて絶対出ます、毎年出てるんで。
分からなくなったら自分の呼吸と一緒に考えるのがいいと思います」

「究極、この問題捨てるのもアリだなー」

誰かの声が小さく教室に響いたとき、岸先生はなんにも表情を変えずにその声の主を見た。

「そういう考え方もあるでしょう。でも、僕は好きではありません」

僕の頭の中で、靴下の黄色と、先生の目の黒が混ざり、「それはちがくね?」と「でも、僕は好きではありません」が同時に鳴り響いた。今まであたためていたものが、僕の中から出ていこうとした。「それはちがくね?」より向こう側があった。それは「僕は好きではありません」だった。ずっと僕は、「僕は好きではありません」と言いたかったんだ。「ちがくね?」と同意を求めているように装いたかったのではない。だれからも頷いてもらえなくても、幼いと言われても、否、だれにも伝えなくても、「僕は好きではありません」と言えばよかったのだ。好きではないと、嫌いだと認めるのは勇気がいる。でも僕の中には、いつのまにか好きではないものが積み重なっていた。それを言葉にすればいいだけだった。

 あたためるのには根気だけが必要だった。執拗に、あたため続ければよいだけだった。けれど、あたため終えたと決めるには、何が必要なんだろう。あたためていたものを、あたため続けることだってできるのに、ここでやめるのは、ここでやめようと思うのは、答えがみつかったからだろうか。あたためる対象のことを考えているようで、僕はあたためていること自体に固執していた。あたためていると、自分もあたたまるから。

 答えをみつけたから、もうあたためなくていい。芸術家は、あたため続けていた作品を世に出したとき、こういう少し寂しいきもちになるのかな。「僕は好きではありません」と小さく声に出すと、涙が出そうになった。窓の外を見て、工事をしているクレーン車が何頭身なのか数えた。涙が出そうになるのは久しぶりだった。2年前の中学3年生の頃、少し気を許して話せると思っていた先生に、「あまり話せなかったけど、元気でやってね」と言われて泣きそうになったとき以来だ。でも今はその時のような悲しみはなかった。僕は今、初めて喪失感を経験したんだと思う。

 考えながら歩いていたら、次の授業の開始を知らせるチャイムが鳴った。渡り廊下をゆっくり歩いていた人たちが急いで走り出す。僕も行かなきゃ、と走ろうとしたら、さっきの授業を終えて職員室に戻る途中であろう岸先生が、渡り廊下の真ん中あたりに突っ立っていた。教科書やプリントを片手に、空をじっと見ている。

「何してるんですか」

初めて先生に自分から話しかけた。

「考えごと」

と岸先生は言った。
 僕は先生から少し距離を取って、先生が見ているのと反対側の空を、先生と同じようにじっと見た。じっと見続けた。



この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』創刊号に寄稿されているものです。今月号のテーマは「あたためる」。この作品のほかにも、めっきり寒くなってきた今読みたい、こころがあたたまるような作品が集まっています。文活本誌は以下のリンクよりお読みいただけますので、ぜひ訪れてみてください。


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