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【小説】みずうみ ②

この小説は連載小説『みずうみ』の第二話です。過去の回は以下のリンクからお読みいただけます。
https://note.com/kazushinamiki2/m/m6635d2cfd9bd

(あれ、ぼくはどうしていたっけ)

気づくと少年は、また水面にぷかぷかと、立ち泳ぎをしながら浮かんでいました。頭がぼんやりしています。湖面のしたに沈んだはずなのに、なぜか髪の毛もぬれていませんでした。

はっきりと少年は、湖面のしたの、いつもとは別の世界に迷い込んでしまったことを感じました。その世界は、どこかみずうみのためだけにあつらえられたようでした。ふつうは空があり、雨があり、木々があり、土があり、それらをつたってみずが溜まっていく、それがみずうみのはずなのに、その世界には、きっとまだみずうみしかないような、そんな感覚がしたのです。

それを裏付けるように、あたりは全体にうすい霧がかかったようになっていて、まわりの景色は、思い出せない夢のように、存在自体がぼやけているようでありました。ただひとつ、夜の闇のなかに煌々とかがやく、その工場都市をのぞいては。

少年がその夜みずうみに映っているのをみた光の集合体は、いま目の前にくっきりと、工場都市としての姿をあらわにしていました。たくさんの灯りが見えたのは、赤やきいろの誘導灯。無数の白色光が都市の内部を、すべて照らし尽くしています。動く灯りは、何かちいさな生物がホタルのように工場のまわりを飛び回っているものでした。

工場都市の真ん中に、高い塔のようなものが立っています。その塔は、少年が見上げるほど高く、先端には四方位にサーチライトが設置されて、それぞれ一直線の光線はゆらゆらと揺れながら、どれも遠くをのぞんでいました。

塔のふもとでは、ありとあらゆる気管パイプが、巨大樹のつたのように絡み合いながら、一帯の樹海をつくっています。それはまるで、機械式時計の内側をあらわにしたよう……それでも、時計とは比較にならないくらいの、巨大な機械、またはシステムとでも呼ぶべきもの、でした。

気管パイプやバルブ、排気煙突のあちこちからは、蒸気がたちのぼっていて、工場都市の上空に、雲のような不透明の気体のたまり・・・をつくっています。ぴかぴかと飛びまわる正体不明のホタルたちが、時たま塔のてっぺんに近づくと気体に光を投げかけるから、空は帯布状にひろがって照らされていました。それは、単色の光ではありましたが、まるでオーロラのようでもあったのでした。

ごぶん、ごぶんとなにかを汲み上げるようなおと。しゅう、しゅうとガスを放つおと。ぶぶぶ、と振動が気管内を伝わっていくおと。その都市からはさまざまなおとが聞こえます。なんだかそれは、くるしそうな病人のこえのようでもあります。

少年は、なかば本能的に、どうしてもその都市に訪れなくてはならない、ということだけがわかりました。どちらにせよ、もう表の世界にもどる方法もしらないのです。だから、少年は、ゆっくりと立ち泳ぎをつづけながら、ひらり、ひらりと、手でみずを掻いて、工場都市のほうへと泳いでいったのでした。

= = =

べっこうあめのような、つめたくない氷のような、ふしぎな半透明の結晶体が、土地になっている。工場都市はそのうえに築かれているらしく、土地に泳ぎ着いた少年が、岸壁のようにすこしたかくなっているそのへり・・に手をかけると、その結晶体に、手ざわりの感覚はありませんでした。じゃぶっ、と少年が岸へあがると、手も足も服も、なぜだかぬれていません。どうしても少年は、そのみずうみの裏側の世界から、なにかしら干渉されることを、拒まれているようでありました。

岸べにあがった少年が、工場都市の中央塔をあらためて見上げてみると、てっぺんはかなり高く、三十丈か、四十丈ほど、あるかもしれません。四方を照らすサーチライトはあいも変わらず、まったく遠くを照らしつづけているからか、その塔をふもとからみる少年にとっては、自分を居丈高に無視している大人のような、つめたい印象を受けたのでした。

パイプ、バルブ、計器、チューブ、排気煙突、タンク。工場都市の内部の様相では、それらが奇怪複雑に絡み合ったシステムが配列されていて、まるで精密時計の内部に紛れ込んでいるかのよう。とくにパイプは、大小さまざま、方向もめくるめく上下左右にばらばら(しかし地軸に対してθ=90n°の数則は、かたくまもられています)で、都市全体に張り巡らされていることから、蔦が生い茂る樹林のようでもありました。

どうやらそのパイプ群には途切れがいくつかあって、そこは人が通るための通路になっているようでした。少年はすこし思案して、島の内部へと探索に出てみることにしました。

だれのための、通路なんだろう?
そして、なにをつくっている、工場なんだろう?
そんなことを、考えながら。

この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』2022年3月号に寄稿されています。今月号のテーマは「お別れの前日」です。春のはじまりで、冬の終わりのこの季節。切ないお別れをテーマに描いた作品が寄稿されてます。投稿スケジュールの確認と、作品を読みたい方は、以下のページからごらんください。

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