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「勉強」する意味がわからないあなたへ


勉強を好きになって、嫌いになって。
勉強なんていらない。勉強してよかった。
いろんな感情を抱いたことのある私から、

勉強する意味がわからない“あなた”へ。


人はいつまで勉強というものをするんだろう

学生のときはそんなことばかり考えていた。

私は小学校6年の頃、中学受験をした人間だ。
小学生の頃は本気で、「今勉強を頑張ったら華の中学校生活が待っている!!」と思っていたし、
何より塾の先生がそう言っていたのだ。

今思うと、健気にもほどがある。

実際、“華の中学時代”を過ごしてみて

結論、想像していたような、
もう勉強なくてしなくていい“華の中学時代”
そんなものはこの世に存在しなかった。

中学に入ると、自分の成績は32人中27位。
小学校の時は「そこそこ頭のいい子」だった私は下から5番目になって、齢13歳にして初めて絶望というものを味わった気がした。

小学校の頃は、勉強がそこそこでも、学級新聞を上手にかければクラスのみんなから称賛され、校内放送が上手なら職員室の先生から絶賛されていた。
色んな得意を持っていた。

しかし中学という扉を開いて気づいたのは、
“高校進学という扉は「勉強をすることだけ」で開くもの”という当たり前の事実だった。

絵が上手くても声が良くても意味なんてなくて。
勉強ができないと何も持ってない人のよう。

勉強さえできれば将来がある、という事実で
突然、得意だったものが目の前からなくなってしまったような気がした。


テストでいい成績を取る方法に気づいてしまった

元々、勉強は嫌いではなかった。
しかし、中学で成績が途端に悪くなったのは、
今思えばひとつしか理由がなかったと思う。

【出題される問題の予測ができなかった】ことだ。

中学(そして高校も)、テスト勉強の本質は、
深夜までレッドブルを飲みながら一夜漬けすることではなく、出題しやすそうな部分を覚えるだけなのだ。

当時私は歴史の授業を受け、必死にネアンデルタール人、クロマニョン人……と人類の進化を覚えていた。
当然、土器やらなんやらばかり出題されて、
「え、そっち?!?!」と衝撃を受けた。

(……そりゃそうだろう。)

センター試験の過去問は満点、成績も学年1位

見出しの通り、私は高校生になった頃にはなんと成績優秀になっていた。

繰り返し言うが、一夜漬けしたことは一度もない。
頭が良くなったのではなく、その頃には【出題しやすそうな問題】を当てる天才になっていた。

ただこの頃、【出題当てゲーム】に成り下がった勉強に嫌気が指していた。

英語なんて、外国の友達でもいるわけでもないし、どこで使うんだよ。と思いながらテストのためだけに勉強していた。

勉強する意味がわからなくなった私の選択

3年経てば誰しもにやってくるのが進路の悩み。

①勉強を辞めて就職
②やりたいことを見つけて専門
③勉強して進学

の三択あったわけだが、
勉強に対してやりがいを感じてなかった私は

④推薦で進学

を選んだ。結論、A判定が出ている大学に進学したので、親からも、教師からも、塾の先生からも喜ばれなかった。今思い出しても苦しい選択だった。

経験したことのある人なら知っているかもしれないが、受験期のいはゆる“推薦組”への風当たりは強い。
そりゃそうだ。誰もが合格そして大学進学という近い未来の確約がほしい時期に、それを持っているのだから。

でも自分としては、何をしたらいいかもわからないまま、何となく大学進学を選ばないといけなかったことだって、辛かったのだ。

何のために何を学ぶのかなんか考えることができなくて、高3になる頃には、もう色んなものを見失ってしまった。
気付くと、ただ成績がいいだけのつまらない人間になり下がっていた。


何でもできる環境で何にもない人間になった

なんのために勉強するかわからないまま進学した私が、遊び呆けた大学生になったことは想像に難くない。

毎日違う友達の家に泊まりに行き、
サークルで浴びるように酒を飲み、
ただ日々を過ごした。


誰もがいつか感じる「納得」する瞬間

そんなつまらない人生が好転する
きっかけとなったのは、海外旅行だった。

よく海外行くと価値観変わるとか言う人がいるけれど、必ずしもそんなことはない。それがその人の納得するタイミングだった、というだけの話。

これはあなたに海外旅行を薦める話ではなく、
たまたま“勉強するとはどういうことかを知るきっかけ”があった、という話だと思って読んでほしい。

初めての海外旅行はベトナム。
社会主義国なのに経済は資本主義みたいで、楽しかった。
何より自分のことを誰も知らない「外国人」としての自分の新しいアイデンティティに心躍らせた。

それからというもの色んな国へ行き、
ゲストハウスで宿泊したり、バスターミナルに着いてから行き先を選んだり。その場限りの出会いを楽しんだ。

MicrosoftやIBMではたらく人、
Air AsiaのCAさんなど、
日本だったら普段会う機会のない仕事をしている人にも会えたことが何より楽しかった。

この時初めて、「英語が話せて良かった」と思った。

今持っている自分の武器を社会に出る前に「使う」ことができた体験が与える影響は非常に大きかった。

そこから更に勢いは増し、キャリーケースを持って大学に行き、明日出発の飛行機が成田か羽田かすら前日に確認する。そんな生活をしていた。

新しい人に会えることが楽しくて、そして何より自分の知識が“使える”のが楽しくて、バイトして稼いだお金を、本当に全て「海外旅行」もっといえば「海外の人と話す」という経験に換えた


「私、昨日まで泣いていたの」


そして大学2年になりオーストラリアに行ったとき、
価値観を変えるような出来事が訪れる。

たまたま隣でご飯を食べていたお婆ちゃんが
私に突然話しかけてきた。

私、昨日まで泣いてたの。

どうして?と聞くと、

夫と離婚して妻という肩書を失った。
子供も育てきって母という肩書を失った。
仕事もやめて、職位も失った。
自分が何者かわからなくて、毎晩怖くて泣いたの。

衝撃だった。
自分は、娘で、学生で、アルバイターで…沢山の肩書があるけれど、それがないことなんて考えたことがなかった。

自分が何者かわからなくなる孤独と恐怖は想像を絶するものだろう。

そして彼女は続けてこう言った。

でも、私、決めたの。

フランスに知り合いがいるからそこをあてにして、ヨガの勉強をする。

そして、オーストラリアでヨガの先生になるわ。

then, “I WILL CHANGE MY LIFE.”(そうして私の人生を変えるの)

ほぼ自分への決意表明に近いそれを一期一会の知らないアジア人にでも言っておきたかったんだろう。

その力強い横顔を見た私の目からは、自然と涙がこぼれた。

私は当時、ゲートボールの背番号がアイデンティティのお婆ちゃんや、老人ホームで編み物をするお婆ちゃんしか「知ら」なかったのだ。
お婆ちゃんとはそういうものと思い込んでいた。

何歳でも新しいことを始められる なんて口で言うのは簡単。考えてみれば当たり前だけれど、その選択肢がなかった自分にもショックだった。

そして同時に、彼女には積み重ねてきたものがあるから、高齢でも怯まず挑戦する選択肢があるのだと悟った。

これが、私に初めて夢という夢ができた瞬間。

「素敵なおばあちゃんになる。」

そのために選択肢を増やし続けることのできる豊かな人生にしよう、そう本気で決意した。

そして改めて、学校で学んだだけの英語だけだったけれど、彼女の言葉が理解できて、本当に良かったと思った。

高校時代は「知識の使い所」がなかった、
だから分からないことだらけで、苦しかった。
それだけの話だったと気付き、なんだか心が軽くなった。

それからの私

大学に学びたい授業がなければ、
教授に直談判して外部講師を呼んだりもした。

「大学の授業意味ないよね」といってる学生を見ると、じゃあ自分で意味あるものにするら努力をしたらいいのに!と思うようになった。

その結果か、卒業時には今までの先行研究に一切記述がなかった少数派民族の情報を卒業論文にまとめることができた。非常に有意義な学生生活になったと思う。


人生の選択肢は知識と経験でしか増えない

思うに、社会に出るときにもっている武器は
基本的に「知識」と「経験」しかない。

大学で勉強をやめてしまった人は、
高校生まででの知識で戦わないといけないのだ。

そんなに怖いことがあるだろうか。

実際に、以前バイトしていたときの出来事をひとつ紹介する。
「プログラマーになりたかったなぁ…」と後悔を口にした先輩アルバイターがいた。

すると、他のアルバイターたちが口を揃えて「未経験がプログラマーなんてなれない」「パソコンは一般職の事務員が触るものだ」と本気で言っていて、私は仰天した。

「知らない」ということは【その人が構築する人生の、選択肢の欠損そのもの】なのだなと感じた。

(私は彼に「なれますよ、プログラマー」と言い、就活を支えてあげた。後に彼は、無事にプログラマーになったのである。)

経験は年数がかかるけれど知識はいつだって得ることができる。みんなが何年何十年かけて残した史実や文章、論理を知る、それだけでぐっと楽しい人生になる。

社会人になってから学び直す大人が増えているのも、きっと知識という武器をもっと磨きたい、あるいは増やしたいからだろう。

社会に出てうまく経験が身につかなかったり、
足りなかったら、学べばいい。


最後に。 今はわからなくても。

使い所なんて今はわからなくても、
好きなものを学んでみたらいい。

「勉強していてよかった」と思える瞬間が来る。

いつか来るその時に、「もっと勉強していたら」と思うほど悔しいことはない。

だから、勉強する意味がわからないときほど、がむしゃらに勉強してみることをおすすめする。

あなたも、いつか私のように、涙が出るほど「知っていて良かった」と思える経験をする。

自分の学びたいことを学んだらいい。
疲れたらたまに休憩したっていい。
そうして、あなたの人生を豊かにすればいい。

沢山持てなくたっていい。
少ない分、研ぎ澄ました武器だってとても素敵なんだから。

オリジナルのかっこいい知識という武器を増やして、磨いて。


そうやって、楽しく生きていこう。




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