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父が死んだ日からの悲喜こもごも①/終わりは始まり

note一周年を迎えて、ボチボチマイペースでやります!と宣言したものの、一つだけ新たに書こうと夏あたりから考えていたものがあります。以前、noteのコンテストに応募したエッセイです。今考えたら、よくこんなドラマ脳妄想脳エッセイで応募したもんだな(笑)。

今回、書き直して再掲載。全6回ぐらいにまとめられたらいいなあ、と思っています。

父親の死を軽いタッチで書くことに、不快感を覚える人がいるかもしれません。でも通夜や葬儀について考えるきっかけにもなったし、何より、そのドタバタ劇の中で感じた人間の可笑しみが伝わればと。そして自分の気持ちの浄化も込めて(お付き合いさせて、ごめんなさい)。たまにブラックぶんぶんどーが登場しますが、軽い気持ちで読んでいただけると幸いです。

ちょっと滑稽な、父が死んだ日からの悲喜こもごも話です。

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1、看取ること、あれこれ。

父は、70歳を過ぎてから難病を患った。病名が判明後の5年ほどは自宅で普段通りの生活を送っていたが、その後認知症と軽い脳梗塞を発症。約10ヵ月の入院生活の後に死んだ。およそ4年前のことだ。

危篤から看取った日まで、通夜、葬儀、火葬、初七日、初盆……。田舎でのそれらは、おそろしく濃い(笑える…もとい、笑えない)日々だった。「できれば葬儀をやり直したい!」「なぜこんなことに!?」と思うことが多かったので、ここに書き記しておきたい。

「親は自分の“死”を通しても、子供に学ばせるものだ」と以前本で読んだのだが、その通りになった。

なお、大変おこがましいけれど、登場人物は父(橋爪功さん)、母(白石加代子さん)、姉(小泉今日子さん)、叔母(高畑淳子さん)、姉の同僚(柴田理恵さん)、担当医(平山浩行さん)、兄(大泉洋さん)、私(水野美紀さん)の超豪華キャストに変換していただくと想像しやすいかと。

えっ? 想像しにくい?

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遠方での会社勤めの身で、私は月に2回程度しか父の様子を見に帰れなかった。だからその入院先が姉の勤務先なのは心強かった。同時に、「何もできなくてごめんね」という罪悪感が、影のような形で今も自分に残っている。

その病院では、おむつ交換や歯磨きは本人の意思と関係なく、決まった時間に行われる。父を心配した姉は、休憩時間や勤務時間の前後に様子を見に行くのが日課になっていた。そのため、彼女が病室を訪れると父は真っ先に「おむつ、おむつ」と言うように。「私、病室に行ったらおむつばっかり交換してるんだけど(苦笑)」と、姉は電話口でいつも冗談のように話していた。


2、身内が世話をしない方が良い場合もある

母も父の入院当初は毎日病院に通ったが、父は幻覚によって意味不明なことを言ったり反応が薄かったりと毎日不安定。彼女はイライラを募らせ、次第に見舞いの回数が減った。私が帰省した際は母も連れだって見舞いに行ったが、「お父さんは何を言ってるのかさっぱりわからんから」と怒り出し、すぐに帰ろうとした。

母は、他人を褒めることはあっても家族を褒めることがない。記憶を辿っても、褒めているのを見たことがない。出世しないし真面目過ぎて説教じみた話ばかりするが、夕方5時半には職場から帰宅して畑に行ったり盆栽を手入れしたりする父のことを、私はけっこう好きだった。でも母は、真面目で手際が悪く、熱中すると我を忘れるマイペースな父にいつもイライラ。私は幼い頃から「なぜこの二人は夫婦なんだろうか?」と疑問に感じていたぐらいだ。

病が少しずつ進行し、父のできることはどんどん減っていく。代わりに、直情的な母のイライラは倍増する。父の患った病気に怒鳴ることは禁物だったが、母は罵声を浴びせて彼を追い詰める。毎日だ。「頭ごなしに怒ったら症状がひどくなるからやめてほしい」と頼んでも、「できないお父さんが悪い」と言う。

母が病院に通わなかったのは正解だった。

3、静かな別れに母がいない!?

「数日もたないかもしれない」と連絡があったのは、仕事の忙しさがピークを迎えたときだった。そのまま仕事資料とともに帰省した。

ほとんど意識のない父。「これから徐々に心臓が弱っていきます」と、担当医に告げられた。

「ねえ、こんな時でも仕事の休みはもらえないの? 」と叔母。休みはもらった。でも私が当時働いていた会社は少人数。且つ自分にしかできない仕事もあった。「街に出た人は、しきたりも礼儀も知らなくて不義理だわね」と身内から言われるのも仕方ないと割り切って、深夜の病室で仕事資料に目を通した。

短い滞在ならいいのかもしれないけれど、なぜ都会の人はここでわざわざ暮らすことに憧れるのだろう。田舎で生まれ育ち、憂鬱な人間関係を見てきた自分には、いまだによくわからない。

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病室に寝泊まりして2日目の夕方、担当医から「点滴を外します」と言われた。

「これから少しずつ脈が遅くなります。静かに見守ってあげてください」。

だんだんと父の息づかいが荒くなり、脈の間隔が長くなった。

姉と私は、薬のせいでボロボロになった父の手を取りながら泣いていた。私はほとんど世話できていないので、どちらかというと「何もできずに申し訳ない」という気持ちで泣いていた。

その横で、遠方に住む兄へ電話する母。

「あ、お兄ちゃん? お父さんね、ダメだったから。あんた、すぐ帰ってこられないの?」

姉と私は同時に、「まだ死んでないでしょうが」と独り言のようにつぶやいた。

『北の国から ’84 夏』のラーメン屋の場面が浮かんだ。あれは、純の成長と親としての立ち位置を明確に示した五郎との名場面だけれど。

私たちの声は母には聞こえなかったらしく、その後、通夜と葬儀のことを叔母と相談し始めた。

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――――。手先につけた脈拍計を見ながら、担当医を呼んだ。

「〇月〇日〇時〇分、ご臨終です」

よくあるドラマの1シーンと同じ。身近な人の死を目の当たりにしたのは大人になって初めてで、フワフワとした変な感覚になりながら、私はただ泣いていた。

だがこの直後に母の姿は既になく、残っていたのは姉と私だけ。

数分後、エンゼルケアのために姉の同僚がやって来た。姉は彼女と二人で父の体を拭きはじめた。私がどうしてよいか分からずに戸惑っていると、同僚の女性が「妹さんも、体を拭いてあげて」と声をかけてくれた。

その後すぐ、その彼女が「あれ? お母さんは??」と訊いてきた。

「これから忙しくなるって言って、家に帰っちゃって……」と姉。

「えっ? ちょっと待って。もう帰ったの!?  さっきまで沈痛な顔でここに居たじゃないのよ」。少々戸惑い気味に同僚の女性は言った。

彼女は「現場でそんな配偶者を初めて見た!」ぐらいの衝撃だったようで、口を半開きにさせたまま(←柴田理恵さんの驚いた顔を想像してください)、一瞬体を拭く手を止めて姉の方を見た。姉は彼女と顔を見合わせて笑ってしまい、つられて私も笑ってしまった。

長年連れ添った夫との別れ。その静かな余韻など、母には全く無かったのだ。「とにかく通夜と葬儀を滞りなく執り行わなければ」というプライドがそうさせたのだろう。

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ここまで読んでお察しと思うが、私は過去、この母とうまくやっていけず、その関係性については物心ついた頃から悩みだった。それを他人に話すと「自分を産んでくれた人のことをそんな風に言うなんて」と大抵言われ、「誰にも理解されないんだな。自分が悪いんだな」と、毎回二度目の闇に落ちていた。

だから、彼女を「母親」ではなく「ちょっと困った人」と思うことで「人間は面白い生きもの」と捉え、折り合いをつけたところがある。この環境をどうにか面白いものにしなければ自分は生き抜けないかもしれないと、子供なりに発想の転換をしたのだ。母に対して、姉は諦めながら立ち向かい、兄は逃げ惑って屈折し、私は”末っ子あるある”でうまく立ち回ろうとした。いつかこの話も浄化させよう(苦笑)。仕事資料を病室で読んでいた自分も、似たようなものだけれど。

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病院で死亡診断書をもらう頃、ちょうど葬儀社がやって来た。そして父の亡骸は自宅へと運ばれた。10ヵ月ぶりのわが家。飼い猫が急ぎ駆け寄ってきて、ミャーミャーと鳴く。君にも人の死がわかるのかい?(つづく)

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あれ? 第1回は、全然軽いタッチじゃなかったな……(汗)。

次回は、「無言の帰宅後もトラブル続き」「開いた口がふさがらない」などをお送りする予定です。


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