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残りの1割はすてきなこと/ドラマ『何曜日に生まれたの』

(ドラマの内容を含みますので、ご覧になってからお読みください)

「えぇーーーーっ、そっちなの!?」という冒頭から、公文ちゃんのナースコスに一瞬かたまり、言っている本人も自嘲気味の「レインボーーーパワー!」に、少々慌てた最終回。しかし何より驚いたのが、すいと仲間たちの策に、あの公文竜炎が全く気づく気配がなかったこと。いや、あれは気づくでしょうよ、いつもの公文ちゃんなら。本来の三島公平に賭けるという、すいの大胆な行動に軍配があがったということだ。

「ストレスの9割は対人関係」と吐いた公文が、「でも残りの1割はすてきなことが起こるかも」というすいのことばに背中を押され、初めて公の場に。公文竜炎の鎧を少しずつ脱ごうとしていたところで、事件は起きた。でも丈治が身を挺して公文を守ったことは、公文にとっては自分の存在を肯定してくれたことでもあり、三島公平に戻る最大の要因になったのではないだろうか。

ちょっと軽めの丈治が、こんなに重要な役割を担っていたとはつゆ知らず。時代になんとかついていこうとがんばる、売れない漫画家。すいの父親である彼は、登場人物たちと年齢が離れており、浮いた存在になりかねない。そうか、だから陣内さんだったのか(って、知ったかぶり)。始まった当初、「なんで陣内さんなんだろう?」と思っていた。ごめんなさい(笑)。平成のはじまりに観た『愛しあってるかい!』のイメージが、自分の中で強いせいもある。野島さんとはこのドラマつながりでもあるのだろうけど、コモリビトの父親を演じるのがちょっと不思議だったのだ。だが蓋を開けてみれば、若い子らとも編集長とも、子どもとも、絶妙な距離を保っていた。浮きかけてるけど、浮いてない。そして娘を思う気持ちがとても強い。

このドラマはどこまでもハラハラさせる。ラノベの物語が終わった後、現実の世界で公文の“嫉妬”に賭けたすい。終盤、10年前と同じように向かい合う2人が、そのまま車にはねられないかヒヤヒヤしたのは私だけ? だって野島作品だから。もうちょい道路の端っこで、端っこで!! でも、「ホントの海」で自分を取り戻した彼らのシーンはきれいだった。

野島作品には数々のトラウマがあるので、最後まで疑いつつも、珍しく「何があってもみんな無事」な世界線で終わってほっとした。公文竜炎から三島公平への切り替えが素晴らしかった溝端くん、閉ざされた日常から外の世界へと少しずつ出て、強くなっていくすいを静かに大胆に演じた飯豊まりえちゃん。一時は闇深いサスペンスを思わせたが、終わってみれば、抱いていた劣等感や罪悪感、トラウマから脱する若者の成長が描かれていた。色んな意味で“匂わせドラマ”。転調に転調を重ね、「どうなる、どうなる?」と観ている側を常にザワザワ、ソワソワさせた。どのジャンルにも入らない、私にとって記憶に残るドラマとなった。


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